103 贄の名は
『ありがとうございます、スーチンのことをよろしくお願いします、それと……この始京の人々を解放してあげてください』
もう一度深くお辞儀して、ホウセンさんは俺たちを見送った。
「さて、ここが最上階のはずだが……」
塔の八階に登ったら、そこは一つの大広間だ。
下の階層は一応調べたけど、どれも研究室らしくて、書類と素材しかなかった。
研究室に沢山の研究者風なゴースト達が往来している。都市の人々と同じように俺たちを認識できないらしい。
最上階の部屋は下と違って、百人入ってもまだまだ余裕そうなくらい広かった。それと真っ赤な魔術陣は蜘蛛の網のようにびっしりと天井から床まで書かれて、まるで部屋自体が一つの魔術陣のようだ。
部屋の向こうには一つの大きな扉。
そして部屋の中心には、一人の老人。
『一体何事か……早く来ぬか……邪神の力が必要なんだ……』
華美な衣装を纏い、優美な白い髭をたくわえた老人、イライラしている様子で喃々と呟いてる。
ゴーストだ。
さすがにこの老人が邪神ってわけじゃなさそう、つまり邪神はあの扉の向こうにいるか。
やがて、老人は俺たちに気づき、唾を飛ばすくらいの勢いで怒鳴ってきた。
『何をしておる!さっさと生贄をここに連れて来ぬか!』
「いけにえ?」
『そうじゃ!邪神を呼び出すために生贄が必要なのじゃ!さっさとせんか!それとソクラテのヤツを呼べ!奴がないと魔術陣が作動せん!』
スーチンがソクラテの名前に反応してぴくっとなった。
なんでここにその名前が、と思ったけど、よく考えればヤツはここからスーチンを連れ出したのだから、それなりの地位がないと無理だろう。
それにしても、ネクロマンサーのあいつが邪神の儀式に関わったってことは、これも死霊魔術の一種か?
いろいろ思考を走らせている間、老人はずっと怒鳴り続けているが、魔術陣の中心から決して一歩も踏み出さない。
どうやら俺たちを認識できるけど、やはり生前の行動に縛られているようだ。
「危険性は無いようだし、放置しよう」
「それがいいね」
振り返って、皆で頷き合った。
真ん中に居る老人を迂回して、部屋の奥の扉に近付く。
両開きの扉は金属で作られて、見るからに頑丈そうだ。
鍵みたいなものを見当たらないが、迂闊に触れることはできない。こういうところの扉は大体何らかの力に守られてるのが相場だ。
「霊光がいち、に……九つもあるの」
「さすがに厳重だな……ん、なんか書いてるぞ?」
扉の上縁には一行の文字が書かれた。
どうやら始国の文字のようで、俺には読めないが、スーチンが代わりに読め上げた。
『正当なる儀式を望む者よ、生贄の名を述べよ……と書かれてます』
「生贄の名を言ったら開けられるかな?」
「生贄の名って言われてもなぁ」
当時どんな生贄を使ったか知らないし、生贄の名って言ったからたぶん人間を使ったんのだろうと推測できるが、それまでだ。
ホウセンさんに訊いてみるのもいいけど、たぶん彼女も知らないのだろう。
「この術式は部屋の魔術陣と繋がっています、解除は難しいそうですね」
アイナさんは扉と部屋の魔術陣を観察しながら言った。
「力技で行ってみましょう?」
姉さんは《霹靂銃》を持ち出す。
「そうだな、皆、一旦下がってくれ」
俺たちは扉から距離を取った。
「姉さん、い――」
「《貫け》!」
ドカーン!
「ってもう撃ってるし」
ドカーン!ドカーン!ドカーン!
「……傷一つないわね」
「こりゃ姉さんが殴っても無駄だろうな」
「殴ってみる?」
「やめて、何かやばい魔術でも掛かっているのなら危険だよ」
その後、至近距離でボンバーチルドレンを爆発させたが、扉は健在。サンドミイラに殴らせてみたけど、扉に触れた瞬間蒸発した。
そして俺たちがこんなに派手にやっているのに、部屋の真ん中に居る老人はまるで気にも留めず、ただ、「生贄を連れてこい」と繰り返すだけ。
「なあ、あんたは誰だ?」
『何を戯けなことを言っておる!この始国を統べる天子、第七十六代皇帝、ワン・ターレンの顔を忘れたか!』
皇帝? つまり――俺はスーチンを見る。
『よく覚えてない……』
と、首を振った。
どうやら父親との仲はあまりよろしくないらしい。
「皇帝陛下なのか、じゃ邪神の儀式についても詳しいだろう?」
『勿論じゃ、儂は天師道にも深い造詣があってな、ソクラテのヤツの術式が穴だらけでな、儂が直しておったのじゃ』
天師道ってつまり死霊魔術か。王様まで死霊魔術に長けてるとは、どうやら本当に死霊魔術に抵抗がない国だな。
「ふむ、じゃ生贄って一体何なんだ?」
『愚問だ、邪神を呼び出すための生贄に決まっとるであろう!』
「そうではなくて、その生贄に一体何を使うつもりだったんだ?」
俺の問いに、老人は一瞬凍り付いてしまって、急に取り乱し始めた。
『いけにえ……生贄は一体……あぁ、あぁ、違う、アレは……違うのじゃ、儂だってしたくないのじゃ、仕方ないのじゃ!』
いきなり頭を抱え、まるで狂ってるように喚く老人は、どう見てもまともじゃなかった。
「どういうことなの?」
「何かを隠している……わけでもないみたいですね」
ルナとアイナさんも老人のいきなりの奇行に戸惑っているようだ。
「生贄のことを忘れた……ではなさそうね、どちらかというと――」
「後悔、いや後ろめたいかな」
「そう思うわ」
「まあとにかくここはもう進めそうにない、下の階に何か手掛かりないか探そう」
俺たちは数時間を掛けて、下の階層を探し回ったけど、生贄のイの字もなく、探索は無駄に終わった。
一階に戻ってホウセンさんにも訊いてみたが、予想通り彼女も知らなかった。
「ここにもう手掛かりはないのかもしれないな」
「外に出るの?」
「また、あのゴーストの大軍を突っ切らねばなりませんのね……あっ」
アイナさんは急に何か気付いたようだ。
「スーちゃん、確かに前にここに連れられた時、沢山の死の匂いがしたって言いましたよね?」
こくりと頷いたスーチンを見て、俺にもピンときた。
「そうだな、一度に大量な人間が死んだとすれば、邪神の儀式と関係があるかもしれない」
「じゃ、あの時死んだのが生贄なの?」
「いや、儀式が完成したのはスーチンが攫われた後のことだろう? なら可能性は低い。死霊魔術の生贄は生きたままのが望ましいからな」
「一番あり得るのは、死霊魔術の研究ですね」
「ああ、俺もそう思う」
死霊魔術の研究に死体はつきもの。
しかしさっき探した研究室にそういう痕跡はなかった。つまり、
「スーチン、あの時の匂いはどこから来たの?」
『……下、だと思います』
スーチンは床を指した。
「それにしても、地下研究室ね……死霊魔術師って地下が好きかしら?」
「レキシントン先生の研究室は地上だろう」
「あの人は研究者であって、別に死霊魔術師じゃないでしょう?」
姉さんと喋りながら、俺たちは地下へと下りる。
スーチンの記憶からヒントを得て、一階を隈なく探した結果、地下への階段を見つけた。
そして階段を下りると、そこには――
「これは……むごいな」
俺は思わず顔を顰め、小さく呟いた。
「狂ってるわ」
「うっ……ぅぅ!」
姉さんは慌ててルナの目を覆ったけどもう遅かったようで、ルナは口を押えて吐き気を抑えている。
「ヒューマンはどうして……このようなことができるのでしょう」
アイナさんも見るに堪えないようで、顔を逸らした。
塔の地下には長い回廊と両側に並べた牢屋があった。
鉄格子が設置された牢屋は、しかし中の惨状を隠すことができなかった。
朝市のすべての売店に並んでいる商品を人のパーツに変えた、というのが最もこの場に近い描写なのかもしれない。
回廊の左右に陳列された人間の成れの果てを目にして、死体を見慣れた俺ですら正気を保つのが精一杯であった。
「アイナさん、ルナ、大丈夫?」
「……ええ」
「……大丈夫、なの」
ルナの頭を撫でて、俺たちは地下回廊に足を踏み入れた。
気持ち悪さを堪えて、地下の回廊をざっと見て回ったら、幾つかの発見があった。
まず、死体に臭いも腐敗の痕跡もない、たぶん何らかの術が施されたのだろう。
それと、ゴーストがいない、ここの人たちは邪神が呼び出された前に死んだと見ていいだろう。
最後は、幾つかの牢屋の錠前が壊されて、中には誰も居ないし死体もない、脱走したのかもしれない。
そして二十分ほど進んだら、俺たちは最後の牢屋についた。
「この牢屋が最後か、ここの錠前も壊され……いやこれは斬られたというべきか」
刃物でスパっと斬られた痕が残っている、この脱走者は結構な腕前かもしれない。
「でも中に死体があるよ?」
「本当だ、なぜだろう」
ルナに言われてよく見てみたら、牢屋の奥に一人の死体があった。
暗くてよく見えないけど、どうやらアレは壁に固定されて、立ったまま死んだらしい。
少し調べるか、と思って牢屋に入って死体に近付くと、ソレが起こった。
周りの空間が、陽炎のようにぶれ始める。
牢屋の壁が、鉄格子がぼやけて、歪な形になって煙のように消え失せていく。
それだけじゃなく、姉さんとアイナさんの姿も段々小さく、薄くなって、まるで急速に俺から遠ざけたように視界から消え去っていく。
俺は懸命に手を伸ばそうとしたけど、届けるはずもない。
俺は意識を失った。
「……っ!」
気付けば、俺は牢屋に居た。
さっきと同じ牢屋で、俺は手を伸ばしたまま立っている。まるで何もなかったように。
しかし決定的な違いがある、姉さんとアイナさんがいない。
それと、
「フィレンさん……」
ルナは自分の手を、俺のと絡ませた。
それを強く握って、俺は牢屋の奥を睨みつける。
そこにいるのは、さっきの死体――ではなく、一人の男性だ。
男性は鎖に縛られた上で、鎖骨のところに釘のようなものに貫かれ、磔にされている。
しかし間違いなく生きている、さっきは確実に死んでいたにも関わらず!
「□□□□……□……」
散乱な前髪を通して、緑色の瞳が俺たちを捉えた。
男性はゆっくりと顔を上げて、知らない言葉を喋り出す。
「スーチン、わかるか?」
『うん……成功か、と言いました』
どうやら始国の言葉らしい。
男性はスーチンを見て、目を見張ったが、そのまま言葉を継いだ。
「□□□□……□□□□□、□□□□」
『……ようこそ、未来の人、俺の願いを聞いてくれないか』




