森の中に隠すもの
目前の信号が赤に変わり、青年は待ち合わせの時間を確認しようと腕時計に目を落とした。
十分という残り時間に少し焦りつつ顔を上げると、向こう側の道で老婦人が足をおさえているのが見える。声をかけようと足を踏み出すと、耳をつんざく轟音が響き渡った。
「うわっ、何……」
見上げたその目が落ちてくる鉄骨を捉える。走ったところで間に合わないと瞬時に判断すると、青年は老婦人へと手を伸ばした。人目は気になるが、人命には代えられない。
「せぇ、のっ」
鉄骨を睨む。伸ばした手にぐっと力を込めると、水中をゆくかのごとく落下速度がゆるやかになった。そのまま鉄骨をそっと地面に下ろす。
「はぁー」
一仕事終えて緊張の糸が切れ、がくりと膝をつく。座り込んだ老人の横手には建設中のマンションがあり、鉄骨はそこから落ちてきたようだ。立ち上がって横断歩道をわたり、老婦人に声をかけて手を貸す。安全な場所まで歩き、警察と救急車が来るまでベンチに座るようすすめた。
「ご婦人、よろしければ足を見せて頂けませんか? 僕は医学生ですが、何かお手伝いできるかもしれない」
了承を得てから調べると、老婦人の足は精神感応式の義足だった。脳波を感知して動く――つまりは動けと考えただけで動いてくれる最新式の代物だ。
「孫がプレゼントしてくれたものですが、私はどうも……こういう新しいものは
苦手で」
「最初は誰でもそうですよ。僕もコツをつかむまで随分かかりましたから」
「まぁ、ではあなたも義肢をお使いですの?」
「はい。精神感応式なんて、言ってしまえば念力使ってるようなものですし。個人差はありますが、訓練すれば義肢以外のものも動かせるようになりますよ」
幸いにも、義足の不具合は手に負えそうな程度にとどまっている。青年は手持ちの工具で応急処置を済ませた。
「それにしても、世の中本当に便利になりましたね。念力で動く義肢なんて、少し前までSF小説の話でしたのに……あら、いやだわ私ったら。命の恩人にお礼がまだでした。危ないところを助けて頂いて、本当にありがとうございました」
「いえ、その……失礼します」
青年は逃げるようにその場を後にした。待ち合わせの時間はもうとっくに過ぎていたからだ。
「あーぁ、怒ってるだろうなぁ」
恋人の待つ地下レストランへの階段を降り、『本日貸切』の立て看板を横目にドアを押し、従業員に会員証を提示。大入り満員の店でやっと彼女を見つけると、ぷいっとそっぽを向かれた。
「遅れてごめん!」
「もぅ、遅くなる時は連絡してよ。何かあったのかと思うじゃない」
彼女は呟くように言って、ほとんど氷のなくなったグラスをかき回した。
「うぅ、すみませんでした。人を助ける時に力は使ったけど、義足の人だったから僕もそうだと思ってくれたみたいだ」
「……そう。なら、いいんだけど」
彼女はそっと息を吐いて、青年に席につくよう促す。バッグから黒マントを取り出して羽織ると、店の奥に目をやった。
「私との待ち合わせには遅れたけど、総会には間に合ったね」
店の奥にあるステージに、黒マントの男が上がってマイクをとった。
「紳士淑女の皆様、木の葉会第二十二回総会にお集まり頂きましてありがとうございます。まず、調査部の定期報告から参りたいと思います」
壇上の男が言い終わるころには、店内の客及び従業員はすべて黒マントを羽織っていた。
「皆様こんにちは、調査部です。我々の調べによりますと、この国における精神
感応式義肢、装身具の購入率は全人口の三割に達しております。若いデザイナー
が手がけるファッション性重視の義肢や、人気タレントを起用したウェアラブル
コンピュータの提案、木の葉会提携企業による精神感応式パワードスーツの生産
が好ましい影響を及ぼしているものと……」
別の男の報告に、青年はほっと一息ついて恋人の手をとった。
「心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫さ。三割の人が何らかの形で念力を使えるようになったんだし、僕達みたいな本物が力を使ったってバレやしないよ。変な目で見られた昔とは違うんだ」
恋人と指をからめ、青年は卓上のスプーンに目をやる。
――くにゃり、とそれは曲がった。
「何よ……本当に心配したんだから。……ばか」
曲がったスプーンは、彼女の言葉とともに元の形に戻っていった。