プロローグ~卒業の日 1~
ピピピピピピピピピ!!!
ジリリリリリリリリ!!!
けたたましい目覚まし時計の音が両サイドから鳴る。
「おーにーいーちゃーんー!」
微かに開いた視界に映る麗しき妹。
その妹がなんとあろうことか。
「あーさーだーよーー!」
ベッドで寝ていた俺を目掛けて、俺の鳩尾を目掛けて、ジャンプをしてきた。かましてきた。
ただその事に本人は気付いていなかったのだろう。
「ぐふっ……」
妹から放たれるそのあまりにも強力な右膝での衝撃に、俺は、目覚まし時計の喧しい音すら静かに聞こえていった。
☆☆☆
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう、紗智。後、俺今日学校の卒業式だからね? 少なくとも人生の卒業はしたくないから」
ペロッと舌を出し可愛く微笑むこの俺の妹は美少女だ。
それも紗智はこの地域では一番の美少女であり、アイドルでもある。
何しろ紗智が楽しげにしていると地域の人達もつられて活気に満ち溢れ、逆に落ち込むとやはり地域の人達も落ち込み暗くなる。
それから新嶋紗智親衛隊という紗智を見守り保護する団体もある。
とは言え親衛隊は俺が創ったものだけどな。気付けば紗智からのお墨付きをもらっている。むしろ俺が創ったからこそのお墨付きなレベル。
「お兄ちゃん、朝ご飯作ってあるから一緒に食べよ」
悪気もなく紗智は話を変えてくる。俺としてもここでグダグダするのは良しとしないので紗智に続く。
リビングにあるテーブルは和食で彩られていた。
白飯、お味噌汁、漬物は勿論の事。主菜として肉じゃががある。
この肉じゃがは昨晩紗智が作っていたもので、一晩置いただけあって味が染みている事だろう。
そして極めつけである俺の大好物。近くの和菓子屋で売っている大福が置いてある。紗智は甘党なので時々こうした謎の組み合わせになる。とは言え今日はラッキーだけどな。
「お兄ちゃん、いきなり大福は食べないで!」
残念、大福の半分ははすでに口の中だ。
それにしても大福はこし餡に限る。
滑らかな餡の舌触りは、つぶ餡の明らかに手抜きだろうと思われるざらざらとした舌触りとは違い程よい甘味と、至高の幸福感を俺に与えてくれる。異論は認めん。
「あー、せっかくお兄ちゃんと食べようとして楽しみにしてたのに」
「それならまた買って一緒に食べればいいだろ? 何なら今日の帰り道で買い食いするか?」
「その時はお兄ちゃんは卒業してるからいいだろうけど、私はまだ在学生であって、買い食いは一応禁止なんだよ」
そう言えばそんな校則あったな。ただ3年のもう終わりの頃になれば買い食いとかは基本みんなしている事である。ストレス解消の1つだからな。
そんな俺ももれなく買い食いをしたさ。
そして俺は受かったのだ。受験戦争を勝ち抜いたのだ。第一志望だ。ここら辺で一番良いところの大学に。ホント、俺頑張った。……一人で。
「お兄ちゃん、何一人で百面相してるの? それに大福をくわえたままだからお兄ちゃんの口から生地のお餅が伸びて大福に繋がった状態だよ?」
おっと、イカンイカン。流石に考え事をしていたからと言って、いつまでもこんな状態でいる訳にはいかないな。
残り半分となった大福も口に入れて、それでもしっかりと味わう。うん至福。
「さてと、いただきます」「いただきます」
二人で向かい合って朝食を摂る。
家には両親が居ない。
理由はありきたりだが離婚だ。詳しく言うなら金の切れ目は縁の切れ目と言ったところか。
俺が赤ん坊の頃に丁度俺の親父が宝くじを買ってきた。そしてそれで一等が当たった。いや、当たってしまったのだ。
その日以来俺の人生は、狂ってしまった。どっちがその当たった金を貰うかで。
とは言えそれを卒業式という日に思い出すのは止めておこう。
折角の卒業式なんだ。あの人達の事は忘れて今後の事を考えよう。
「お兄ちゃん、難しい顔してどうしたの?」
「……いや、なんでもないよ。さっ、食べようよ」
止まっていた箸を進める。それにしても、やはり昨日作っていた肉じゃがは味が染み込んでいて美味いな。つい顔がニヤけてしまう。
こんな美味い料理を作れる紗智を嫁にする奴は数十……いや、数百回殴らなければ気が済まないな。無論それで立ち上がれる奴なら許さんでもない。お兄ちゃんは忙しいのだよ。
ついつい箸が進み食べきってしまった。もう少し味わえば良かったとは思うものの朝から幸福感に包まれていて贅沢だなと思う。
「ご馳走さま。今日も美味かったよ」
「ありがとっ、お兄ちゃん!」
俺の声に紗智は、ご飯粒を頬っぺたにくっ付けながらとびきりの笑顔でそう返すのだった。
☆☆☆
「行ってきます、お兄ちゃん」
「ああ、気を付けるんだぞ。それから、行ってきます」
二人で玄関から出ていつも通りの、そして今日最後の恒例行事を行う。
「お兄ちゃんこそ卒業式なんだから、浮かれて電柱にぶつかったりしないでよ?」
「流石に電柱にはぶつからねえよ? ぶつかるとしたら棒じゃねえか?」
「お兄ちゃんはこれから会社の犬になるんだね!」
「それは大学を卒業してからの話だな」
にしても、犬も歩けば棒にあたるをすぐさま理解する紗智はやっぱり頭がいいな。俺とは大違いだ。いや、天才でもあり更に予習復習も忘れない秀才でもある。
「おはよう、紗智!」
「うん、おはよー真宵ちゃん」
遠くから駆け足でくるウルフカットと日焼けした肌が特徴的な女の子。紗智の親友でもある真宵ちゃんだ。今日は卒業式だから朝練がないのだが、それでもお迎えを忘れない。
ちなみにこの少女、真宵ちゃんは紗智を護るボディーガードを兼ねており、二人の事を綺麗なバラにはトゲがあると言うことわざを体現していると専らの噂だ。
「なに見てるんですか、新嶋先輩」
「二人を見てるだけだが?」
「そりゃっ!」
ビュン! と、風を切り裂く音がする。それと同時にスカートの中が軽く見える。……ピンクか。
「まあまあ、真宵ちゃん。お兄ちゃんの事そんなに邪険にしないでよ」
「紗智……」
「お兄ちゃんは友達が居ないんだから、優しくしてあげて」
お兄ちゃん、紗智に慰めてもらえると思ったら貶されたよ。グスン……。
でも友達が居ないわけじゃないんだよ。俺は紗智を護るために作り上げた親衛隊の仲間が居るからな! なんなら俺に苦労をかけまいと他の隊員達で協力して何も知らせてくれない事まである。
「そ、そんな事ないぞ。俺は友達居るから」
「そうですか。なら新嶋先輩。児林先輩の写真を撮ってきてくださいよ」
児林……ああ、2年に居るあのチャラ男か。にしても何故俺と同じ学年じゃない奴の写真を? ちなみに児林後輩は親衛隊の中でも幹部を勤めている。誰だよアイツを幹部に指名したやつ。幹部に児林後輩が決まったという事後報告しか来てないぞ。
いや、そもそもの問題として。
「俺が友達云々よりあいつは女子生徒としか撮らないぞ。……まさか真宵ちゃんあいつの事が好きな――危なっ!?」
無言で蹴りが飛んできた。しかも殺気まで伝わってきたよ。怖い。
「紗智、新嶋先輩の事は放っておいて行くよ」
「そうだね。とりあえずお兄ちゃんは女心を理解した方がいいよ。具体的には真宵ちゃんは児林先輩の事が好きなわけではなくお兄ちゃんの事が好きなんだよ」
えっマジで?
正直驚きしかない。だって俺を蹴ってくるんだぞ? まあだからこそ俺としては紗智を預けられるわけだが。
真宵ちゃんを見てみると、何故か深い溜め息を吐いていた。
「ダメだこの兄妹。分かってない……」
紗智よ、どうやら思い過ごしのようだぞ?