7話~包丁と結界と~
「お兄ちゃんどいて、ソイツ殺せない」
「紗智落ち着いて。その包丁を今すぐ台所に置いてきて!」
紗智は俺達をリビングに通した後、台所から一般的な包丁を持ってきてそれを両手で構えた。普段の無邪気で可愛らしい紗智の様子とは思いもよらないほどの殺気を放っている。
『ふむ、これは修羅場と言うやつか?』
一人スケッチブックを持って事も無げに会話に混じっているが、一応言っておく。狙われてるのは綾辻さんだからな!
ちなみにさっきの合言葉は俺と紗智だけの秘密だから、体は真宵ちゃんでも中身は真宵ちゃんではなく俺だと分かったのだろう。紗智も変なところで鋭いからな。他の人と違った景色が見えているのだろうか。
「紗智。何も綾辻さんに包丁を向ける必要はないだろ」
紗智のフェイントに対応しながら綾辻さんに包丁を向けないように守る。紗智に人を傷付けてもらいたくないからな。
「だってその女がお兄ちゃんを殺したんだよ……!」
「え? 何言ってるんだ紗智?」
「本当だよ。そこの女が、お兄ちゃんを……今すぐ離れて!」
「落ち着け、紗智。落ち着けってば!」
しかし紗智は俺の声が届いていないのか頑なに包丁を握り締めている。
「(先輩、さっきも言ってたけど紗智の言うことって……?)」
「(正直さっぱりだ、分からない。だけど分からないからこそ落ち着かせないといけない)」
とは言えこのままじゃ正直ジリ貧だ。
綾辻さんを囮にしてその隙に紗智を羽交い締めにして行動出来なくさせる事も頭の片隅にちらつくがそんなことはしない。したくない。下手にやると紗智の体を傷付けてしまう可能性も、紗智が綾辻さんを傷付けてしまう可能性もあるからな。
ふと、肩をトントンと叩かれる。
「その穢らわしい手で、お兄ちゃんに触れるなぁぁぁっ!」
だが、それをすぐに見ることは出来なかった。
紗智が目を真っ赤にして包丁を腹の前で固定して突進してきた。
咄嗟に綾辻さんを抱きながら横にジャンプする。もしこれがこの体ではなく、俺の体だったら動けなかっただろう。
「(先輩大丈夫ですか? 私の体に傷なんか付けてないですよね?)」
正直こんなときでも自分の体を心配出来る真宵ちゃんが凄いなって思う。まあよくよく考えたら真宵ちゃんが傷付くイコール俺が傷付くってことだから遠回しな俺の心配ともとれるけどな。
『七大罪の気配がする』
再びトントンと叩かれてスケッチブックを見るとそんな事が書いてあった。
っていきなり過ぎやしないかな。心構えとかなんにもしてないんだけど。
「(先輩、七大罪って、もしかして紗智がおかしいのと関係があるんじゃ)」
「(そうだな。もしそうなら――戦うぞ)」
意識をスッと真宵ちゃんに受け渡す。
紗智は再び倒れている状態の俺達を狙って突進してくる。こんなことならさっさと立ち上がっておくべきだったか。
だけどそれはあくまでも俺の場合の話。体のコントロールはすでに真宵ちゃんに受け渡されているお陰で、危なげなく綾辻さんを持って回避すると中庭に出る。
『よし出来た。結界を発動するぞ』
綾辻さんがスケッチブックの1枚を引きちぎると、魔方陣が描かれた紙は空中に留まると同時に世界の色を白く白く染め上げていく。
「そう。今度は私を殺す気なんだ……いいよ。そこまで私達兄妹に恨みがあるなら、その四肢を切り刻んで……コロシテアゲル!」
真っ白な世界に色を持つ紗智の体から赤い色が吹き出していく。
やがてその吹き出された赤色は狼のような姿に変わった。
『ほら、君たちも早く変身した方がいいんじゃないの?』
「えっ、変身って?」
そう言えばその事を一切話していなかったな。いや、契約の時のお決まりと言っても差し支えのないセリフを言ったから、俺自身伝えたもんだと思っていた。でも今思い返してみたら伝えてなかったな。てへぺろ。
「(何、簡単に言うと戦うための準備だ。体のコントロールを渡したのもそのためだし)」
「(はあ……)」
何やら深く理解していないようなので必要な事を話すとしよう。
「(いいか、よく聞けよ? 真宵ちゃんには大事な事を俺と叫んでもらう必要がある)」
「(何ですか? もうこの時点で私。すでにろくなことにならないと悟ったんですが)」
うんざりとした表情をしているのが見ていなくとも分かる。だけど今はそんなことでウダウダしていられない。
「(叫ぶ内容は『マジカル、シニカル、カルマカル!』だ)」
「(何でそんなカルに拘っているんですか)」
知らないよそんなこと。
「(とにかく叫んで)」
「(嫌ですよ。何でそんな恥ずかしいセリフなんか……)」
「(一刻も早く変身しないと紗智が苦しんじゃうんだぞ!)」
嫌がる真宵ちゃんにこのセリフは卑怯だと思うけど、でも四の五の言ってられる状況ではないことは真宵ちゃんも理解しているのだろう。
少し唸った後に「今回だけですからね」と一言添えた後に、声高らかに思いきり叫ぶ。
「「(マジカル、シニカル、カルマカル!)」」