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ピオーネ公国から連絡が入ったのは、アキハとレイラが図書室に向かってから数時間が経過した頃だった。
どこで情報を得たのか、ピオーネはレイラを国へ戻すように要請してきた。彼女は重要な任務を控えており、その準備をしなければならない、とのことだ。
「早いねえ、ピオーネにしては」
「ピオーネは最近、アンヴィーと貿易を始めたらしい。向こうの輸出品――つまり情報を買っているんだろ」
「まあ、アンヴィーは完全中立国だから肩入れするということはないだろうけど……」
真剣な表情で話し込むリオンとリレイズ。その傍ら、サクは分厚い本と睨みあっている。
そしてピオーネへと向かう準備をしているのはミルである。本来ならば国の外交官が向かうべきなのだが、何故か向こうは『フィオーレ騎士団団長兼指揮官の女』を指定してきた。
いったい、何が目的なのか。お世辞にもピオーネの軍は強いとは言えないだろう。つまり、戦うことが目的ではないということだ。
とは言えど、油断は出来ない。フィオーレにもたらされるあらゆる情報――それも決して表に出せないようなもの――はアズサ直属の隠密諜報部隊によってもたらされるが、彼らですら掴めない情報があるのかもしれない。
「……いずれにせよ、気味が悪い。ミル、骨は拾ってあげよう」
「リレイズひどくない!?」
ミルの抗議をさらりと受け流し、リレイズは手元の本に集中し始める。タイトルは【悪霊の城】――どうやらホラー小説のようだ。
「そろそろ時間だよ」
「あ、ほんとだ。じゃ、行ってきまーす」
手をひらひらと振りながら、ミルは部屋を出た。
その後ろ姿を眺めながら、リオンは言い様のない不安と嫌な予感を感じていた。
* * *
「……あっつ……」
雨が降りしきるピオーネは、世界中で見てもとくに蒸し暑い気候であるといえる。
パタパタと手で仰ぎながら、ミルは傘を開く。先程まで乗っていた電車内は冷房がきいていて涼しかった。
そしてそのまま、向こうが指定してきた公爵家を目指す。なんでも公爵家は広いだけの屋敷をもて余しているらしい。
公爵家に着くと、迎えたのは黒いスーツに身を包んだ背の高い男性だった。どこか弱々しい印象を受けるのは、この雨が太陽を遮るからだろうか。
応接間に案内される。深いブルーの絨毯は毛が短く、明るいシャンデリアの明かりが部屋を照らしている。扉の真正面は大きな窓が打ち付けられており、両側の壁には大きな絵が飾られていた。
「それでは、しばらくここでお待ちください。カルカッレ様は、間もなくお見えになるかと」
カルカッレ・シレーゼ――ピオーネ兵団を指揮する男。ピオーネには治安指揮・政治指揮・商業指揮・外交指揮・産業指揮の5つの指揮官職があるが、カルカッレはそのうち治安指揮を担当している。そのくらいのことは知っていた。
今回のような場合、通常なら外交指揮だろう。しかし治安指揮といえば、国内の治安は勿論のこと、対他国の戦闘指揮も担うところである。
ミルが真意を探っていると、そこへ青い髪をオールバックにした男性が入ってきた。藍色の目はきつくつり上がり、ピオーネ人にしては体格もいい。
「お初にお目にかかります、カルカッレ様。フィオーレ騎士団団長――そして指揮官を務めております、ミル・マティーアと申します」
ミルが名乗ると、カルカッレは小さく舌打ちした。
「噂には聞いていたが、まさかこんな若い者だとはな。カルカッレ・シレーゼ、この国の治安指揮官である」
上から目線かよ、こいつ――ミルは不満を抱きつつも、決してそのような表情はしない。それよりも先に、ピオーネの真意を探る必要があるのだ。
「何故外交指揮ではなく、治安指揮の貴方なのですか? そして、私を指名した理由も聞かせていただきたいのですが」
「生憎外交指揮の者は体調を崩していてね、私は代理なのだ。……後者についてだが、太陽の娘を保護したのがフィオーレ騎士団と聞いたからだ」
「……それだけですか?」
もしも彼の言うことが真実ならば、どうしても腑に落ちないことがある。
ミルは周囲を見渡し、そして確信した。
「――殺気を隠せていませんよ」
「っ!?」
カルカッレが僅かにたじろぐ。それを見たミルは微笑を浮かべ、腰に提げてある拳銃の手触りを確かめる。
この応接間に案内されてから、ずっと殺気は感じとれていた。別のところへ向けられているのかと思ったが、ミルが向いた方向からは殺気が焦りを帯びた。――この気の変化を読み取る技術は、リレイズが最も得意であり、彼女が団員に伝授したものだ。
確か――『暗殺において、最も重要なのは悟られないこと』だったか。その言葉を元に考えれば、既に暗殺は失敗したも同然だ。
「残念だったね、カルカッレ。……で、真の目的は何?」
「太陽の娘の奪還――及び、情報漏洩の防止。あの娘は、この国のことを知りすぎている」
「成る程。可能性は全部潰すわけか」
カルカッレが指を鳴らす。すると、今までどこに隠れていたのか、十人程の兵士が現れる。
彼も、戦闘力でフィオーレ騎士団と全面的に戦う予定はないのだろう。だからこそ、こうして指揮官であるミルを呼びつけ、少しずつ戦力を削ごうとしている。
それは、普通なら効果的な作戦だろう。しかし、彼女達にとっては無意味に等しい。
「……俺さあ、団長とか指揮官とかそういう役職だけど……」
剣を振り上げる。槍を突き出す。
「正直、お飾りの役職だっての」
ミルを覆うように、幾つかの手榴弾が何処からか投げ込まれる。そして同時に、最前列にいた兵士の脳天を何かが直撃した。
何が起こったのか、彼らが戸惑っている間にミルは拳銃を抜き取り、近くにいた兵士の足を撃ち抜いた。
そのミルの背後を、カルカッレのクレイモアが狙う。しかしそれは、腹部の激痛によりかなわなかった。
「ミルお姉様、ご無事ですかっ!?」
甲高い声と共に駆け寄ってきたのは、桃色がかった白い大きな瞳を揺らす――そう、ルリである。その後ろからはリアが走ってきた。
「カルカッレ、これは宣戦布告でいいのかな?」
「……ふん。国内の情報を利用されては、たまらないのでな」
苦痛に顔をしかめつつも、カルカッレは淀みない口調で答える。ミルはしばらく沈黙していたが、やがてため息をついた。
「そう。――後悔するなよ」




