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 子供が人喰蜥蜴に襲われたという報せが届いて、夜営地は騒然となった。

 逃げ帰った少女の案内でロニスが仲間と夜営地を出ようとした間際、アレスと二人の子供、そして見知らぬ男が夜営地に帰ってきた。

 子供を出迎えた親たちに彼らを引き渡したところで、アレスとカーテーギュウをロニス達が取り囲んだ。

「カーテーギュウといったな。改めて礼を言う。感謝している、私ではあの子は助けられなかった」

 アレスは謎の男に対して、まずは謝意を示した。

「なに、礼には及ばないよ。こういうときはお互い様だろう」

 カーテーギュウは立場上、苦笑いした。

「感謝の品というほどではないが、着替えくらいは差し上げられる。それと、少々ぜいたくだが、返り血で汚れた髪を洗い流すくらいの水もある」

 きょとん、とカーテーギュウは自分の身形を確かめた。

「なるほど、こいつはすごいな。しかもひどい臭いだ」

「気づかなかったのか? あきれたな……ギリアム、彼を案内してやってくれ」

「はい、かしこまりました」

 カーテーギュウは丁寧な物腰の老人の案内にしたがった。それを見送るや、ロニスがアレスに詰め寄る。

「あの男、何者だ?」

「わからないが、子供を救ってくれた」

「どうするつもりだ。同行を許すのか? 素性が知れない人間を。王女を追ってきた間者かもしれないぞ。だいたい〝カーテーギュウ〟など、怪しいにもほどがある」

 王女、という単語を出すのにロニスは声をひそめた。アレスも耳を寄せながら、カーテーギュウの方に注意を配る。おとなしくギリアムに付いていく背中が見える。

「気をつけろ。万が一にも聞かれてはまずい」

「それを覚えているならいいが……とにかく、あの男を長居させるのは反対だ」

「わかった、覚えておく」

 アレスは警備に戻るロニスを見送って、自分はカーテーギュウのいる天幕に向かった。

 カーテーギュウは、ギリアムが用意した新しい服に袖を通すところだった。

 筋ばって少し痩せた体は、多少鍛えられているものの、人喰蜥蜴の首を一刀のもとに斬り落とした膂力にしては、華奢な体付きだ。

 肌は、荒野である辺境を旅慣れた、というほどには日に焼けていない。自分たちと同じように、帝国から辺境に旅立ったばかりといった感じだ。

「旅の途中か? よければ目的を聞かせてほしい」

「なに、人に教えるほどたいした理由ではないよ。少々気恥ずかしいしな」

「恥ずかしい?」

「ああ、そうだなあ……」



 皇帝自らの案内で、カーテーギュウはフィンデル王宮を歩いた。左肩には「皇帝の剣」たる身分を証す紋章が縫いとられたマント。腰にはそれとともなって授けられた刻印入りの剣。だが、それは二人の形式上の立場を表すもので、互いの関係を真に象徴するものではなかった。

 カーテーギュウはヴィスタークに付き従って王宮を歩いたが、友人の案内に続いたまで。ヴィスも、自分が知っているから教えているだけ。持っているから与える。だから、与えるほうと与えられる立場が逆の場合もあり得るだろう。

 外は穏やかな陽気と湿潤な風にみたされていた。柱廊は白く、一点の汚れもない。外見は征服された王宮には見えなかった。なのに、なぜかカーテーギュウには居心地が悪く感じられる。理由があるとすれば、罪悪感がそう感じさせているのだろう。それは、見かけや公正な手段に関わりなく、征服したという事実に対するものだ。それをヴィスも感じているのだろうか。

 ヴィスは案内と言ったが、とくに言葉をもちいて語ることはしなかった。

 公式の謁見の場ともなる玉座の間。王と王妃の居室。そして野心家だった王子の部屋。

 最後に、カーテーギュウが肖像画の前で思いを馳せた王女の部屋。ここでヴィスの足は止まった。

 王家の人間で、生きているのはこの王女だけだ。

 幸い王妃は既に亡く、王も自然の理によって逝ってくれた。おそらく王者としてまだ未熟なヴィスには、血なまぐさい処刑が王子一人であったことは、幸運なことだったのだろう。

 帝国法の定めるところ、叛乱あるいは皇族に対する殺人は未遂も含めて、科人の一族全て断罪とある。もしフィンデル王室に幼い子供がいたとしたら、ヴィスタークはその刑を実行できたろうか。

 即位して一年のうちに、ヴィスタークの王者としての才能は示された。しかし、甘いところを見せれば、フィンデルに終わらず各国の野心家たちが、深い心の湖に沈めて平和のうちに忘れ去っていた野望を呼び起こすだろう。

 帝国法の叛逆者に対する項目を読んだとき、カーテーギュウはつくづく安堵した。

 もし最悪の事態を迎えていたら、ヴィスタークはどうしただろう。そして、カーテーギュウはどうしただろうか。二人の友情は試され、そして互いに決断を迫られていただろう。

 いや、まだ王女が一人、生き残っている。

「帝国法を読んだことがあるか?」

 ヴィスは、王女の部屋の書棚にあった詩集をめくりながら、不意に問うた。まさに今、カーテーギュウが考えていたことだ。

「ああ」

 ヴィスの目は詩集の一ページに落とされていたが、その文字を追ってはいなかった。

「叛逆は大罪だ。首謀者は当然処刑。国王は病死してくれたが……」

 病死してくれた。正直なところ、二人の感想はそうだった。二人とも、まだ権力に慣れていないのだ。

「国王は、今際の際にアリエル王女の助命を嘆願したんだが……」

 ヴィスは今までになく歯切れが悪かった。部下としてのカーテーギュウに何かを命じたいのだが、自分がどうしたいのか、それを明確にできないでいるようだった。

 王女アリエルは、ヴィスタークが王都に入ったとき、すでに老王によって追放されていた。カーテーギュウが聞き得た情報によると、三百名ほどの人々とともに荒野へ旅立ったという事である。

「助命するかわりに、開拓移民としての労役に就かせた、と聞いたぞ」

 ヴィスがこちらを向かないので、カーテーギュウもそこかしこを観察しながら耳だけを傾けることにした。彼が手に取ってみたのは、彫り細工が施された手の平にのるくらいの小物入れだ。

「そう、遥かなる荒野の果てには、カーティリーンという異郷が広がっていて、目的地はそこだとか」

 フィンデル王国は帝国の西の端だ。そこから西には荒野しかなく、人跡未踏の地が広がるばかりである。しかし、噂ではその果てに、帝国のタリク海とは別の海を見渡す豊かな土地があるといわれている。

「噂といっても、お伽話の桃源郷のことじゃないか」

 ちらりとヴィスの方を見たが、相変わらず詩集をにらみ付けたままだ。カーテーギュウは手元の小物入れに目を戻し、開いてみた。オルゴールになっているかと思ったが、音は鳴らなかった。寂しく開いた小物入れの中に、香紙に包まれた何かが入っているようだ。香紙をひらくと、出てきたのは磁器細工の耳飾りだった。細工は鳥の羽根を象っている。それは、とてもうすく細やかで、白い釉薬(うわぐすり)でつやつやしく仕上げられていたが、お姫さまが身につけるには、少し地味な気がした。

「荒野の調査は、これまでに派遣された調査隊や冒険家たちによって進められている様だ。ある程度までは道筋が確立されているらしい。その先に、実際どういう土地があるのかはわからないが、もうあながちお伽話というほどあやふやなものでもないみたいだな」

「それで?」

 カーテーギュウが訊くと、ヴィスは初めて顔を上げた。

「家臣たちは、列国に示すためにもフィンデル王家の断絶を図るべきだと口を揃えている」

 勇略果断なヴィスタークが、いつになく自信なさそうにカーテーギュウに向き直った。

 ヴィスタークは、戦となれば一万が十万だろうが容赦なく戦い、その命を奪うだろう。それはそれが戦いだからだ。しかし、たとえそれが偽善であるといわれても、一人の娘の命を政治の謀によって奪うことに、ヴィスはためらいを覚えた。

「親父さんは? 手紙出したんだろ?」

「書簡はこないだ返ってきた。好きにしろと」

 先々帝はヴィスタークの帝位が安定すると、再び隠居生活に戻って政治に口出しすることが無かった。最初の頃は新帝の独断を先々帝に訴える家臣もいたが、門前払いされるだけだった。また、新帝の裁断が成功を重ねるにつれ、そういった者はいなくなった。

「じゃあ、好きにすればいいさ。家臣どもだって、あの頑固な爺さんがまとめてくれるさ」

「コルトス宰相か……確かによくやってくれている。僕の命令を摩擦なく実行できるのは彼のおかげだ。父上が最初の人事で口を挟んだのは、彼を宰相に推したことだけだったけど、それがもっとも効果を挙げているよ」

 カーテーギュウは、祖父と孫くらい年の離れたヴィスの父親のことを思い出していた。子供の時は、まさかかつての皇帝陛下だなんて思いもしなかった。手先が器用で、二人におもちゃを作ってくれるおじいちゃん、という存在だったのだが。

「で、どうしたいんだヴィス。言ってくれ。お前の気の済むように動いてやる」

「正直、どうすればいいか分からない。捕まえてこい、とも命令したくない。かといって、放っておくには気になる。王家の血筋というのは、よくよく謀略に利用されるものだし。できれば一段落するまで見届けたい」

 ヴィスは心苦しい、といった表情をした。

「じゃあ決まりだ」

 ヴィスタークはカーテーギュウが言ったことをはかりかねて、じっとその先を待った。

「俺がお前の代わりに見届けてくる。それでいいだろう?」

 いつ帰還が叶うとも知れぬ荒野への旅を、皇帝の友は承諾した。その願いを口に出すより先に。



 天幕の下、アレスの問いにカーテーギュウは頭を掻いて、さてどう言ったものかと言葉あぐねた。脳裏の回想を、まさかそのまま口にするわけにもいかないだろう。

「そう、ちょっと恥ずかしいが子供の頃からの夢でね。探しものさ。伝説のカーティリーンを目指してるんだ。ありもしない桃源郷に行くなんて、可笑しいだろう?」

 カーテーギュウは肩を竦めた。頬に浮かべる微かな笑みは、とってつけた嘘しかつけない自分の、密偵という任務に対する適性の無さを笑ったのだろう。

可笑(おか)しいか?」

 アレスは少し怒った風な口調でカーテーギュウに問い掛けた。

「さあなあ。他人にはおかしく見えるかもしれない。それでもそこへ行く目的があるなら、いいんじゃないかと思ってる」

 着替えた衣服を彼なりに整えながら答える。カーテーギュウが着ていたものより見栄えのする服だった。礼、という気持ちは確かに込められているようである。

「そうか。我々はお前から見るとおかしくはないか……」

 いささかなげやりに、カーテーギュウの答えに納得したような口調である。

「俺から? そうだな。荒野の探求って言うには子連れで人数も多いし、まるで難民だ。戦でもあったのか?」

 アレスの方に目をむけると、彼は腕組みをしてカーテーギュウを見据えていた。

「お前、密偵の割に嘘が下手だな」

「密偵!? 俺がかい?」

「そうだ」

「そりゃ、嘘が下手ってのは認めるよ。得意じゃないんだ、顔に出るから妹によくからかわれる。でも密偵っていうのは心外だ。それこそもっと嘘がうまい奴がやるもんだ」

 アレスは鋭い眼光でカーテーギュウを見据えると、素早く剣を抜き放って彼の喉元に切っ先を差し向けた。

 カーテーギュウは抵抗しなかった。ただアレスの眼光を受けとめた。

 この男は嘘をついている、とアレスの勘は断じていた。しかし証拠がない。それでも危険分子を排除するならそうすべきだ。だが、この男は子供たちの命の恩人である。確証もなしに、彼を始末するのは躊躇われた。

 カーテーギュウの瞳が真摯にアレスを見つめていた。深い色合の瞳が、アレスを捉えている。

 彼は、ひとまずの信用をこの男に置く事にした。無論、保険は掛けるつもりだ。

「いいだろう。明日早朝出発する。それまでこの天幕は使っていい。あとは好きにしろ」

「恩に着る。長旅で落ち着いて眠れるのは滅多にない」

「恩に着るのはこちらの方だ……が、多少の無礼は許されたい」

 アレスは垂れ幕を掻き分けて天幕を出た。

 外気は一層冷え込んでいた。見上げた夜空の莫大な広がりに、行く末の不安を彼は感じた。


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