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敵国の軍兵が見える。国境に近い丘の、何十本もある木の一本に登ったテレサはそれを確認し、風向きを確かめる。
葉は太陽に向かって飛んでいく。今の太陽はだいぶ西に傾き、真っ赤な血のような光が街を照らしている。
「……悪くないな。さて、と」
テレサは弓矢を構え、軍隊を見据えた。ギリギリと引かれたそれは、放たれるその時を待っている。
軍隊が止まった。遠距離攻撃、すなわち砲撃をするのだろうか。
「なめんなよ、フィオーレの射手を」
にやりと笑うと、矢は風を受けて一直線に軍隊へ向かう。一瞬の沈黙、そしてざわめき。
直後、その周囲で爆発が起きた。軍隊は一瞬怯むが、すぐに気を取り直して馬を走らせ、煙の中を駆け抜ける。テレサは木から飛び降りると、少し先回りをしてまた弓矢を構える。ただ先程と少し違うのは、弓が小さいことと、矢がすぐ取れる位置にあることだ。
「七、八百人ってとこか――よくもまあそれだけの大軍をこんな小国の為につぎ込んだな。どれだけいようと無駄でしかないのに」
先陣の兵が見える。テレサはタイミングを見計らい、ぱっと指を離した。
馬のいななきと兵の悲鳴が聞こえる。しかし、テレサはそれに構わずに次々と矢を打っていく。
彼の弓矢を扱うセンスはずば抜けており、百発百中の腕前である。それは天性の才能とたゆまぬ努力があってこそ成せる技だった。
矢が尽きると、テレサは残りの軍兵の数を数える。
「えー、一列目が50人はいるな。……やべ、逃げよ」
馬が駆けてくるのを見ると、テレサは近くの木に登って戦闘を回避する。その瞬間、スズネにうたれた注射の後がチクリと痛んだ。彼は顔をしかめ、やはり男に対する扱いの酷さをそろそろ訴えるべきかと考えていた。
ちなみにテレサが戦闘を回避したのには、近距離戦闘における弱さが最大にして唯一の理由がある。その弱さはどれくらいかというと、近距離戦闘を主体としないミルのグーパンチを避けられないくらいである。握力や打たれ強さ、足の速さなどは十分にあるのだが、何故か近距離戦闘は弱いのである。
そんなテレサは通信機を手に取り、ばれないように声を潜めて報告する。
「結構残った。後は宜しく」
[は? 休めると思ってんの?]
「……思ってないです」
やっぱりこの理不尽な扱いをどうにかすべきだ。賛同する者は少ないだろうが。
テレサからの連絡を乱暴に切ったミルは、辺りを見渡していた。誰かを探しているようだ。
「めんどくせっ。アズサー、今すぐ来ないと後で」
「何か用でしょうかミル指揮官様」
「チッ……偵察と内部攻撃してきてよ」
「ねえ、今舌打ちしなかった?」
ミルはそのアズサの嘆きを完全に無視し、他のメンバーに指示を出す。それでもアズサは諦めず、抗議を続けていた。
「……うっせえなー」
「え」
「さっさと行けえぇぇぇえええっ!!」
何が起きた。
そんなメンバー達の疑問をよそに、アズサは上空を飛び、敵陣のど真ん中に着地する。モニカ帝国軍の中に紛れ込んだ彼女は、苦笑いを浮かべた。
「あ、えーと……こんにちは、あははっ」
一人で笑うアズサ。しかし、向けられたのは冷たい視線と黒く光る銃口だった。
引き金が引かれ、素早く身を翻したアズサの足元に銃弾が撃ちこまれる。体勢を変えていなければ、それは確実に彼女の足を撃ち抜いていただろう。
笑みは消え、真剣な表情が浮かんだ。懐から短剣を取りだして大地に突き刺し、それを軸として周囲に蹴りを繰り出す。その牽制も一時的なもので、戦場慣れしたモニカはすぐに別の策をとった。
遠くに離れるのではなく、逆に近づく。こうすることにより、足を振ることが出来なくなり威力が弱まる。そうなると、武装した兵士達には女の弱い蹴りなど痛くも痒くもない。
固く握りしめられた拳がアズサの頬を掠める。10センチ程の隙間が出来れば、そこから銃弾が飛んでくる。
「……あーもう!」
遂に音を上げたアズサは、戦うことを止めた。人質となるか殺されるかだろうが、人質ならまだ反撃出来る。――それに、自分ごときじゃ人質として機能しないだろうし。
自分で思って悲しくなってきた。兵士の手がアズサの細い腕を掴み、――
「……?」
――放れた。その兵士はがくりと崩れ落ち、その背中には矢が刺さっている。
彼女が見上げると同時に、周囲の敵が矢に貫かれ倒れていく。
「テレサ!」
こちらに弓を向けているのは、フィオーレが誇る射手だった。
「大丈夫か!?」
「うん、何とかー。ありがとー!」
そう言ってアズサは満面の笑みを浮かべ、改めて敵陣を内部から潰していく。――一方、テレサはと言えば、少し頬を紅潮させていた。
彼は丘から城の近くに戻ってきていたのである。同じ区域に配置されていたリレイズが、テレサを見て笑った。
「微笑ましいね」
「何がだ」
ふ、とリレイズは鼻で軽く笑ってあしらうと、レイピアを構えて突っ込んでくる敵兵に斬りかかる。鎧の隙間を狙って斬りつけ、尚且つ動けないように急所を狙う。
一寸の無駄も狂いもないその動きは、暗殺を生業とする殺し屋を彷彿とさせる。
「何ボーッとしてるの?」
「え? あ、いや……」
「ほら、さっさと逃げないと魔術に巻き込まれるよ」
さっと振り返る。
すると、魔法陣を足元に画いたクレハが、何やら呪文を唱えているのが見えた。このままここにいれば、間違いなく巻き込まれる。味方を平気で巻き込む、それが彼女だ。
「――アズサは!?」
「放っておけば? どうせ死なない」
「いや、でも――……チッ」
軽い舌打ちと共にテレサはその場から駆け出し、アズサの黒い髪を見つけ出してそこに矢を射る。矢の尖端には、走り書きしたメモ用紙がくくりつけてある。
その用紙に気付き中を開くと、クレハが魔術を使う旨の文章が書かれていた。
逃げろ――その意図を理解したアズサは、地を蹴って敵兵を踏み、軍勢の外に出る。
「焼き尽くせ、アポロン」
クレハが放った言葉により、太陽かと思わせるような巨大な球体が出現する。
太陽神アポロンの名を借りたそれは、灼熱の地獄を生み出す炎の魔法である。さしずめ第二の太陽といったところで、当然この規模であるから消費するエネルギーや体力も並大抵のものではない。現にクレハは既に木陰へと移動し眠っているように見える。
さて、こんな魔法が発動したものだから、武装した兵士にはたまらない。次々と倒れていき、アポロンが消える頃には立っている者はだいぶ少なくなっていた。