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第一話


 ――むかしむかし、うらしまは、たすけたかめにつれられて――

 初夏の午前、川とも海ともつかぬ衣浦の湾に小舟を浮かべ、櫂に手を添えながら忠吉は昔話の歌を思い出していた。

 天正十年(一五八二年)、本能寺の変によって織田信長は明智光秀によって討たれた。その噂は忠吉の住む竜宮村にも俄かに伝わっていたが、村人たちはその真偽を判断しかねていたし、忠吉もまた疑いの念でもって考えていた。併し、忠吉は己の疑いを改めなければならなかった。ある朝、何やら用があるといって、常楽寺の住職により近隣の漁師と船が集められた。忠吉はその集められた漁師の一人であった。船と共に浜で待っていると、住職に連れられて武士の一団が姿を現した。武士はどれも華美であるが汚れた服装をしており、相当な身分である者が騒乱に巻き込まれて逃げ帰ってきたという風であった。住職はその武士団がどのような者であるのかは言わなかったが、それが誰なのか、忠吉にはすぐに分かった。大将と思しき武将の刀に、葵の御紋が彫られていたからである。

 武士団は三十人程いたが、忠吉はそのうちの四人を乗せて、海へと漕ぎ出した。

 忠吉の住む村は竜宮村といい、尾張の南部、知多半島の中程に位置する村である。竜宮村は浦島伝説のある村で、村人は誰しもが浦島太郎の昔話を知っていたが、竜宮村が竜宮城であるとするならば、なんと夢のないことであろうかとも思っていた。事実、竜宮村は名産も何もない小さな漁村であった。戦らしい戦もない平和な村であったが、それは同時に酷く退屈でもあった。忠吉は四十近い歳で、親も亡く、日がな漁に出て暮らしを立てていたが、やはり退屈であるのは否めなかった。そのような忠吉の暮らしの中に、突如として現れたのが、この武士団であった。忠吉は、この武士団に触れ、船に乗せて向こう岸まで運んでいるということが、何か不思議な興奮で以って感じられた。自分はどこか特別な世に来てしまったのではないか。忠吉の興奮は、向こう岸に着くまで消えなかった。

 忠吉は櫂を漕ぐ傍ら、船上を見た。武士が四人いたが、忠吉の目には一人の武将しか映らなかった。忠吉と同村である松蔵も船と共に集められており、その松蔵の船にも同じように武士が乗っていた。松蔵の船に乗っているのは神経質そうな若武者で、何かにつけて松蔵を怒鳴り散らしていた。その若武者と比べて、この武将はどうだ。身の丈を超える長い槍を持ち、船上にあっても微動だにしない。余計な口は利かず、併しその眼光は鋭く、その厳然たる様はまさに武将の中の武将と思われた。忠吉の視線は、その武将にのみ注がれていた。

 向こう岸に船が着く。そこはもう三河国であった。武士団は誰もが安堵し、緊張を解いた。併し、忠吉の緊張は解かれることがなかった。忠吉は、己が今、何を考えているのか分からなかった。ただ、特別な世を終わらせてはならないという思いがあった。仮に、この武士団が浦島太郎で言うところの亀であるとするならば、亀と共に渡ったこの場所こそが竜宮城でなければならなかった。

 忠吉は、船に乗っていた武将の前で手をつき、頭を下げた。

「私を家臣にしてくだいませ!」

 武将の顔は見なかった。だが、困惑しているであろうことは分かった。

「何を言っている。お前は漁師で、このような船を持っているではないか」

 武将はそう言った。併し、忠吉は譲る気がなかった。

「確かに私は漁師で、それ以外に何の取り柄もありません。家臣にしたところで何のお役にも立てないかと思います。ですが、私は別の世の中を見てみたいのです。このような機会、最初で最後に違いありません。だから、お願い致します!」

 忠吉は頭を地面に擦り付けながら懇願し続けた。武将は、だが、そうは言っても、などと言葉を濁していたが、暫くすると何も言わなくなった。忠吉はおそるおそる顔を上げた。

「立て」

 武将はそう言うと、船の方へ歩いて行った。忠吉は立ち上がり、武将を追った。

 武将は船の前で立ち止まった。そして、槍の石突で以って、船底に穴を開け、これを沈めた。武将は何も言わなかった。それが、武将の答えであった。


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