第二話 一言坂の戦い
二
おやおや、姫様、どうされました。何か物憂げな表情を浮かべておられましたが。折角のお顔が台無しでございます。それに姫様はまもなく嫁がれる身。実にめでたいことではございませんか。そのような表情は似合いませんぞ。
いや、どうも姫様を物憂げにさせているのはそのめでたいことが原因のようでございますな。相手は信濃の大名で、正室として入られるということですから申し分ないように思われますが。併し、それが武田の家臣であったというのがどうにも腑に落ちないという姫様の思いも分からないではありません。徳川がこれまでどれだけ武田に煮え湯を飲まされてきたのか、それは数限りないことでありますが、今はその武田も滅び、武田の家臣も多くが徳川に従っております。昔は敵であっても、今は味方ではございませんか。
ふむ、それでも姫様は納得されないようですな。武田の者は粗暴で卑怯に違いないと。併し、縁談は姫様のお父上である忠勝様がお決めになったこと。今は姫様の小間使いとしてお仕えさせていただいておりますが、一介の漁師に過ぎなかった私の頼みを聞いて家臣に加えてくださったのは忠勝様でございますので、ここは忠勝様の家臣として姫様に言わせていただきます。
と言っても、忠勝様譲りの姫様でありますので、表面ばかりの理では納得されないでしょう。ここは一つ、昔話でもさせていただきましょうかね。
むかーしむかし、あるところに、忠勝様という侍がおりました。などと言うと洒落にも思いますが、これは私が忠勝様に使えるより以前のことで、とある旧臣から聞いたことでございます。甲斐の武田信玄は今川を下し、駿河をその手中に収めました。
今、姫様がおられますこの駿府城も、当時は武田のものでありました。では家康様はどこにおられたかと申しますと、三河国を治め、勢力は懸川を越え、大井川に迫ろうかというところでありました。
併し、ある日のこと、家康様に武田信玄より書状が届きました。
その書状に書かれていたことは、
「徳川殿は天竜川までを取られよ。川の東は私が取る。と約束してあったにもかかわらず、徳川殿は、大井川まで、とおっしゃる。これは約束を違えるということか。いざ合戦!」
といったことで、武田からの宣戦布告でありました。
戦をしかけたのは武田からでありますが、約束を反故にしたのは家康様の方でありました。武田からすれば、宣戦布告など悠長なことをせず、すぐにでも遠江に兵を進めればよかったはずでございます。併し、武田はそうしなかった。正々堂々と合戦で決着をつけようとしたのです。武田は卑怯ではございません。むしろ、武士としての心意気に長けた者たちでありましょう。
その武田は、宣戦布告の後、兵を遠江に向けました。家康様は兵三千を率いて偵察に出たのですが、流石の武田はこれを察知し、逆に騎馬隊で以ってこれに襲いかかろうとしました。家康様は騎馬隊が迫るのを見て撤退を開始しましたが、ついに一言坂という所で武田に追いつかれてしまいました。武田は馬場信房率いる精鋭五千。倍する敵の前に、家康様も最早これまでと自害を決断しますが、そこに現れましたのが本多平八、つまり忠勝様でございます。忠勝様は武田の攻撃を一手に引き受けようと、殿軍に名乗り出ました。家康様は、天晴、とお声を掛けになり、忠勝様を残して兵を下げられました。
忠勝様はそれをお見送りになると、自身の背後に岩を置いて道を塞ぎ、名槍蜻蛉切を掲げて武田の前に立ち塞がりました。武田は一言坂の上という地の利を活かし、騎馬隊で以って突撃を繰り返し、忠勝様をこれを幾度となく押し返しましたが、多勢に無勢は如何ともし難く、ついには死を覚悟し、敵中に突撃して死を賜らんということに相成りました。
最期は己の死で以って忠義を立てようと、そういうことでございます。忠勝様は、鹿角兜の緒を締め、黒糸威の鎧に綻びがないかを確かめ、最後に蜻蛉切りの柄を扱くと、鬨を挙げて武田に突進致しました。その様たるや鬼神の如きで、死を覚悟した強兵の神髄を見せつけるものでありました。併し、百戦錬磨の武田、将も兵も動じることがありません。忠勝様に怯むことなく……道を開けたのです。
おや、姫様は今、不思議に思っておられますな。それは忠勝様も同じこと。忠勝様は、敵中で立ち止まり、武田の大将と思しき武者に言葉を投げかけました。
「武士の情けを心得ている者とお見受けする。お名前を?」
すると武者は返します。
「小杉左近と申す乱心者でござる。お主をここで討ち取るのは容易いが、お主をここで失うのは惜しい。わしの気が変わらぬうちに早う行きなされ」
忠勝様はその言葉に胸を打たれました。忠勝様は礼を述べると、武田の陣中を通って一言坂を越えていったのです。家康に過ぎたるものが二つあり、唐の兜に本多平八。という言葉はこの時に詠まれたもの。
これは姫様がお生まれになる一年前のことでございます。酔狂な武士の情けによって忠勝様は生きながらえ、そして姫様がお生まれになりました。忠勝様は武田によって生かされ、姫様もまた武田によって生かされているのです。
どうですか姫様? 親近感とはいかなくとも、興味の一つは沸いたのではございませんか。ならば、武田のことをよくお知りになるのがよいかと思われます。武田の者とは一体どのような者たちなのでしょうか。
どのようにしてお知りになるのか?
そうですな、さしあたって、武田の者の元に嫁ぐのがよろしいかと思われます。




