102 始国の巫女
※更新遅れましたすみません!
扉の前で聞いたのと同じ声が、脳内に木霊する。
解放?何のことだ?
俺が答える前に、
『母上……?』
スーチンの声がした。
『スーチン……なの?』
黒髪の女性はスーチンを見て唖然している。
『やっぱり……母上……ッ!』
スーチンは飛び出した。そのまま女性の懐に身を投げるような勢いで、しかしゴーストである故にそれもできず、女性の目の前に止まった。
『嗚呼……スーチン、まさかもう一度会えるなんて』
『母上……私もです』
触れることができなくても、我が子を愛しむ眼差しでスーチンを見つめる女性。
黒髪黒目にアンティークドールのような整っている容姿、そしてどこか儚げな佇まい。まるでスーチンがそのまま歳をとったみたいな女性が、ふっと目を閉じてため息をついた。
『貴女も……この姿になってしまったのね』
『はい……でも、おかげで母上ともう一度逢えました』
『そうね、神に感謝しなければ』
もう一度溜息をして、女性は分かれた期間を確かめるように隅から隅までスーチンを見つめ回す。
『ごめんね、お母さんなのに、貴女とあまり一緒にいてあげられなくて。きっと寂しかったのでしょう?』
『少し、寂しかった……でも、今は皆と一緒に』
そして、女性は俺たちに目を向けて、一礼した。
『挨拶が遅れて申し訳ありません。初めまして、ホウセンと申します。貴方が、スーチンを使役している方なんですか?』
俺はスーチンの母――ホウセンさんの言葉に虚をつかれて、一瞬キョトンとなった。
「え? いや使役なんかしてませんよ?」
『霊を使役する天師の者ではないのですか?』
「てんしー……?」
『我が《始国》では、霊を使役するものは天師と呼ばれています』
ホウセンさんの話によると、《始国》では昔からアンデッドを使役することを生業にしている人たちが居て、それが天師だ。
つまりこっちでいう死霊魔術師のことか。それにしても、アンデッド使役を生業か、死霊魔術にかなり寛容な国かもしれないな。
「スーチンは俺たちの仲間です、今は一緒に旅をして、彼女の故郷を探しているのですが、どうやらここ、《始国》っていうのかな? がそうですよね」
『はい、その通りです。スーチンも私も、ここ《始国》の人です』
「で、なんだかアンデッドが一杯らしいですけど、その原因を知っているのなら教えてくれませんか?」
『勿論構いませんけど……その前に、スーチンがこのような姿になった経緯を教えていただけないでしょうか?』
「ああ、それは気になりますよな、すみません気が利かなくて」
俺はスーチンがソクラテに攫われて、ガーリック村の地下に暮らしていたこと、そして俺たちと出会って、いろいろあって故郷探しを始めたことを話した。
話が終わった後、ホウセンは娘を見て、安堵とも心憂いとも取れるような表情を浮かべた。
『話は分かりました。スーチンのことを良くして頂いて、本当にありがとうございました』
身体が折れるような深いお辞儀をして、ホウセンは少し微笑んだ。
「いやこちらこそ……」
『では、ここの話、でしたわね……』
ホウセンは少し俯いて、まるで遠い昔に視線を向けているような眼差しで語り始めた。
この都市は元々《始国》の首都、《始京》という都市だった。
世界中を見てもかなり大きな影響力を持つ東方の大国、始国だったが、一つの危機に瀕していた。それは、隣国との三十年も続いた戦争だ。
長き戦争が渡り、いくら大国であっても国力が徐々に衰え、お互い消耗しきっているはずだが。しかし、双方ともやめる気は無かった。
すでに戦争の切っ掛けもお互い忘れて、意地と憎悪だけによる血を血で洗うような、憎き敵国を根絶やしにするまで決して止まることのない闘争と呼ぶに相応しい。
そんな国全体の狂気に駆られて、始国の皇帝は怨敵を圧倒すべく、ついに邪法に手を出した。
それは生贄を捧げることで、異界の邪神の力を借りる邪法であった。
これで鬼畜生にも劣る憎き敵国の者どもを一掃し、我が国に平和を齎せるのだろうと、皇帝は民のことを案じながらも、すでに狂気に陥ることに気づかなかった。
そして、邪法は失敗した。
いや、あるいは成功と呼べるかもしれないかもしれない、だって、呼び出された邪神は確かに敵国を滅ぼしたからだ。
しかし制御を失った邪神は始国をも滅ぼし、始京の人々をすべてアンデッドにした。
このような行いに、始国が奉じる神――太陽神ミーロは大いに怒った。
神の力によって、始京は深い地下に飛ばされ、二度と日を見ることはなかった。
人々の記憶から消え失せた始京は地下深くに埋まられて、民は幽霊となって生前の行動を繰り返し、兵士はツクモガミの武器に操られ、既に守るべき者のいない都市を彷徨う。
「なるほど、でもホウセンさんはゴーストだけどまともですよ?」
『私の一族は《太陰の巫女》と呼ばれ、普通の人より霊力――魂の強度が遥かに高いですから、正気でいられます』
「てことは、スーチンも?」
『ええ、むしろこの子のほうが私より遥かに大きな素質を秘めています。死を直面して、生と死を繋がることができる、数代に一人の巫女としての素質が。ですから成人になりましたらすぐにでも巫女としての修業を始めるつもりだったのですが……』
ホウセンさんはスーチンを見て、長い睫を伏せる。
『……?』
スーチンは相変わらずぼんやりしてて、俺たちの会話を理解しているかどうかが分からない。
しかしそんなスーチンを見て、俺は内心納得していた。
死の匂いを感じ取れるのも、巫女としての能力なら頷ける。もしかして、あの夜ルナが助かったのもスーチンのお蔭かもしれない。
「あの、ホウセンさん、つまりこの城は地下に飛ばされて今になったってことですか?」
『はい、その通りです』
「ホウセンさんも、その時でゴーストに?」
『ええ』
「しかし、ドワーフたちはこの都市が現れたのは三年前って言ってましたよ? そんな最近のことなんですか?」
スーチンが故郷から攫われてどれくらい経ったか知らないが、少なくとも数百年以上だったはず。
ホウセンさんがゴーストになったのが一年前だったら、数百年を生きてたことになる。
しかしホウセンさんは首を振って説明した。
『ミーロ様が仰いましたわ、邪神を徹底的に汚れた地から切り離すために、遠い未来へと移動させるしかない、と』
つまり時間と空間を越えて、遥か昔の都市一つ丸々現在の地下に飛ばしたってことか。
思えば、城の建物の風化もあまり進んでないし、この都市から見れば、惨劇からまだ三年しか経ってないってことか。
「じゃ、この都市のゴーストを解放させる方法はないのですか?」
『邪神は今ものこの塔に存在しています、もう大分弱まってるようですが、それでもこの都市のアンデッドを支配しています、もし邪神を消滅させられれば……』
「異界の邪神、か……」
どんな神か知らないが、普通に考えて叶える相手ではない。
俺の考えを見抜いたか、ホウセンさんは言葉を継いだ。
『本当なら、異界の邪神はこの世界に長く留まることはできません、恐らく何かの媒介を用いて、強引にこの世界に繋ぎ止めたのでしょう』
「つまりそれを破壊できれば、邪神は元の世界に戻る、と?」
『そうだと思います』
少し躊躇いがちにホウセンさんが頷いた。どうやら彼女も邪法とやらを詳しく知っているわけじゃなさそうだ。
あまりにも不確定な情報、リスクも高い。
ドワーフの依頼を達成できれば見返りは破格だが、アダマンティウムも強化もどうしても必要というわけじゃない。断るほうが無難だ。
しかし……。
『フィレンさん、お願いします』
「うん、まあ、そうなるな……」
『母上と、お城の、この都市の皆を、助けたい』
上目遣いに俺を見つめて、自分の願いを述べたスーチン。深い井戸を彷彿させる黒い瞳に強い意志の光が煌く。
ホウセンは自分の娘を見て、少し驚いたようだ。
だが俺はその反応を予想していた、だから俺の答えもすでに決まっていた。
「まあ、そのために来ていたからな、できるだけのことをしよう」
「そうね、見て見ぬふりしたくないもの」
「スーちゃん、一緒に頑張りましょう!」
「これだけのアンデッド、放置してはいけませんわ」
『皆、ありがとうございます……』
皆に深く頭を下げたスーチン。やはりどこかホウセンさんと似ている。
『スーチン……強くなったわね』
『そう……?』
『昔の貴女は素直で、何をさせても淡々とこなして、嬉しいか嬉しくないかよく分からない子だったわ。でも今はちゃんと自分のしたいことを話すことができて……ちゃんと笑えてるわ』
ホウセンさんの視線の先には、いつの間に浮かべていた、スーチンの整っている顔に更なる彩りを添える笑顔があった。
「よし、決まったね。ホウセンさん、その邪神の場所の媒介がどこにあるか知っているのですか?」
『邪神を召喚する儀式にはあまり知りませんが、この塔の最上階には陛下しか入ることのできない部屋がありまして、恐らくそこかと』
「最上階か、分かりました。とりあえず行ってみます」
『ありがとうございます、私ができることなど、これくらいしかありませんけど、皆さんの助けになればと……』
そう言って、ホウセンさんは詠唱を始めた。
『太上太清,永変無停,驅邪縛魅,保命護身;知恵明浄,心神安寧,三魂永久,魄無喪傾。急急如律令――淨心神咒!』
金色に輝く光が俺たちを纏わりついて、身体に溶け込んだ。
『スーチンのことをよろしくお願いします、それと……どうかこの始京の人々を解放してください』
もう一度深くお辞儀して、ホウセンさんは俺たちを見送った。




