101 スーチンの思い
紫の目がまるで俺の心を見抜いたように、怪しく煌いてる。
「随分と優しいじゃないか」
「何を言う、創造神だぞ、我は全ての存在を慈しんでいるのだ」
「はは、言ってろ」
俺たちはフォー=モサの隠れ家を離れた。
床の穴から出た後、外のツクモガミ達は相変わらず攻め込んでくる様子がないが、数がまた増えたようだ。
「フィレンさん、どうしましょう?」
「そうだな……」
『フィレンさん』
さっきからずっと無言のままのスーチンが、口を開いた。
彼女はひっそりと扉の横に佇む、外の光景を自分の記憶と照り合わせているように。
「どうした?」
『ここは……私のお家です』
フォルミドから離れて数ヶ月、ようやく旅の一つの目的を達成した。
しかし俺たちも、スーチンも喜色を現わせなかった。
だってそれはつまり、スーチンの故郷はもう滅んだということだ。
「……そうか」
それしか言えなかった俺は、ただ見ていることしかできなかった
遠い昔を眺めているスーチンの後ろ姿からは、蜃気楼のような儚さを感じた。
やがて、スーチンがポツポツと語り始めた。
スーチンはずっとお城の奥の奥に暮らしていた。
周りに居たのは世話をする女官と習い事の師範、そして日二回、朝と夜の挨拶の時にしか会えなかった母上だけ。
父のことはよく知らない、滅多に会って貰えなかった。
外の世界もよく知らない、城の奥で、金色の屋根に囲まれた四角の空しか知らない。
ただ一度だけ、高い高い塔に連れられて、そこから見えた都市の風景は綺麗だった。
「高い塔って……」
俺は窓からお城の後半部に聳え立つ塔を見た。
恐らく三十メートルはあるその塔はとてつもなく目立つ。
「そこで何してたの?」
『何も。ただ言われた通りの場所に立っただけです……でも、すごく沢山の匂いがした』
「死の匂い、だな」
こくりと、スーチンが頷いた。
そういえば、リースと一緒にミステラに向かった時、スーチンが言った。
昔一度だけ死の匂い嗅いだことあったけど、あの時それがどういう匂いか分からなかったって。
「つまりあの時、あそこで沢山の人が死んだってことか」
ここはどう見ても貴人の居城、もしくは王城もありえる。そんな場所に誰かが死ぬのは特段おかしくないが、一度にたくさん、というのが腑に落ちない。
『よく分かりません……あの後すぐ、ソクラテさんに連れ去られました』
「そうか……」
『最初はずっと、帰りたかったです。でも段々、ここの事よく思い出せなくなって、実は誰とも喋ったことも、一緒に何かしたのもあまりなかったと気づきました。ソクラテさんのことはよく分かりませんけど、シーちゃんとリアちゃんはいつも傍に居て、寂しくなかったです。』
『スーチン様……』
『……それでも、ここのことずっと気にしてて、そして怖かったのです。もし、ここはもう私の記憶通りの場所ではなくなったと思うと、怖くて仕方なかったのです。もう戻る場所がないと思うと、どうしようか分かりません。……ごめんなさい、フィレンさん。故郷を見たいって言ってましたけど、見つからなくても良いと思ってました。こんな思いが……嫌だったからです……』
悲しさ、切なさ、さまざまな感情がスーチンの顔に去来して、まだあどげなさが残っている五官を歪めている。
しかしゴーストが涙を流すことはなかった、許されなかった。
そしてゴーストであるスーチンの未練はもう叶った、あとはもう――
『嫌だったです……こんな形で、こんな気持ちを抱いて皆と別れるの嫌だったんです……ッ!ごめんなさい、ごめんなさいフィレンさん、ここに戻ってこなければよかった、こんな思いしなければ良かった……皆と、別れたくないのっっ!!!』
こみ上げる悲しさがで胸が裂けるのを抑える様に、スーチン自分の身体を強く抱えた。
ならば、やるべきことは一つ。
「謝ることはない、スーチンと旅してて俺も楽しいんだから」
『ありがとうございます、私も、楽しかった……』
「違う、楽しいのはこれからだ」
『え……』
「姉さん、お願い」
「言われるまでもないわ」
『フィレンさん……?』
姉さんは俺の手を取って、スーチンを抱きしめる。
俺たち三人の間に、緑色の光が浮かび上がった。
『れん姉ちゃん……?』
「いいのよ、全部、私にちょうだい」
緑の光が強まり、俺達を包み込んだ。
頬を滑り落ちる雫。
姉さんも俺と同じように、頬を涙で濡らしている。
スーチンに同情して流した涙ではない、姉さんの《神降ろし》のお蔭で俺達は本当の意味でスーチンと心を通わせているから、そのあまりにも膨大な悲しさを自分のように泣いたのだ。一体、その小さな体にどれだけの感情を溜めていたのか。
その代わり、俺たちからスーチンに流れ込んだのは暖かい感情、スーチンと一緒に旅して良かったとの思い。
『暖かいです……ありがとうございます、れん姉ちゃん……』
しばらく俺達に抱きしめられた後、スーチンは緑の光から離れて、いつものように眠たげな目をして、微かに微笑んだ。
『いいの? れん姉ちゃん……』
「いいのよ、ずっとスーちゃんと一緒に居たいんだもの、皆もね」
「姉さん、どうだった?」
「うん、スーちゃんの未練は『故郷をもう一度見たい』だったけど、『皆とずっと一緒に居たい』に変えたわ。ごめんね、私たちの我が儘で」
『ううん、私も皆と一緒に居たいです、ずっと……』
「ありがとう、じゃこれからもよろしくねスーちゃん」
姉さんとスーチンが顔を見合わせて、笑い合った。
「あ、あたしもずっとスーちゃんと一緒がいい!」
「ふふふ、私もスーちゃんも仲間、ですものね」
『勿論、我々も』『ずっとスーチン様の僕なんですよー!』
姉さんの力で、ゴーストであるスーチンの未練を塗り潰す。それはある意味一つの魂を否定するような行いだけど、アイナさんも、ルナも、シルヴァーも、オーレリアも喜んでくれる。
『ありがとうございます……とっても嬉しい、です』
そう言って、今までないほどの笑顔が咲きこぼれた。
「よし、あの塔を目指そう」
これからもスーチンと一緒に旅をしようという方針を決めた後。俺は現状打開のためにスーチンの言ってた高い塔に向かおうと言った。
「外のツクモガミ達は?」
外を見れば、もはや大軍では済まされないほどのツクモガミが集まっている。
増殖でもしているかと疑いたくなるほど、黒山のように集まるゴーストの兵士は虚ろな目をして、獲物を構えている。剣、刀、槍、戟と、禍々しい気配を放つ鎧までいる、妖鎧といったところか。
そして最も厄介そうなのが、大群の後ろに構えているローブ姿のゴーストだ。どうやら俺たちが建物に籠っている間、魔術部隊までも出動していたらしい。妖刀たち魔術に強化され、黒い炎を纏ってさっきよりさらに禍々しくなっている。
先ほどの戦いで分かったことだが、ツクモガミの攻撃は千変万化、蛇のように曲がる武器もあれば、先端が分裂するのもある。何度も予想もしない方角から斬りこまれた。
この数のツクモガミと魔術部隊がいると、ルナとアイナさんを守りながらってのは少し、いやかなり厳しい。
かと言ってイージデ君を呼び出すと速度が落ちる、突破するところではなくなる。
その時、ルナは俺の裾を引いた。
心細さからと思って、頭を撫でようとしたが、
「フィレンさん、あたしも戦う」
ルナは刀を強く握りしめた。
戦う力と意志を身についた、強い眼差しだ。
「フィレンさん、私なら大丈夫です、気を遣わないでください」
アイナさんも、俺の手を両手で包み込んだ。
リッチである彼女は、どれだけ傷ついても消滅することはない。
「――分かった。奴らを蹴散らすぞ。姉さんは先頭、俺は殿、アイナさんはブレイダ―君と真ん中を固める、ルナは姉さんに続いて、撃ち漏らしたヤツを頼む、スーチンはそのサポートだ。皆、決して隊列を乱すな、いいか?」
『はい!』
アイナさんにもう一度多数武器付与・幽霊殺しを唱えて貰って、ドーンと《霹靂銃》で先頭にいる兵士を吹き飛ばし、俺たちは建物から飛び出した。
「やあああああ!」
潰す、投げる、蹴り飛ばす。
姉さんは妖刀、妖槍の群れの上で舞い踊る。
貫手でゴーストを霧散、
振り返って足刀で兵士を引き裂く、
そのまま前へ転回、踵落としで妖槍を両断、
着地する前に、鞭のように黒い霧を飛ばし、幾つものの妖剣妖槍を掴み、自分を前に引っ張る、
その勢いで諸手突き、妖鎧を砕く。
無駄のない動作、手足の至る所が必殺、そして決して疾走を止めない。
ツクモガミの武器がどれだけ速く、どれだけ鋭く、予想もしない角度から斬りかかろうと、より速く、より強く、追随を許さない鍛えられた技に破られる。
海を分ける一本の矢のように、姉さんはただひたすら塔へと進む。
「蒐窮の仮面:猛る戦士!」
隊列の最先端で猛威を振るう嵐が姉さんの役割であれば、その後ろで撃ち漏らしを処理していくのがルナだ。
加速と機敏で反応速度と肉体速度の両方を引き上げるのは、魔術戦士の定番といえる戦法。
それに加え、ヴァンパイアの身体能力。今のルナは、そうそうツクモガミ達に遅れを取ることはない。
その時、斜め後ろにいる兵士が、ルナの死角を突いて妖剣を上段から振り下ろす。
『八時方角、比翼!』
スーチンが言い終わる前に、ルナはすでに動いた。
目視するまでもなく、全身全霊にスーチンの指示を信頼して、全く対照の一撃を持って迎え撃ち、妖剣ごとゴーストを両断。
常に《神降ろし》で心の底から繋がっている二人だからこそできる連携。
隊列の中央は、アイナさんを乗せてるビャクヤとブレイダー君とがいた。
制圧力に長ける二体をここに置くのはアイナさんを守るためでもあり、ルナの負担を減らすためでもある。
横から何度もツクモガミの大隊が突撃を仕掛けてきたが、妖刀妖剣でさえ傷つけるのは困難である彼らのお蔭で、隊列が食い破られずに済んだ。
殿を務める俺は、サンドミイラで後続の敵の進路を断つ、ボンバーチルドレンを呼び出し大群を散らし、そして振り切られないよう、必死にビャクヤに追いつく。
どれくらい走ったか、俺たちはようやく塔に辿り着いた。
赤いレンガで造られた物見塔みたいな建物は金色の扉に守られてるが、そんなもの姉さんの一撃に耐えられるはずもない――の、はずだったが、姉さんはスパッと錠前を切断した後、扉に一撃を加わったが、金色の扉は倒れなかった。
「この!」
ドン、ドーン。
もう一回パンチ、《霹靂銃》のゼロ距離射撃も扉を破れなかった。まるで何かの力に守られてるようだ。
「ルナちゃん、魔術で!」
「ダメ!魔術の霊光が一杯、解除が間に合わない!」
魔術も、ブレイダー君の炎の放射も効かない。
今この間にもツクモガミ達がわらわらと集まって来て、俺たちを囲い込む。
まずい、このままでは塔を背にして延々と戦うことになる!今からでも転進……しかし方向転換だと隊列が乱れやすい、かと言って俺に姉さんほどの突破力がなく、このまま後戻りはできない。
動きが止まってる俺たちを見て、まるで何かが指揮を執っているように、ツクモガミ達は幾つかの方陣を組んで、突撃しようとしている。
数方向からの突撃を受けたら、俺たちは簡単にツクモガミの大軍に飲まれるのだろう。
そうなったら一巻の終わりだ。
その時、
『どうぞ、入ってください……』
声が、直接脳内に伝わってきた。
その直後、いくら攻撃しようとピクともしない扉が、音もなく左右に分かれた。
「皆、入って!」
姉さんは《破山砲》でツクモガミ達を吹き飛ばし、その隙に俺たちは塔に飛び込んだ。
突入した後、扉の外にサンドミイラを何体も召喚し、防壁を作り出す。
しかし先ほどみたいに、兵士たちは塔に足を踏み入れるのを恐れているようで、遠回りに塔を囲んでいるだけだった。
そんな奴らの目の前に、扉が音もなく再び閉じてしまった。
塔の中には、巨木を彷彿させる丸い柱、それと上への階段。
そして階段の横には、一人の女性。
異国の華美な装束を纏い、濡れ烏のような黒髪を足元まで伸ばして、黒い目は暗い井戸を思わせる。
歳は三十代前半といったところか、両手を前に組んで、一輪の花のような静かな佇まい。
そして、幽霊である。
『貴方たちが……ここを解放してくれるのですか?』
扉の前で聞いたのと同じ声が、脳内に木霊する。
解放?何のことだ?
俺が答える前に、
『母上……?』
スーチンの声がした。




