ふるふるとふわふわ
この物語に手をかけていただきありがとうございます。昔から私の心の中に住む彼らの事を楽しんでいただけると大変恐縮です。
カナコからのメールを確認した時刻は19時44分。少し急いで洋菓子屋アメールには19時55分に到着した。閉店時刻の20時にはなんとか間に合ったようだ。さらに奇跡的にもカナコご所望のシュークリームはまだ残っている。
今日は何か運が回ってきているのかもしれない。
自らの幸運にひとり耽っていると、
「ヒロくん」
カウンターの奥から帽子にクマのマスコットを付けたパティシエが話しかけてきた。洋菓子屋アメールのオーナーパティシエ雨宮さんだ。
「すいません。こんなギリギリに来ちゃって」
会釈する宏明に、
「いいのいいの、ヒロくんは常連さんだしね」
と雨宮さんは優しく微笑んでバットとトングを持ちケーキの配列棚の前に構えた。強面に大きな体格の雨宮さんとかわいらしいケーキとの組み合わせはアンバランスで、さながら森のくまさんだ。これは本人も公認とのことでクマのマスコットは奥さんがつけたらしい。
「で、今日は?」
トングをカチカチしながら尋ねられ、シュークリームを5つ注文する。
「あー、カナちゃんのおつかいか」
笑いながら配列棚に手を伸ばし、
「いやぁ、相変わらず仲良しだね」
と懐かしむように呟いた。
アメールには昔から宏明もカナコも家族ぐるみでお世話になっており、雨宮さんとも顔なじみだ。そのため、二人の好みも熟知されているのだ。
「ヒロくんもカナちゃんも最近来てくれなかったけど忙しいんだね。もう高校生か、早いなぁ」
のんびりと会話をしながら、手もとでは丁寧にシュークリームを箱の中に並べ入れていく。流石だ。その手際の良さを眺めていると、雨宮さんの手がなぜか配列棚にのびた。そして余っていたプリンを手に取ると箱の中に並び入れ、
「サービスで2つ入れといたから食べな!」
とニカッと歯を出して笑いかけた。
「え!?」
とっさの言葉に反応できずにいると、雨宮さんはロゴシールを貼って白い箱を密閉し宏明の前に突き出した。反射的に両手が出て支えてしまう。
「ちょ待っ!」
あまりの出来事に反論しようとするも雨宮さんは笑って誤魔化した。
どうしようか悩んでまた口を開こうとすると、
「甘えときなさいよ」
突如女性の声で制された。現れたのは雨宮さんの奥さん、ヒトミさんだ。奥の事務所で作業をしていたらしい。
「ヒロくん、このあとカナちゃんに会うんでしょう?最近2人とも来なくてこの人も寂しがってたのよ。どうせ余り物なんだし、ありがたくもらっておきなさいな」
図星だったのか雨宮さんは照れながら頰をかいている。
昔はよくサービスで余ったケーキや試作品をもらうことはよくあったが、
「え、でも」
と宏明はまだ渋っていた。なんせ高校生だ。『遠慮』という言葉を知っていると簡単に甘えることに抵抗がある。
しかし、
「シュークリーム代だけ払っておきなさい。じゃないとここにあるケーキ全部持たせるわよ?」
ヒトミさんはまだ数個ケーキの残った配列棚を指差しながら笑った。昔からサバサバとしたいわゆる姉御肌タイプの女性だ。そのためなのか、この人が言うと冗談に聞こえない。
そして宏明はこの大人には勝てないなと小さく苦笑し、
「…あ、りがとうございます」
と素直に好意を受けとって頭を下げた。
それを見た雨宮夫妻はお互いに目を合わせると満足気にニッと笑った。結婚したら夫婦は似るというが2人を見ているとそうなのかもしれないとよく思わされる。
その後、料金を支払い時間を確認すると20時15分と閉店時間を15分もオーバーしていた。看板の明かりも気づかぬ間に消されていたようだ。
しかし雨宮夫妻は、
「ヒロくんなら大歓迎だよ!またおいで」
「そうそう!ひさしぶりにからかえて楽しかったわ。次はカナちゃんとでも友達とでも来なさい!」
と店の玄関先まで送り出してくれた。何年経っても優しく見守ってくれるご夫婦に感謝をこめ、もう一度さっきより深く頭を下げて、宏明は店を後にした。
☆☆☆☆☆
洋菓子屋アメールから歩くこと約10分。児童公園を抜けた先、夜に溶け込んでいたかのようなモノトーンの建物が突如現れる。都市計画初期段階で建てられた各部屋防音室完備の二階建て共同住宅だ。近年立ち並ぶ建物は芸術性の観点からカラフルな住宅が多いのに対し、その落ち着きあるデザインは昔から得もいえぬ存在感を放っている。
「ひ、ひ、ひ…。ひ、ひ、ひ、ひ、ひ…あった」
数ヶ月ぶりだが何度も遊びに来ていたためか迷うことなく辿り着いたようだ。黒の表札に銀の彫り込みで『柊 hi-ragi』と書かれている。幼馴染である『カナコ』、柊奏子の家である。
とりあえずチャイムを押す前にどのように話しかけようか宏明は頭を整理する。昔はノックせずに扉を開けていたのだが、さすがに思春期。女子との距離感に悩む年齢だ。それに数ヶ月ぶりの再会ということもあり不躾なマネはできない。
『ひさしぶり、忙しい中悪いな』違うな。『お前数ヶ月ぶりに会うやつをパシらせるかよ』でも俺のせいだしな。
そのような一人芝居をしているとガチャリとドアノブが回り出した。
まだチャイム押してないはずなのに!
心の準備できてないのに!
RPG風に言うと『ヒロアキはコンランしている』状態だ。
とりあえず玄関ドアが開いたと同時にケーキの箱を前に突き出す。
「ひしゃ、さしぶり」
と平静を装って声をかけた。盛大に噛んでいたが…。
しかし、
「あぁ、ありがとう」
玄関扉を開けたのは50代前半くらいの痩せ型の男性だった。奏子の父親、柊秀二さんだ。
宏明は顔が熱を帯びていくのを感じた。
柊家は父娘二人暮らしだ。そして秀二さんが商社勤めで忙しいため帰宅が夜遅くなることが多く、奏子が一人で留守番をしていることが日常茶飯事だった。そのため、まさか当人が帰宅しているなんて思っても見なかったのだ。
「ごめんね、宏明くん。またうちの奏子がワガママ言って」
「い、え!こ、ちら、こそ!す、ぃません!」
娘について謝罪をする秀二さんに対し、宏明はしどろもどろになりながら返事をした。なにしろ紅潮した顔を両手で抑え込むのに必死なのだ。
「今日は私の仕事が早く終わってね、ちょうど夕食を用意していたところなんだが、ひさしぶりにどうだい?」
宏明の心情を察したのか、秀二さんが苦笑しながら尋ねる。笑った時にできる目元の皺は昔から変わっていない。
「は、はい!」
宏明はうわずりながら返事をし、客人用スリッパに手を伸ばした。
すると、
「あ…」
誰かの声が聞こえた。見ると小柄な少女が階段の踊り場からこちらを覗いている。
童顔にショートカットと実年齢より幼く見えるが今年で高校二年生、宏明と同い年である。幼なじみの『カナコ』、柊奏子その人だ。学校帰りと聞いていたが第一高校の制服ではなく、淡い黄色と黄緑の部屋着に着替えている。
「奏子、宏明くんが来てくれたよ」
秀二さんに呼ばれ、奏子は階段を下りてきた。
「さきにパパに会っちゃったんだね。とりま、ひさしぶり」
と宏明に笑顔で声をかけた。
だがその笑顔は数秒で対象を宏明から宏明の持つ白い箱に移した。
なんでだろう、見えないはずのしっぽを左右に振ってるように見える…。
宏明は大きくため息をついて、
「言われた通りアメールのシュークリームだ、これでいいよな。雨宮ご夫妻サービスのプリン入りだぞ」
とふて腐れながら奏子の前にケーキの箱を突き出した。
それを聞いた秀二さんはまた苦笑し、それで察したように奏子はケーキの箱を受け取った。
そして、
「おつかいご苦労!!」
と満面の笑みを浮かべる。
昔からの無邪気さが健在であることを嬉しく思ったものの、宏明は我慢できず手刀を奏子の脳天めがけて振り下ろした。
☆☆☆☆☆
「まだ痛いー」
奏子は自分のベッドに寝転がりながら頭をさすっている。
三人で夕食をとった後、仕事が残っているという秀二さんの邪魔にならないように奏子の自室に避難したのだ。
それからは、
「ひさしぶりに会った幼なじみにぃ、再会数秒でチョップとかぁ、極悪非道の限りだと思うんだよお兄さぁん」
とベッドの上で寝転んだまま不満を言い続けている。先ほどの手刀がまだ響いているらしい。
「だからこっちは用意してんだろーが」
宏明は口で反論しながらも、反省の意を込めて紅茶を注ぎ、買ってきたシュークリームを並べていた。
それを見た奏子は頰を膨らまし、
「パパも助けてくれなかったしぃ」
と今度は秀二さんへの不満も漏らした。
なにせ目の前で娘が、幼なじみとはいえ男に暴力を振るわれたのに対し、
『奏子をちゃんと叱る友達がいて助かるよ、もっとしな』と笑っていたのだ。
秀二さんにとっては昔から仕事で忙しく、奏子をあまり構えられていなかったことを気にしているのだろう。可愛らしい親子だなと思い出してつい吹き出してしまう。
それを見た奏子はさっきよりもふて腐れた顔になり、ベッドから下りて三角座りをした。
本当に小さい。身長は150cm前後だろうか。中学の時から変わっていないのかもしれない。サイズ感に以前と変化は見られないが、部屋着のショートパンツから無防備に伸びる足に宏明は思わず目をそらした。
そんな思春期男子の複雑な心境をよそに、奏子は紅茶の淹れられたティーカップに手を伸ばし口をつける。それに合わせて宏明も用意していたプリンに手を伸ばした。
しかし、
「…で?」
宏明の動きは止まった。声の主である奏子を見ると口元はカップで隠していたが、目はまっすぐに宏明を見つめている。
付き合いが長いと奏子が何を言いたいのかくらいは一言でよくわかる。
例えば今回の場合、『で、何話したいの?』の意だ。
宏明は無意識のうちに姿勢を正した。なにせ今日奏子に会いに来たのはただ昔のように手みやげ持ってバカ話をしたかった訳ではない。思考を現実に戻し、覚悟を決めた。そして先日から進路指導が始まったこと、自分の将来性と進路について悩んでいること、そして今日の放課後に沢音が進路について言っていたことを順に話しあ。
それを聞きながら奏子はティーカップの水面を見つめていた。前髪で表情は隠れている。
そして聞き終わってからの第一声は、
「で?」
だった。そして小首を傾げた。
これは『で?なんで私になの?』の意だろう。
「お前はもう自分が何をするのかを決めて第一高校に行っただろ。将来を見据えてるやつに相談してみるのもいいと思ったか」
「違う」
まさかの否定に宏明は思わず面食らった。
それに対して奏子は紅茶の水面に映る自分を見つめながら時折カップを揺らしている。
「わ、たしは、ママみたいになりたかっただけ。それが気づいたら将来の夢になっていただけ」
奏子は自分の心を整理しながら話しているようにとつとつと話し始めた。
奏子の母親は結婚するまで歌手だったそうだ。綺麗な歌声の持ち主でとても優しい人だったが、10年ほど前に病気で亡くなられた。そのため、柊家にはいくつもの写真が今も飾られている。
「私は昔から歌うの好きだったし、パパも目指せばいいって言ってくれたから第一高校に通うようになったの。それだけ。あとは敷かれたレールに乗ってるの。自分の決めた事だから、大学だってストレートで大学部進学予定だし。きっとほかの子たちも」
奏子はふっと悲観的な顔をして宏明を見つめた。
「そんな事悩んでるなんて…わざわざ私に聞かないで」
息をのんだ。自分が思っているものとは違う世界があることを教えられた。
中等部の進路選択時、一度は多くの者が第一高等部を目指すが、その後転部や転校は多いと聞いている。それはきっと過酷な芸術面スキル向上プログラムについていけなかった脱落者なのだろうと思っていたが、本当は自分のしたい事を見つけての計画的撤退だったのかもしれない。小さい頃からこの職業になろうと信じて努力を怠らないようにする事はどれだけ大変であるのかなど想像するには足りえないだろう。なにせそれは自分との戦いだ。それぞれが十人十色な重みと向き合っているに違いない。
そして奏子も同じで昔の自分との約束を守り、邁進し、他への選択肢を切り捨てて目指し続けているのだろう。それに比べ、宏明にはまだ選択の余地があるのだ。まだ悩んでいられるのだ。彼女達にとってはなんて贅沢な悩みなのだろう。
考え込んで黙ってしまった宏明に対し、奏子は細く息を吐くとほったらかしになっていた宏明のシュークリームに手を伸ばした。
そして、宏明をめがけて投げつける。
「うわっ」
悲鳴はあがるもののあまりの出来事に対応しきれず、つかみ損ねた手の中でシュークリームは潰れ、制服のシャツにはシュー生地の欠片とこぼれたクリームが散乱した。
「な、な、な、な!!?」
目をパチクリさせている宏明に対して、投げつけた本人は何もなかったかのようにシュークリームを頬張っている。
この野郎…。
とりあえず潰れたシュークリームを皿の上に避難させ、手とシャツについた残骸を全てティッシュで拭いとる。そして周囲を確認したがどうやらカーペットの上には落ちないように投げていたのか、被害は宏明のシャツだけのようだっだ。
「人の部屋で辛気くさい顔するな」
ぽそりと奏子が呟いた。
「は?」
思わず聞き返そうとするがシュークリームで表情が隠れていてよく見えない。いや違う。シュークリームの陰になるようにわざと顔を隠していた。もしかすると宏明に対しての自分の発言を後悔しているのかもしれない。奏子は昔から自らの行動に非があると思うと雑というか奇抜というか正直言ってわかりにくいフォローを行うことが多い。今回の場合も恐らく宏明の気を逸らそうとしたのだろう。
…他にも仕方はあっただろうにこれ以外方法は浮かばなかったのか。
昔と変わっていないということは…、少し奏子の人間関係が心配になった。
「お前まさか学校のやつにもこんなこと…」
「ヒロ以外するわけないでしょ!!」
即答ですか。というか、
「俺以外ってなんだ!俺以外って!」
「えー、言葉のままだもん」
奏子はぷいと頰を膨らまし、顔をそらした。
「『もん』って、がきかよ…」
宏明は思わず吹き出した。そして避難させたシュークリームに手を伸ばした。
せっかく買ってきたのだ。食べないのはもったいない。
シュークリームは潰れて原型をとどめておらず、ところどころのひびからカスタードクリームがはみ出している。汚さないように食べるのは至難の技だ。そんな宏明を横目に奏子は優雅にティーカップに口をつけた。どうやらシュークリームは食べ終わったらしい。
やがて、
「カタやんは大学部なんだね、そうだとは思ってたけど」
カタやんというのは片野沢音のあだ名である。と言っても奏子しか呼んでいないが。
「カタやんの実力なら高校も第一で行けてただろうしねぇ」
奏子も沢音の秀でた才には気づいていたらしい。
「まぁなんで第三高校に行ったのかくらいは想像つくけど…」
というとティーカップから顔をあげないまま、チラリと宏明に目をやった。
「!?」
顔にクリームが付いていたことがバレたのかと思わず顔を拭う。
「…まぁ、たとえカタやんに誘われたとしても、どっち選んでもそれはヒロの道だよ。責任はヒロにあるんだよ。自分で決めな」
そう言って奏子はまたティーカップに口をつけた。
夕方、親友に言われたのと同じ言葉だ。『何を選んでも自分の道なのだ』と。
宏明は細く息を吐くと今度こそ目の前に置いていたプリンに手をかけ、パチリとプラスチックの蓋を外した。途端に卵とミルクの甘い香りが鼻先をくすぐる。昔から宏明の大好きな香りだ。奏子もそれに倣ってプリンを手に取った。
それからの二人は無言だった。美味しさを噛み締めてというのもあるが、なぜかお互い話しださなかったのだ。
やがてどちらのプリンのカップも空になった頃、先に口を開いたのは奏子だった。
「プリンとシュークリームって似てない?」
意図が取れずに奏子を見ると空のプリンのカップをスプーンでかき混ぜている。
「プリンはカスタードクリームをふるふるに固めたもの、シュークリームはカスタードクリームをふわふわで包んだもの。同じカスタードクリームでも調理でいろんなものに変わっちゃうの」
ふふっと笑った。
「あまり上手くは言えてないぞ」
ツッコミながらもじゃれるような発言に宏明の頰は緩んだ。それがとても懐かしく感じられたからだ。
思わず考える。
こうして奏子や沢音らとバカ話していたい。
ずっとこのままで構わない。
将来なんて考えたくない。
成長なんてしなくていい。
その願いを壊す未来がとても憎い。
しかし、向き合わないといけない。
時は止まることを許してくれない。
本当に複雑な年齢だ。
でもまわりの者は皆考えている。奏子も沢音もきっと他のやつだって。
「…ありがとう」
気がつくと口から漏れていた。
それを聞いて奏子は満面の笑みを浮かべた。
その後、時計を見ると針は22時を過ぎていた。そろそろ帰らなければ。
食べた皿を片付けて宏明が帰り支度を始めると、
「忘れてた!」
奏子が慌てたように机の引き出しから何かを取り出した。それは開封済みの封筒で、宛名に「三輪学園第一高等部生徒関係者様」と書かれている。そして中から紙を取り出すと宏明の眼前に突き出した。
「これは…?」
「じゃーん!我が第一高校学園祭特別招待券!」
と奏子は自慢気に話した。そういえばメールに『学祭の準備で遅くなった』と書いていたことを思い出す。
学芸を極めんとする第一高等部の学園祭といったら学生や家族はもちろん、各界の著名人、一般客、進学志望者など多くの者から注目を集める三輪市有数の大イベントだ。
確かあまりにも人が訪れるからと、今は学校からの招待客と生徒関係者しか来場できなくなっていると聞いていたが。
「去年は渡す暇なかったからね」
と言うと奏子は招待券を一枚宏明に手渡した。そういえば去年はお互い新入生のため忙しく、会う機会もなければお互いの学園祭のことなど考えてもいなかった。
「みんな大学部を目指してる人たちばかりだし、どういう人がいるのか見るのもいいんじゃない?」
招待券をつい凝視していた宏明の横で奏子は小首を傾げた。
「…予定空けておくよ」
宏明は招待券に皺がつかないよう丁寧に手帳に挟むとカバンの中に直した。
「それで、奏子は何で出るんだ?」
素直な質問だったが奏子は、
「秘密」
と唇に指を立てて少しはにかみながら誤魔化した。
☆☆☆☆☆
宏明が帰っていく。
玄関の外で奏子はその背中を見つめていた。夜風が涼しい季節だが、ショートパンツの生足にはやや寒い。
奏子から招待券を受け取ると宏明はすぐに柊家を出た。なんせ時刻は23時前。いくら家が近いからとはいえ長居はさせられない。
ひさしぶりに見た幼なじみは少し背が伸びていた気がした。声が変わっていた気がした。前より少しツッコミが辛辣になっていた気がした。でも力加減は優しくなっていた気がした。
今日会ったなかで宏明の事をひとつひとつ思い出してみる。
宏明も同じことを考えただろうか?私の背は伸びたかな?大人っぽくなってたかな?
…でもやっぱりあの鈍感野郎はそんなに変わっていないとか思っているのだろうな。
などと一人で小さく苦笑してしまう。
「でもヒロの根っこは変わってないね、いつになっても優しいや」
もう宏明には聞こえないだろう。姿は夜に紛れていく。
奏子はふと宏明の発言を思い出した。
『あまり上手くは言えてないぞ』
さっきのプリンとシュークリームの話だ。
そんなことないよ。私は変なこと言ってない。
だって始めはおんなじカスタード。
「プリンはね、材料とかやり方とかいっぱい試行錯誤してしっかりしたプリンができてくの」
そして、
「シュークリームは…」
ふわふわに閉じ込められてるんだよ。
宏明の姿が完全に見えなくなり、奏子は家の中に入って鍵をかける。
ふっと乾いた笑いが漏れた。
自分自身を変えながら試行錯誤を繰り返し、やがて自分のカタチを持つプリン。
一度中に入ったら、食べてもらえるその時まで外の世界を遮断されるシュークリーム。
「…やっぱり似てるよ」
奏子は届かぬ反論を口にした。
そして大きく深呼吸し、顔を叩いて気合いを入れた。
なにせまだ途中なのだ。止まっている暇などない。
だから頑張れ。
頑張れ宏明。
君も試行錯誤の真っ最中なんだから。
私も君を待つひとりなんだから。
「今ならいい詞が書ける気がする」
奏子はクスリと笑い、自分の部屋へと戻っていった。
お話をご覧いただきありがとうございます。
作家の誰かが言いました。
『作家には二種類いる。1人は元からストーリーを書く人、1人は浮かんだものを片っ端から原稿に書いていく人』
言っていた人は後者だそうで、気がついたらキャラクターに思わぬ設定がついていたりするそうです。
私はもとは前者なのですが、書いているうちに設定が増えて、気がついたら大人しいイメージで描いてた奏子がやんちゃ系になってたりしました笑。まさか主人公にシュークリームを投げつけるというバイオレンスシーンができるとは…。
とりあえず!彼らの成長を曲がりくねりしながらも書き続けて行きたいと思いますのでこれからも優しく見守っていただけると大変嬉しく思いますこでよろしくお願いします!