ⅩⅩⅢ.Battle With the Five Fiends / Rock ver.
看守塔の西側に広がる平坦な敷地に、敵は静かに佇んでいた。青い月光に照らされたその姿は、まだフードを深く被りローブを羽織って自身の肉体を隠している。谷底で見せたあの姿は二度と戻れぬ禁忌の力というわけではないようだ。全身を覆う格好は、意図的に力をセーブするためなのだろうか、はたまた醜い容姿を隠すためなのか。
「やはり上から見ていたのか」
わたしは地下牢から監獄棟に上がった。そして隣の看守塔へと上り、敵の姿を見つけたのである。その道中はドクロナントとは一体とも出会わなかった。
「フシュクククク。少しは頭が働くみたいだな」
下卑た嘲笑が島に響き渡る。不愉快な笑い声だ。十と五の人生の中でこれほどまでに気分を害する笑い声を聞いたことはない。
そして、きっとこれからもない。
「約束は守ってくれるんだろうな。わたしが勝てば二人の呪いを解くことを」
「無論だ。私が倒れれば自然と効果は消える」
これは意外な返答だった。てっきり「貴様の命と引き換えだ」などと非道な条件を突きつけられると思いきや、あっさりと解呪方法を喋ってくれたのだ。
「本当だろうな?」
「ああ、間違いない。だが……」
フードの中で二つの白い光が灯った。
周囲の空気が変わる。谷底でも感じた、あの心身が底冷えさせられる空気だった。
「あくまでも、私に勝つことができたらの話だがな!!」
「っつ――」
強烈な邪気が放たれると同時に、ローブの中がぐにゅぐにゅと気色悪い動きを見せる。柔らかいローブがめいっぱい伸びては破れそうになる。
「う……」
肉が腐ったような悪臭が立ち込めた。思わずえずきそうになる。
敵の肉体がローブの内側で膨れ上がる。フードがはけ、ローブが破れ、その汚らしく腐りかけたような肉体が露となった。
身の毛がよだつ邪気が敵を中心として波紋状に広がる。足元の地面が黒く侵蝕されていくのが分かる。僅かに生える植物が精気を失って枯れていった。
改めて、そのおぞましい力と対峙した。
以前までのわたしであれば、この光景に恐れおののいていたかもしれない。だけど今のわたしには背負っているものがあるのだ。
わたしは剣を抜く。
「それでは、楽しい楽しい夜の宴を始めようか」
敵の先手、長い両の腕を地に叩きつける。すると周囲の土が噴出して宙へと巻き上がる。土は磁力が結びつくようにそれぞれ六個の塊となり、それが少しずつ鋭利に、野太い剣の形状と化していく。
「舞え、屠れ、《土の剣舞魔法・剛》!」
グレートソードを思わせる、両刃の土の剣がまず二本、わたしに切っ先を向けると、襲い掛かってきた。
「《雷の狂化魔法》!」
質量的に受け止めるのは無理だと判断したわたしは、飛来する剣を回避して敵へと切り込む。わたしが居た場所に剣が突き刺さり、地面を深く穿った。
「フシュクク、まだまだ」
敵へと距離を詰めると、さらに二本の剣が動く。まるで意思を持っているかのように的確にわたしを狙ってくる。止まれば先に回避した二本が戻ってきてしまう。速度をそのままにわたしは突破した。
「はあっ!!」
残りの二本は攻撃ではなく敵を守るような動きを見せたが、わたしはそれを強引に撥ね退けて敵を正面から斬りつけた。ショーテルの剣閃が空中に描かれる。
「くっ」
「フシュククク、無駄だ無駄だ」
見事に決まったかと思われた一撃であったが、やはりというか、剣は見えない障壁に弾かれてしまった。谷底のときと同じ感触。敵が魔法を使った素振りは微塵も見せなかったのに、どうしてだ。
「次は左肩を所望かな。《土の槍撃魔法・突》!」
収束する土色の魔力。鋭い槍の形状をした魔力の波動が打ち出された。
二度も同じ手はくらわない。わたしは狂化魔法を維持したまま素早く後ろに飛び退った。
(正面が駄目なら)
再び襲い掛かってくる六本の剣を回避しつつ、敵をかく乱させるため敵の周囲を光速で動き続ける。だが敵はわたしの動きなどまったく意に介してないようで、視線の位置を変えぬまま、その場から微動だにしなかった。魔法の剣は、敵の意思に関係なくどうやら自動でわたしを追尾しているらしい。
「そこだ」
照準が付かなくなった土の剣を置き去りにして、わたしは敵の背後へと回った。正面が駄目なら背後からならどうだ。
反撃を警戒しつつも、わたしは持てる力を振り絞ってショーテルを叩き込んだ。
しかし、結果は同じだった。またしてもわたしの攻撃は障壁に弾かれてしまう。監獄島に金属音が虚しく響いただけだった。
「フシュククク、どこから攻撃しても同じだ」
確かに攻撃は無効化された。だけど、成果は少しだけあった。不可視だと思っていた障壁が、攻撃が敵を捉えた瞬間に視認することができたのだ。きっと夜のおかげだろう。ドクロミニョーネの全身を覆うように魔法障壁が張られているのだ。これではどこから攻撃を加えたところで通るわけがない。
「魔法の防御か」
「ご名答、フシュクククク」
敵は両手を広げてその汚い肉体をわたしに見せ付ける。象牙のように太く硬質そうな肋骨に埋もれるように、淡緑色に輝く球体が埋め込められていた。
「これは《魔神メテオロス》の肉体の一部から生成された魔導具だ。この球体から生み出される魔法障壁はあらゆる物理攻撃を弾き返す」
手品の種明かしをするのは、余裕の表れか。
「随分とサービスがいいじゃないか」
「ククク、谷での二戦とここでの貴様の戦いを考察するに、どうやらまともな攻撃魔法を使えないようではないか」
くっ、お見通しというわけか。
「貴様にはこの障壁を破る手立てがない。もはやここに来た時点で敗北することは決定事項なのだよ。フシュククククククク!」
覆らぬ勝利を前に一層高らかに笑う呪土のドクロミニョーネ。
絶望的な状況だ。こちらの攻撃は全て弾かれてしまい、一方的に敵の攻撃を浴び続けることになるのだから。
だけど、そう易々と剣を投げ捨てるつもりはない。戦士も言っていたじゃないか、どんな強敵であろうと弱点は必ずある。どこかに突破口はあるはずだ。
「《土の召喚魔法・隷》」
わたしを中心として、まるで円卓の騎士かのようにわらわらと複数のドクロナントが一度に湧いて出る。しまった、またしても囲まれてしまった。こいつらは無限に作り出せることが可能なのだろうか。敵の魔力の底が知れない。だけど、
「雑魚をいくら呼び出したところで、魔力の無駄だ」
身動き取れなくなる前に、わたしは果敢に攻める。
だが、目の前の一体を攻撃しようと足を踏み出そうとしたとき、急に足が重くなってつんのめってしまった。
「な、地面が」
「フシュククク、《土の泥化魔法》。これでちょこまかと動けまい」
泥というか、まるで粘土のように粘り気を含んだ土がわたしの足を絡め取る。まるで新雪の上を歩いたように一歩踏み出すと泥の中に足が埋まってしまう。うまく動くことができず、踏ん張りも効かない。
しかし、その効果はわたしだけにとどまらず、ドクロナントたちにも及んでいた。まるで下手なダンスを踊っているかのような動きで、あくせくしていた。
「自慢の子分までくらってるぞ」
かなり間抜けな構図だった。
「フシュククク。下らん忠告をする前に、自分の心配をするのだな」
この状態で一体何ができるというんだ。
「共に爆ぜるがいい、《土の起爆魔法》!」
突如わたしの前にいたドクロナントが自爆した。
「うっ!?」
わたしは爆風に上体を煽られて、背中から地面に倒れてしまった。
「しまった」
起き上がろうにも、踏ん張りが効かなくて思うようにいかない。
「自分の仲間を犠牲にするなんて」
「ククク、所詮は駒だ。ほれ、どんどんいくぞ」
そうこうしているうちに、ドクロナントたちがわたしへと寄り集まった。
「仲良くくたばれ、《土の起爆魔法》! 《土の誘爆魔法》!」
最初に一体だけ爆発すると、他のドクロナントも一斉に爆発した。
先刻までのわたしであったら、攻撃を防げずにやられていただろう。だが、
「《雷の甲冑魔法》!」
雷の鎧を纏い、爆発から身を守る。その効果は攻撃を防ぐだけにとどまらず、泥化した地面を吹き飛ばした。
「なるほど、先程のはそれのせいか」
起き上がり、一旦距離を取る。
「さすがは勇者、しぶとさは常人以上だな」
「どうも」
「だが防御魔法だけでは、結局は同じことだ」
確かに、敵の言うとおりこれでは防戦一方だ。元々消耗状態のわたしでは、敵が先に疲れることは期待できそうにない。
どうする?
敵にダメージを与えるためには、まずあの障壁を破らなければならない。しかし、敵曰く物理的な攻撃は全て弾くという。いわゆる魔法攻撃を使えないわたしでは、破る手立てがない。しかも常時障壁は展開されているみたいだ。やはり無理なのか。
考えている時間はない。敵は容赦なく攻撃を再開した。
「どうした、無駄な考えを巡らしているのか? 《土の太矢魔法・乱》」
敵の両腕から交互に土の矢が射出される。わたしは回避したが、数が多いせいか逃げ切れず、横殴りの矢の雨の中で身動きがとれなくなってしまった。一本一本は細く脆い矢であったが、いつまでも攻撃は続く。
「っつ――」
右肩に矢が当たり、わたしはその場で膝を付いてしまう。
「《雷の甲冑魔法》」
とにかく考える時間がほしい。
「無様だな勇者よ。《土の召喚魔法・傀》!」
なっ!?
急激に地面が盛り上がり、それが土の巨人と化した。
「フシュククク、潰せ!」
月を掴むかのように頭上高く握られた拳がわたし目掛けて鉄槌となって降ってくる。
甲冑魔法を維持したまま、わたしは防いだ。
魔法と物理が衝突する。豪腕が接触したとき少しだけ衝撃が伝わったが、鎧の魔法は攻撃を完全に防いでくれた。ゴーレムの腕が端から砕け、本体も土に戻っていく。
「はあ、はぁ……」
「ほほう、これまで防ぐとはな」
甲冑魔法とて魔力を消費するのだ。魔力切れとともに敗北が決する。
こんなことになるのなら、やはり魔法をちゃんと教えてもらえばよかった。
(ん、待てよ……)
「何をぼうっとしている。《土の太矢魔法・乱》」
ゴーレムも破壊できる鎧の魔法…………これしかない!
「《雷の狂化魔法》!」
右肩が悲鳴を上げる。傷口が開いたようで、服が赤く染まっていく。
敵の防御を突破する方法が思いついた。もはや次の攻防で決めるしかない。無理だなんて考えたくないけど、これに賭けるしかない。
「うおおおっ」
わたしは飛来する土の矢に対して避けることなく真正面から突っ込む。光速が生み出す空気の壁に衝突して土の矢はわたしに接触する前に砕けていった。ショーテルを握り直して、敵に肉迫する。
「フシュククク、馬鹿の一つ覚えだな。貴様の攻撃など無意味だと言っただろう」
嘲り笑う敵。それでいい。その油断は必ずお前の命取りとなる。
自分の防御に絶対的な信頼を置く敵は、武器を振りかざして突撃するわたしに対して一切の攻撃をやめた。わたしは障壁に接触するぎりぎりのところで踏み止まり、狂化魔法を解く。そして――、
「《雷の甲冑魔法》!!」
甲冑を纏った状態で、敵へと身体ごとぶつかった。
「な、何だと――!?」
わたしの甲冑魔法と敵の魔法障壁がぶつかり合い、激しい魔力の火花を散らせる。薄暗かった周囲が明るく照らされ、敵の驚愕する顔がはっきりと窺える。
「物理攻撃は弾けても、魔法の防御だったらどうなるのかな」
「き、貴様!」
甲冑魔法も魔法に変わりはない。本来の役割は攻撃を防ぐことにあるが、ドクロナントや土のゴーレムを砕いたことから威力は折り紙つきだ。ならばこちらからぶつかりにいけば、立派な攻撃魔法となる。
「ば、馬鹿な!?」
拮抗していた二つの防御魔法であったが、どうやらわたしに分があったようだ。干渉し合う面から少しずつ敵の障壁がはがれていく。
「らあっ!」
ショーテルが通るほど穴があいたところで、わたしは渾身の突きを繰り出した。敵の肋骨を避け、魔法障壁を生み出す球体を見事捉えた。
「ぐぼあっ」
球体自体はガラス玉のように簡単にヒビが入った。敵がもがき苦しむと同時に、障壁が消滅する。
ここが勝機――!
「うおおおおおおおあああっ!!」
右肩の痛みを一時的に忘れさせる。ショーテルを両手持ちにして全力の振り下ろしを叩き込んだ。
「ぐおおおおああああ」
これで終わりだ――――、
「あっ」
ガキン、と何かが折れる音が聞こえた。それは敵の骨肉ではなく、わたしのショーテルだった。攻撃半ばにして刀身が折れてしまったのだ。
「き、貴様、よくも……」
割れた敵の頭からは泥のような血液が滴り始めた。その傷は胴体まで至り、球体を完全に破壊していた、これでもう障壁は使えまい。
「よくも、よくもこの私に傷を!!」
だが、今の一撃で倒すことができなかった。ショーテルも折れてしまい、もはや攻撃手段がなくなってしまう。さらに肉体も限界が来たようで、視界が霞み始める。
「殺す、殺す殺す殺す! 《土の波濤魔法・噴》!!」
憤怒の形相をして敵が魔法を唱える。大地が裂け、まるで火山の噴火のように膨大な土が空中へと舞い上がった。谷底でわたし達にとどめを刺そうとした魔法。だが、今回は少し違っていた。舞い上がった土は波とはならず、複数の土塊となって、火山弾のごとくわたし目掛けて降ってくる。
「潰れろ、潰れるがいい!」
「くっ、雷の甲冑魔法……」
最後の力を振り絞って防御魔法を唱える。
「……?」
だが魔法は発動してくれなかった。
「フシュククク、どうやら魔力切れのようだな!」
これが魔力切れの状態なのか。初めての経験にただ体力が底を突いただけかと思っていた。
「さあ、死ぬがいい! 安心しろ、仲間もすぐに連れて行ってやる!」
あの一撃で倒すことができなかった時点でわたしの負けだったのか。ちゃんと武器の手入れをしていなかったのが悪かったのか、それとも日々の鍛錬不足だったのか、
「く、くそ……」
慈悲なく降り注ぐ土の隕石が、わたしを押し潰した。




