迷える少年
私の中に住む彼らの群像劇
どうか優しく見守ってください。
とまぁ、最初に長々と説明文を加えたものの前述された内容はこの町に暮らす上で必ず知ることとなる常識の一角に過ぎない。すなわち三輪市出身三輪市育ちの瑞瀬宏明にとっては幼少期から読み聞かせられている教科書のようなものなのだ。
宏明としては出生したのがマニフェスト施行後のため施工前の状況など知らないが、学都になる前の三輪市については両親や祖父母らから聞かされている。街の変貌は衝撃的だったそうで、当時近所に住んでいた者の多くはその変化に追いつけずに引っ越したそうだ(そのため、それでもまだ三輪市に暮らすものは神経が図太いのだと宏明は判断している)。
その後、三輪市に訪れた大きな変化によって、瑞瀬家のように代々この地に住み、町に新たに根付いた芸術文化を取り込まんとする者や芸術文化に恵まれた街に暮らすことで自らやその家族の才能を開花、強化せんと移り住みはじめた者などが多く暮らすようになり、今のような一大芸術都市へと変貌を遂げたらしい。どちらにせよ、宏明にとっては三輪市に根を張った芸術文化にあやかろうとするエゴの塊のように思えて仕方がないのだが…。
なにせ様々な過程を経て、同じ目的を持った住民たちの望みは自らの子孫にやってくるのだ。
つまりは『この素晴らしい土地にて育った子供たちだ。何か才能があるに違いない』という思考に陥るのである。
輝く未来への渇望は自らの力で叶えられなくなると、毒のようにそれぞれの心に浸食していき、時が経つほどに濃縮され、やがて希望は義務となり、願いは無言の圧力となり、それぞれの子孫に重くのしかかっていくのである。 (現に宏明も幼少期に母親が齧っていたからという理由でヴァイオリンを習わされていた。必死に練習した小学生時代、県主催のジュニアコンクールで奇跡的に三位に入賞した時の母親のドヤ顔を忘れた日は一度たりともない…)
…ともかく、述べたような数多のプレッシャーの中で育てられてきた子ども達にはその責務から逃れるか否か、家族のためでなく自らのために、避けることのできない大きな選択の時がやって来る。
つまりは自らの未来、進路だ。
それは高校二年生になる宏明にとっても逃れがたい現実である。
三輪市内は大きく第六地区に区分されており、各地区にあわせた学校施設として幼稚部・初等部・中等部が存在する。そして三輪市在住の子ども達はそれぞれの地区の学校を利用するのが一般となっている(ちなみに瑞瀬家は第二地区所属である)。中等部卒業後、多くの学生が進学する三輪学園高等部は大学進学への準備段階とされ、内容から3校構成に分類されており、第一高等部は自らの芸を高めるための学芸特化型、第二高等部は将来のために芸術面を切り捨て勉学を重視した学業特化型、そして宏明の所属している第三高等部はまだ進路を明確に決めきれていない学生向けの言ってしまうと優柔不断型とされている。そのため、第三高等部の学生達の多くは二年生秋の進路指導時に学芸を極めるのか、学業を極めるのか、これからの自らの未来が懸かる最初の大きな選択に立ち向かわなければならない。
そして現在、三輪学園第三高等部2-Bの教室では白い紙を前に学生達が眉間に皺を寄せ、教壇の上では教師が進路の重要性を熱弁している。夏休み明けから始まった進路指導特別授業により、それぞれに進路希望調査票が配られているのだ。その紙を前にペンを走らせる者もいれば、頭を抱える者、ただ天を仰ぐ者、固まったまま微動だにしない者、各々が将来を意識して悩みながらも進路希望調査票に向き合っていた。宏明はというとまだ具体的に書く内容が決まっていないためペンを指の間でもて遊んでいた。時折目の前の白い紙を読み直したり、つまみ上げて揺らしては机の上に置き直したりを繰り返している。意味のない行動であることはわかっているのだが、なんの変哲もない紙が自らの将来に関わり始めるという現実を拒否したくなる年頃なのだから許していただきたい。
ふと前を見ると熱弁教師はパイプ椅子に座り、目を閉じていた。横に置かれたペットボトルの中身が半分以下になっていたところからどれだけ熱心に語っていたのかがうかがえる。それだけ必死な教師を見ると現実を突きつけられたような気がして仕方がなかった。
やがて教室にチャイムの音が響き、生徒のペンの音が完全に止まると、それを待っていたように教師は立ち上がった。
「書き終わったやつから回収する。終わってないやつは3週間後のこの時間までに職員室の回収ボックスに入れるように」
その言葉を機に進路指導からHRに移り、終わる頃には先ほどの将来への緊張感などなかったかのようにクラスメイト達は帰り支度を始めた。
「進路相談のいるやつはいつでも相手をするのでまた言ってこいよ」
と教師は捨てゼリフのように手を振りながら教室を出て行った。好感のあり、人気の高い教師だが今日はついついその後ろ姿を睨みつけてしまう。まだ先だと思っていても社会に出るという未来が確実に近づいてきているということを実感させられてしまうのは癪にさわるのだ。
だからと言ってそれが教師を睨む免罪符になるわけでもない。宏明は細く息を吐くと帰り支度を始めた。
ぞろぞろと教室を出て行くクラスメイトに手を振りながらこの後どうするかを考える。
帰宅部のためすぐに帰ってもよかったのだが、将来の話をされて何も考えずに帰れるほど能天気にもいかなかったのだ。とりあえず鞄を肩にかけ、教室を出ることにする。行き先は歩きながら決めていくことにしよう。
三輪学園の高等部にはいつでも利用できるように多種多様な自習室が用意されている。それぞれの自習室は内容によって異なる特別棟を要しており、美術棟・音楽棟・総合図書館とに分けられている。中には美術室や大教室、スタジオ、ホールなど様々な特別室が設けられており、部活動未所属の学生の多くはそれらを利用して自習や自主練を行うのが放課後の光景だ。
とりあえず総合図書館で勉強しようと思いはしたのだが、宏明の足は重かった。一歩一歩が遅い。他の学生が自分を横目に通り過ぎていくのを見て、気がつくとまた息をついていた。とりあえず階段踊り場の壁にもたれかかり目を閉じる。
これからどうするのか。
これからどうなるのか。
これから何をするのか。
将来への不安が頭をよぎっていった。
どうして高校二年生の自分がこれほど未来を案じているのか。理由はわかる。きっと自らの未来の為にと学芸特化の三輪学園第一高等部に通っている幼なじみの顔が浮かぶからなのだと。
彼女とは2年生になってからは会っていない。学芸特化として学力と同時に行われる芸術面スキル向上プログラムが忙しいらしくなかなか会えていないのだ。本人からは宏明の通う第三高等部の数倍もカリキュラムが詰められていると聞いていた。
「会いに行くべきかもしれないな…」
将来を相談するには夢がある者に聞く方がいいのかもしれない。昔からおせっかい、もとい世話焼きないい奴である。きっと「忙しいのに」と愚痴をこぼしながら相談にはきちんとのってくれるだろう。
そうと決めた宏明は携帯電話を取り出し、幼なじみの名前『カナコ』の文字を探した。メールを送信しようと思い、送受信履歴をスクロールする。が、なかなか出てこない。小学校で出会ってから中学卒業まではほとんどともに行動していたし、高校入学後も休みにちょこちょこ会っていたつもりだったのだが、自分が思っていた以上に『カナコ』とは連絡をとっていなかったという事実を痛感する。
仕方がないので新規メールを立ち上げて、本文入力。
内容は
『今日時間あるか?』
でいいだろう。
送信ボタンを押すと封筒に羽が生えて飛び立った。しばらくしたら返事がくるだろう。
メール送信完了画面を確認して携帯をポケットに入れると宏明は肩の荷が下りたような、一仕事終えたような気持ちにおちいっていた。先ほどの将来への不安による緊張感もなくなっている。
彼女は『洋菓子屋アメール』のシュークリームを昔から好んでいたから買って帰るとしようなどひさしぶりに会う事になるであろう幼なじみのことを思いながら、足取り軽く、生徒昇降口へと向かった。
☆☆☆☆☆
はずだった。
だが今いるのは全面防音壁の小さな部屋、学校内の音楽棟練習用スタジオS-9(音楽棟の練習用スタジオは大きさによってL=Large、M=Medium 、S=Smallと名前が異なる)だ。
現在、部屋の真ん中には黒い電子ドラムセットが鎮座しており、腕まくりをした男が1人各ドラムの固定具の確認を行っていた。細身ながら袖口からはそれなりに筋肉質な腕が窺える。
「うっし!できた!」
男は声をあげるとくるりとこちらを向いて微笑んだ。
短く刈り込んだ茶髪、耳にはピアスと浮ついた印象があるものの、身につけている黒縁メガネと整った顔つきからは真面目な印象も感じさせる男だ。片野沢音、中等部からの宏明の友人の1人である。宏明からしたら性格はチャラ男で考えるより即行動の猪突猛進型トラブルメーカーである。
「おい、ヒロ」
そんなことを考えていると突如、沢音が声をかけてきた。
「お前、今失礼なこと考えてないか?」
…そしてなぜか勘の鋭い男である。
宏明は手で顔を覆いながら大きく息を吐いた。
そして、
「当たり前だ!帰ろうとしてた俺を自主練にひっぱってきたのはお前だろ!」
宏明はこの状況に対する不満を叫んだ。
なぜ帰ろうと生徒昇降口に向かっていた宏明が真逆の場所に位置する音楽棟にいるのか。それは30分ほど前に遡る。
廊下を昇降口方面に歩いていた宏明の背中に突然沢音がのしかかり、
『このあと時間あるか?あるよな?いけるよな!よし行くぞ!』
とこちらの返事を聞くこともなく、無理やり引っ張ってきたのだ。
いまだ苛立ちを隠せない宏明に対して、
「そう言いながらヒロはいつも自主練付き合ってくれるよな」
と沢音はまじまじと見つめてきた。
「なんでいつも俺なんだよ」
宏明は虫の居所が悪くなり、顔を背けながら聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。
沢音には音楽の才がある。それは周知されていることだし、宏明自身も出会った当初から感じていたことだ。だから自主練習をするなら宏明以外の友人にも頼めばいいはずだし、もっと上手い奴と合わせればいいのにとも思うのだ。しかし沢音は何かと他でもなく宏明を指名しては付き合わせていた。
それまで抱えていた素朴な疑問が無意識のうち、独り言のようにこぼれ出ていた。我ながらハッとする。口を抑えても取り返しはつかないというのに手で口を隠した。そしてゆっくりと沢音の顔を見た。もしかしたら怒ったかもしれない…。しかし沢音の反応は意外なもので、途端目を丸くしたと思ったら、チェシャ猫のように口を三日月型にして笑みを浮かべたのだ。
「そりゃあヒロとは音楽の趣味合うし、面白いし、真面目だし、付き合いいいし、それに」
突然宏明に背を向けると、
「ヒロは俺の家にそんな興味ねーじゃん」
と付け加えた。
父親は有名な指揮者、母親は元ピアニストという音楽一家に育ち、沢音という名前も父親に名付けられたと中学の時に話されたことがある。その事でクラスメイトから質問をよく受けていたようだが、宏明はそこに加わったことはない。もしも本人が話したくなったら話すだろうし、話さないのなら不用意に質問するのも悪いと思っていたからだ。
それでなのか前に沢音から、
『だから、お前は心地いい』
と言われた覚えがあった。どんな状況だったのかは忘れてしまったが。もしかしたら今まで多くの色眼鏡で見られて育ってきたのかもしれない。
その結果なのか、出会った当初はただのクラスメイトで特段話し合う仲でもなかったというのに、今ではすっかり懐かれ、もとい親しい間柄だ。こちらに背中を向けた理由が自分の発言をらしくないと恥じているのかもしれないと推測できるほどには。それでも今言われるまで気づかないものもあるのだなと向けられた背中を改めて見つめなおした。
すると、
「ヒロ」
背を向けたまま、沢音が話しかけてきた。
「今、進路悩んでんの?」
「…!」
背中で氷の刃が研がれたように背筋が伸びた。宏明がそうであるように沢音も宏明のことがわかっているのだろう。
「わからないよ。沢音は決めたのか?」
自分のことを誤魔化しながら、質問を返すと沢音は腕組みをしながら「んー」とゆっくり振り向いた。
そして、
「わからん!」
…言い切りやがった。
あまりにもはっきりと物申され、宏明は呆気にとられて、バランスを崩しこけそうになる。なんとか立て直して沢音の顔を見るとまたチェシャ猫笑いをしていた。狙って言ってやがる…。思わず眉を寄せて睨むが沢音はまたクスリと笑い、ゆっくりとしかし真摯に話し始めた。
「昔は親父みたいに指揮者になることを疑わなかったよ。両親から音楽の英才教育は受けてきたし…けど、指揮棒とは違う何かを求めてる自分もあったから。今はそれがスティックだったのかもしれないとか笑いながら言えるけど…」
そして一呼吸を入れ、
「でもこれが本当に正しい道かどうかはまだわからないよ」
沢音は宏明をまじまじと見つめながら言いきった。一般男子に比べて大きく丸い瞳からは沢音の真剣さが伝わり、宏明はつい目をそらす。
すると沢音も堪えきれなかったように吹き出した。
「お前!俺が必死で伝えたのに!目を反らすなよ!ちょっと青春の1ページ的セリフ言ったのが一気に恥ずかしくなんじゃん!」
「今のはムリ!マジでムリ!ただでさえ真面目な内容でメンタルヤバいのにヤローに見つめられながらとか何だよコレ!」
「なんだと⁉︎今の俺は至極真面目だったのに!マットーだったのに!俺の好意をよくも!ってか俺もホントは嫌なんだからな!ヤローと見つめ合うとか!あー無理!無理!思い出したら恥ずかしさで死ねる!」
気づくと宏明も笑ってしまい、お互いの感想を大声で叫んでいた。ここが防音室でなければ誰かに怒られてしまいそうなレベルだ。
どうにか一通り笑い終えると、宏明の腹筋は痙攣を起こしていた。沢音はというと床に寝転び、天井を仰いでいる。まだヒッヒッと何かの発作のような笑い方をしているあたり、相当堪えたらしい。
痙攣を抑えるためにも宏明が居ずまいを正そうと床に手をつくと、
「俺は大学部へ行くよ」
沢音は呟いた。見ると、寝転んだまま両腕で顔を隠している。
「親父は俺がドラム始めた時からもう指揮者を目指すことはないって考えてたらしい。知ってるか?ドラマーは一部のミュージシャンの中では指揮者って呼ばれてるんだってさ」
ケラケラと笑いながら話す。
「運命ってるよな」
普段の沢音の割には様々な感情のこもったような笑い方だった。
「親父にも母さんにも言った。お前の人生だからって賛成してくれた。失敗してもお前の人生だって笑ってたがな。でも一度ちゃんと目指してみたいって本気で思ったんだ。だから俺は大学部に行くよ」
気がつくと沢音は起き上がっていた。そのまま顔を隠していた腕を床につけて、前のめりになり、
「だから」
また宏明を見つめた。その瞳には先ほどにはなかった何か決心のようなものがあった。
「お前にも来てほしい」
「…」
「…」
先ほどのように誤魔化せなかった。『プロポーズみたいだな(笑)』なんてふざけられなかった。今の沢音の言葉はそんな言葉を望んでいないのだ。真正面からきた言葉には真正面から返すのが相手への敬意だ。
しかし今、沢音に言葉を返すにはまだ足りないものが多すぎた。
なにも言えずに黙り込んでしまった宏明を見て沢音は大きく息を吐き、体をのけ反らせ、
「クッソー!一世一代の俺の告白がー!」
誰にでもない叫びをあげるともう一度宏明に向き直った。
「まぁ、しょうがないな」
ニッと笑うと立ち上がり電子ドラムの電源を操作し始めた。
「ヒロ、これから先はお前のもんだし、お前が何をやるのもお前の自由だが」
背中を向けながら話しかける。
「俺みたいに『ヒロはコッチがいい』って思ってるやつもいるって覚えといてくれよ」
宏明は苦笑した。まさかここまで言われるとは、と。
「沢音、お前ホントに俺の事好きなんだな」
意地悪く笑いながら問いかけると、
「当たり前だ。告白はされる側であってする側は初めてなんだからね!」
語尾に謎のツンデレを入れて返された。
音楽センスが高い沢音にこのように言われるとは思ってもみなかった。『こいつに認められるならそういう未来も』と思う自分もいた。
だが、まだ足りない。それが何かはわからないのだが。
とりあえず人の機微に敏い親友の言葉は宏明に未来への可能性を新たにもたらしたのだった。
「とりま、来たからにはちゃんと練習するからな」
沢音は背中を向けたまま、話しかけた。まだ先ほどの話をむず痒く感じているのかもしれない。
そして、
「ん」
こちらを見ないまま沢音はドラムの横の壁を指差した。
電子ドラムと沢音で隠れて気づかなかったのだが、見てみるとそこには一台のエレクトリックギターが立てかけられている。
「そいつ、今日の相方ね」
沢音はドラムスティックを構えながら、宏明を見てまたチェシャ猫笑いした。ドラムと一緒に準備は終わらせてあるらしい。
思わず、
「お前、本当に俺に嫁げるんじゃないか」
と冗談めかして言ってみると
「あらやだ!私頑張ってみそ汁毎日作るね♡」
沢音はウィンクしながら返した。宏明は我慢できずに思わず吹き出した。
☆☆☆☆☆
最初は音出し、その後好きなバンドの曲を数曲、前に作った曲の編曲、最後の方では歌詞の意味を語ったりと2人の趣味へと走っていた。
気づくと時計の針は19時を示そうとしている。楽しい時間は酷にも過ぎ行くのが早いものだ。沢音にこの後予定があるからと練習を終わらしてもらう。
楽器を倉庫に片付け、正門を出る頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。よく見ると空の先はまだ紅みを帯びており、秋の終わりを感じさせる。
2人並んで帰路についた。宏明は徒歩だが沢音は自転車通学のため、ライトグリーンの自転車を押しながら歩いている。先ほどのセッションの話、好きなバンドの話、学食の期間限定メニューの話などたわいの無い話をして歩く。
そして話題が共通の友人の話になった頃に、
「なぁ、ヒイちゃんと連絡取ってるか?」
ふと沢音が尋ねてきた。『ヒイちゃん』というのは宏明の幼なじみ『カナコ』のあだ名である。といっても沢音しか呼んでいないのだが。
「カナコとはまた会おうと思ってるよ。進路の相談をしようと思ってさ」
『進路の相談』という言葉がチクリと刺さった。そういえばHR後にメールを送信してから携帯を確認していないことを思い出す。沢音と別れたら確認しなければ。
そんな事を考えていると、
「そうか」
と沢音が相づちを打った。しかし心ここに在らずといった声音だった。
中学時代、沢音には幼なじみとしてカナコを紹介しており、3人で遊ぶ機会は何度かあった。そのためか高校が分かれてからも時折、宏明に進捗状況を尋ねてくるようになっているのだ。以前、『聞くぐらいなら自分でメールでもすればいいのに』と沢音に言ったことがあるのだが、『お前みたいに幼なじみで能天気に話せる仲ではないからな』と妙な皮肉を返されてしまった。昔からカナコは男子の中では人気のあるほうだったし、沢音も少し彼女の事が気になっていたのだろうと宏明は考えている。
だが、それを考慮してもボーとするなんて沢音らしくない。思わず顔を覗こうとすると、視線に気づいたのか沢音は宏明に対してニッと笑って、
「ヒイちゃんに会ったらヨロシクな!」
先ほどの声音とは違う、いつも通りの声だ。しかし沢音の声音の急激な変化は何かを隠している証拠だと宏明には思えて仕方がなかった。
何を隠しているのか。
何故言えないのか。
宏明が聞こうか悩んでいると、
「浮気したら許さないんだからね!」
ここで沢音はまた謎のツンデレ発言を入れてきた。思わず目を丸くしてしまうが、恐らくそれが沢音の目的だったのだろう。人の機微に敏く、周りの空気も自分の性格を利用して操る。これは沢音の十八番だ。何を隠していてもまだ聞かないでいた方がいいのかもしれないと宏明は沢音の策に丸め込まれることにした。
それからはまた中間テストの話、駅前のファーストフード店の話などたわいのない話に戻っていた。
しばらくして商店街に入ると沢音は自転車にまたがり、トーントーンと足で地面を蹴り出した。十数メートル先にあるポストが2人の別れる定番スポットになっているのだ。お互い、そろそろと思いながら話をきりあげる。
別れ際に、
「…かわ」
沢音がぽそりと呟いた。
「え?」
宏明が聞き返そうとすると、沢音はまたニッと笑った。その顔は『いつか話すよ』と言っているようだった。
思わず聞き返そうとすると、
「じゃな!」
と沢音はいつも通りの声で手をあげた。
なんだか誤魔化された気もするが、
「おう」
と応えることしかできなかった。
そして沢音は自転車のペダルを踏み込むと商店街を突っ切って住宅街へと走っていった。
宏明は沢音の姿が見えなくなるまで待ってから自分の携帯を取り出した。音楽棟に連行されてから確認していないはずだ。しかし見ると新着メールはまだ来ておらず、一応受信問い合わせをするも広告メールのみが確認された。カナコからの返信はまだのようだ。仕方がないので携帯をポケットに直そうとしたその時、携帯の画面が光り、羽の生えた封筒が舞い降りてきた。慌てて持ち直すと、受信確認音が響き出す。
差出人は『カナコ』。返事が遅かったのは恐らく今まで学校だったからなのだろう。内容にも書いてあった。
『ヒロひさしぶり!返信遅れてごめんね!学祭の準備してたら長引いちゃって』
ところどころに顔文字や絵文字のある女子のメールである。文面は続いている。
『今日?今からならたぶんいけるよ!
お代はアメールのシュークリームで(笑)』
やはりそう来たか。カナコのご所望品は宏明の予想通りのシュークリームだった。つい小さく吹き出してしまう。
しかしメールの追伸を見て宏明は眉根を寄せた。
『PS.ヒロ相変わらず文短すぎ』
ご丁寧に口を大きく開けて笑う猫の絵文字付きだ。
「…余計なお世話だ」
ぶすりと呟くと、宏明は早足に商店街へと歩き出した。
前回が説明ばかりでちゃんと物語になっていませんでした(>_<)
が、今回はちゃんと物語としてるかな?とても心配です。
どうかあたたかく見守って彼らの成長をともに見ていただけると幸いです。