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「……で、なんの用だ?」

 友人と差し向かいの椅子にくつろいだカーテーギュウは、紅茶の入ったカップに口を寄せる友人に切り出した。

「貴様、皇帝陛下に対し奉り、なんという口の利き方だ」

 友人の左後ろに立つ、深い青の長衣をまとった壮年の男が、知的ながら険しい顔でカーテーギュウを咎めた。髭を蓄え哲学的とも取れる風貌だが、険しくした強面はまるで歴戦の武人の相だ。

 口をつけたカップに落ちていた友人の視線が、上目遣いにこちらと目を合わせた。カーテーギュウとしても、肩を竦めるしかない。

 友人は嘆息してカップを皿におろすと長衣の男をたしなめた。

「宰相。カーテーギュウは私の唯一無二の友だ。これは私がどんな地位にあろうとも普遍のものだ。臣がこの関係に不快を感じると言うのであれば、構わぬから外してよい。そなたの職務には特に干渉しない類のことだ」

 干渉しない、というのは実のところ嘘であったが、重苦しい空気から逃れて会話を円滑にするには方便も必要だろう。

「左様でございますか。陛下が頭の固い老いぼれを疎ましくお思いになられるのでしたら、いつでも(いとま)を頂戴しますぞ」

 宰相はわざとらしく溜め息をつく素振りをして踵を返した。

「そなたの頭の固さこそを余は重用しているのだ。もっと本格的に老いぼれるまで、暇は許さんぞ」

 宰相の主君は、茶化し口調で肩越しに彼を労った。

「それがどうして。最近、老いを感じずにはおれませぬわ」

 去りぎわの台詞に、皇帝とその友人は顔を見合わせて笑いを噛み堪えた。本格的に笑い飛ばさないのは、父親ほどの歳の宰相に対するいたわりであろうか。だとしたら親の心子知らず。若い者が陰で笑っている事ぐらい見通せぬ様では、一国の宰相は勤まらないのだ。

「そうだった。それでなんの用だ、ヴィス」

 ヴィス。皇帝ヴィスターク五世を、カーテーギュウはこう呼ぶ。それは、偶然とも数奇とも呼べる運命が為したことだった。

 シルヴェンライン帝国は、一一王国三六公国を支配する大陸の覇者である。その皇帝を呼び捨てる身になれるのは得難い幸運だが、人界で持ち得る最高の権力に浴するヴィスが対等な友人を持ち得た事も、これまた幸運なことであった。

 彼らが対等な友人関係にあるのは、早い話、ヴィスがかつては皇族ではなくただの庶民に過ぎなかったからだ。

 正確には、ヴィスは皇族としての権利を有していたが、それを知らなかった。

 彼の生まれは、先々帝の息子ということになる。

 先々帝は若い頃に、后妃とのあいだに男子を一子もうけた。その後、子宝には恵まれたが女子ばかりであった。幸いにも皇子は健康に育ち、世継ぎに問題は生じなかった。そして先々帝は晩年、第二后妃という帝国史上では珍しい身分を、息子よりも若い女性に与えて寵愛した。后妃という地位は、なにかと権力構造の中に微妙な波紋を呼ぶが、第二后妃となる女性に権力的背景が無かったことで、このことは権力者の老後の我が侭として周囲は黙認した。それから思いのほか長生きすることになる先々帝は退位して皇子―――といっても、もはや壮年というべき年齢に達していたが―――に位を譲り、老後を楽しんだ。特に、彼はその余生の大半を市井で過ごすことを好み、その生活で生まれたのが、皇子という位には当てはまらないヴィスタークである。

 ヴィスタークは、一七になるまで両親の地位すら、そして皇帝が異腹の兄にあたるということすら知らなかった。祭りの日には群衆のなかに混じって、バルコニーに立つ皇族達に「皇帝陛下万歳」と叫んでいた。先々帝の市井での生活は、それほど徹底して庶民になりきっていたのである。

 先々帝は、ヴィスタークに皇族として生きさせるつもりはなかった様だ。

 彼の人生が一転したのは、ヴィスタークが一七の年だ。突然の皇帝崩御である。

 帝都リスターテルクに雪が降り積もる暗い夕方、高級官吏と近衛騎士の一団がヴィスタークの家に押し掛けた。高級官吏が帝国宰相と知ったときには驚いたが、ではなぜそんな高い身分の人間が我が家を訪問するのか。そういう困惑がこみあげるより迅く、宰相の口から出た台詞が、彼に落雷に打たれたような衝撃を与えた。

 帝国宰相は年老いた父に言ったのだ、「先帝陛下」と。

 亡き皇帝にはまだ世継ぎがいなかった。先帝、すなわち今で言う先々帝の皇女たちが産んだ子供たちのなかには男子がいたが、彼が手元で育てた珠玉に優って眼に適う者はいなかった。彼はヴィスタークを皇族として生きさせるつもりはなかったが、とはいえ能の無い孫どもに帝位をくれてやるつもりもなかった。

 自らの後見と、かつての重臣たちの圧倒的な支持を得て、彼の息子、庶民ヴィスタークは新皇帝として即位した。ヴィスターク五世の誕生である。

 そして、これまでの市井の生活で得た親友こそが、「皇帝の剣」カーテーギュウだ。

「まったく、友達が皇帝になったってだけで、たいそうな肩書きを貰ってしまったものだ」

 とは、カーテーギュウが洩らした台詞である。

 市井では、子供の育て方のなかに、文武どちらかで取り立てられて出世させる、という育成設計が存在した。出世すれば、子にとっても親にとっても人生一発逆転の目という訳だが、カーテーギュウはさらに大勝ちの目といったところだ。もっとも、カーテーギュウの家族は四つ年下の妹だけで、とりあえず自分と妹が食べていければ、これほどに大勝ちする必要はなかったのに、と当人はぼやく程度であった。

 皇帝の剣は、カーテーギュウが皇帝の友人として振る舞えるようにヴィスがつくった新たな地位だ。部下もなく、とくに権限もない。強いて言えば、皇宮への出入りが自由な事だろうか。

 カーテーギュウは友人としてヴィスが好きだが、文武とも最低限の度合いを自認する身としては、あまりに目立つ肩書きはありがた迷惑だった。宮廷人たちの(ねた)みに今のところ実害はないが、居心地が悪い事この上ないし、実力以上の俸給は少し重荷である。

 しかしヴィスタークとしても、唯一無二と呼ぶこの友人をないがしろにしたくなかった。

 皇帝になって身分は至上を極み、取り巻きは増えたが友は減った。皇帝になった自分に、媚びたり取り入ろうとするかつての友人たちの友情に、彼は失望した。そんななか、カーテーギュウ兄妹はかわらずヴィスとして接してくれた。言葉にはしないが、無量の感謝を、ヴィスは皇帝の剣という地位に込めたのだった。

 ありがた迷惑、とはいえ皇帝という大変な身分になった友人を、カーテーギュウは放ってはおけないからこそ、皇帝の剣という、彼いわく大層な肩書きをほっぽり出したりはしなかったのである。

 さて、ヴィス、この愛称の件に付け加えて、カーテーギュウの名についても触れておかねばならない。

 カーテーギュウの姓名は、レカ・ウィルフラント。

 ウィルフラントは家名、レカは幼名であり愛称。ではカーテーギュウとは。

それは聖導師に施された封印だった。

 聖導師とは、聖職者の称号のことで、司教や大司教を凌ぐ尊敬の対象であるが、しかし聖道教会のなかの位階からは外れた世捨て人でもあった。

 レカ少年はある日、旅の聖導師に出会った。

 聖導師が旅をしていることは珍しくない。人里はなれた土地に居を構えたり、流浪の旅に身を追いやって虚飾を排し、ただ生きることで清貧を保つのが聖導師というものである。

 その聖導師は、レカ少年に予言を与えた。

『おまえの運気は強すぎて、いずれまわりを不幸にする』

 レカ少年は、その言葉を馬鹿にしたり、嫌悪したりはしなかった。聖導師とは多くの人にとって尊敬の対象であるからだ。

 しかしその予言を鵜呑みにするでもなかった。ただ単に、どうすればいいのか分からない、ということもあった。

 聖導師の次の言葉で、嫌悪ではないにしろ、いやだな、と彼は思った。

『こんど儂に会うまでにおまえの家族は死に絶えるか、もしくはおまえともう一人になっているであろう』

 そんなことは嫌に決まっている。しかし、おや、とも思った。何十年もあとなら、確かに自分と妹の二人になっているのは道理だ。

『こんど導師様が僕と会うのはいつですか』

 と、レカ少年は恐れず、得意げに笑みを浮かべて問うた。

 聖導師は首を振って去った。

 二年と経たずして、レカ少年と妹を残し、彼の両親は病で逝った。流行り病だったが、多くの命を奪うほどではない病気だった。ただ、運がなかったとしかいいようがない。

 そして、さして間を置かず、彼の妹も病気に掛かった。やはり、みるみる衰弱し、明日をも知れぬ状態となった。

 小さな妹を看病しながら、レカ少年は祈った。妹まで奪わないでください、と。

 夜も明けようとする頃、あの聖導師が現れた。

 預言を得るのに時間が掛かったのだという。そして聖導師はレカに告げた。

『おまえはこれから名を捨て、古き魔人の名、カーテーギュウと名を変えよ。その名がおまえの運気を呪い、他者から命脈を奪うことを封じるだろう。

 以後、レカという名は、名乗ることも他者から呼ばせることも禁ずる』

 神の戒めを受けた魔人の名、それがカーテーギュウ。聖跡の古文書に通じるものなら、その名がそうとすぐ分かる伝説だった。

 それが、聖導師が旅の末、預言で得たレカと妹を救う方法だった。

 レカ少年が頷くと、翌朝には妹の容態は快方に向かっていた。

 この先、どうしても困ったことが起きたら私を訪ねなさい、と、その聖導師は言い添えて旅立った。

 以来少年は、戒めの魔人カーテーギュウと同じ名を名乗った。その名を聞いて眉をひそめる人もいたが、ヴィス少年は妹を救った立派な名前だ、と褒めた。

 魔人の伝説は知らないものの、奇妙な名前だと少年をからかう悪がき連中は、二人でやっつけた。二人してぼろぼろになったけれど。

 そんな思い出ばなしも、いつかふたりですることもあるだろう。

 ティーカップを置いたヴィスは口を開いた。

「今日は、ちょっとした頼み事があって来てもらったのだ」

 催促に応じてヴィスが用件を話しはじめたので、入れ代わりカーテーギュウは自分のカップを取って耳を傾けた。

「ちょっとした、ねえ?」

 いささか懐疑的に反芻してカップの紅茶を口にする。

 ヴィスが即位してからの一年は、先々帝の後見があったが、将来を見越して安定していたとはいえなかった。驚くべき長寿を発揮しているとはいえ、先々帝はすでに七十を越えた老人である。いつ急逝してもおかしくはない。ゆえに新帝ヴィスタークは早急に自分の支配権を確立する必要があった。

 カーテーギュウから見て、もともとヴィスタークという友人は賢い少年だったが、それが皇帝としての叡知たる保証はない。彼は端から心配したものだが、それをよそに帝王としての才能を開花させたヴィスタークは、一年間で完全に中央を掌握してしまった。

 実は、陰ながらカーテーギュウもヴィスタークの力になった。

 その頃のカーテーギュウには、大それた肩書きもなく、暗躍するにもってこいの人材だった。密偵、密使、隠密行動は彼の役目となった。静かな宮廷内での戦争は、駆け引きや根回しが多大な成果をもたらす。カーテーギュウは自分のした仕事の、途方も無い結果に愕然としたものだ。

 それら重要な事柄の仕事を彼に頼むとき、ヴィスは事あるごとに「ちょっと」と前置きしてきたのだ。いい加減、この台詞で身構えないほうがどうかしている。

 ヴィスは友人の表情を見て笑った。

 そもそも、我が友人は自分を過小評価している、とヴィスは常々思っていた。ヴィスは、この友人の存在のありがたみと、彼の能力の評価を切り離して考えてはいたが、その能力は確かに重宝していた。彼に与えた皇帝の剣という地位は伊達ではない。ヴィスからすれば、公私の分別無く彼に俸給を与えているわけではなかった。当人に自覚が無いのは、いつもながら苦笑させられる。

「城内を歩いてみたか?」

 ヴィスタークは不意に話題を変えた。

「いや、まだ」

 シルヴェンライン帝国皇帝ヴィスターク五世が、叛乱を起こした西方のフィンデル王国を電撃占領して二週間ほどが経った。

 カーテーギュウは進駐に同行したものの、見物に歩くには物騒に思えたので、旅行者を装って街中の宿に引っ込んでいたのだった。

 実際には、ヴィスタークが率いた近衛師団は規律を徹底されて、整然とフィンデルの王都を占領した。政治的にも、統治機能が麻痺することなく引き継がれたので、治安が悪化する事もなかった。

 カーテーギュウが、街を歩いて見たままをヴィスに教えてやったのが先日のこと。

「少し歩きながら話さないか。どうせだから、城内を案内しよう」

 ヴィスタークは席を立った。王者の風格か、立ち居姿は様になる。幼い頃からその様な雰囲気があったから、やはり素質があったのだなあ、などと感心してカーテーギュウも席を立った。

 部屋から出て、広間に降りる階段の前を通ると、そこには大きな肖像画が掛けられていた。描かれているのは、かつての、このフィンデル王宮の住人たちだ。

 中央にフィンデル王、寄り添った女性が王妃であり、夫妻の手は愛らしい王子と王女の肩を抱き寄せていた。国王夫妻は慈愛に満ちた面持ちで、兄妹は健やかな笑顔を浮かべている。時に権力闘争の渦のただ中にありがちな王室だが、彼らは円満な家庭であった様だ。

 この肖像画が描かれてから何年か経っているはずだ、とカーテーギュウの知識は示唆していた。

 王妃はずっと以前に死去し、フィンデル王は老いて病床にあった。つい二週間ほど前までは。

 成長した王子は野心家だった。中央が新皇帝即位でどよめいているのをみた彼は、乱世の到来を予感して事を起こす準備をしたが、新皇帝は目を見張る手腕で中央を治めてしまった。王子の乱世到来の予感は外れた。では、自分が口火を切ればどうだろう。彼は思った。一度起きた波紋は各地の王や諸侯の野心を揺さぶり、動乱の火種が燃え上がるのではないか、と。しかし、王子の実力はその野心ほどに長じてはいなかった。機を見て外れ、自らに都合のよい空想で兵を起こしてしまった。

 王子は新皇帝暗殺を計画し、実行後は精鋭部隊を以て帝都リスターテルクを電撃占領する手筈で、自らの空想を実行に移したのである。が、精鋭部隊は待ち伏せた新皇帝の近衛師団によって壊滅され、逆にフィンデル王都を電撃占領されてしまった。

 ヴィスタークは中央を掌握にかかる前から、一一王国三六公国すべてに密偵を送り、その動向をつぶさに観察していたのだ。その方法自体は特筆して珍しいものでもないが、実行の確実性と精緻さを上げるためにヴィスタークと彼が選んだ人材は手腕を発揮し、実に大きな成果を上げた。

 結果として、野心家たちに付け入る隙を与えることなく、即座に叛乱の片を着けてみせた。

 病床の王は、皇帝との会見で王子の処刑を聞くと、監督不行き届きを謝罪し王権を委譲してそのまま死の床についた。

 カーテーギュウは、幸せそうな家族の肖像画を見上げた。逞しかった父、優しかった母。亡くなった自分の両親を思いおこし、そして妹のことを思った。妹には自分がいる。では、天涯孤独となったこの王女は、どういう思いでいるだろう?

 青い瞳と亜麻色の髪を持つ少女の肖像画が、明るい頬笑みを浮かべてカーテーギュウを見下ろしている。今は妹と同じ年頃の娘に成長しているはずだ。


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