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 皇帝ヴィスターク五世たる青年のもとに、近衛騎士と宰相が訪問していた。近衛はカーテーギュウの家に同行した騎士だ。

 宮廷の主にふさわしい優雅に過ごすひと時に現れた来客、ではなく、書類の積み重なる執務室に、互いに多忙な仕事の合間を縫っての訪問であった。

 ヴィスタークの目の前にある書類など、莫大な案件の総数を考えれば、そのほとんどは些末で、彼の机を右から左に流れるものが多い。もちろん、本当に皇帝の手を煩わすほどでもない事柄は宰相以下の幕僚と、あまたの官吏が捌いている。それらをかいくぐってきたものだけでも、相当な数だ。それを、ほんとうに右から左に流せばさぞ楽であろうが、ただ流すにしても、端から端に目を通すことが、よく国を治めることのはじまりであった。

 区切りのよいところで、手にしていた書面を机に下ろし、ヴィスは顔を上げて椅子にもたれた。

 主が手を休めたのを見計らって、近衛騎士の青年は報告した。

「その後、マリーシア嬢の家宅周辺を見張っておりますが、不審な者がうろつく気配はありません」

 三人がこの時刻に顔をあわせたのは、その非公式な案件のために他ならなかった。単刀直入に切り出した近衛騎士をコルトス宰相が言葉継いだ。

「しかし、少し調べれば、あの家に兄妹が住んでいたことはすぐに分かるでしょう。兄の名前がカーテーギュウだということも。かつて陛下が住まわれた場所を徹底的に隠蔽してきたことが、まったく無に帰すでしょう。先々帝陛下の所在なども、芋づる式に知られてしまいますぞ」

 ヴィスターク五世は、皇帝の剣に帝都での住居を下賜していた。無論、偽装である。

 カーテーギュウという名もまた、魔人の名を借りた通り名と触れ込むことで彼の出自をぼかしていた。

 一方、新帝即位の後も、父親である先々帝が隠遁生活を続けるにあたって、ヴィスターク五世が市井で生活した場所は極秘中の極秘とされている。帝都ですらない町とされていた。

 町ではヴィスタークがいなくなったことについては仮の理由が語られ、近所の家から若き皇帝が誕生したことは誰も知らなかった。

 一七歳のヴィスタークが宮廷に行ってすぐ、それを知らないカーテーギュウが友人の家を訪ねたときも、仮の理由、遠い町の親戚に養子に出した、と教えられた。

 近所の子供たちの間で少し恐いがよい小父さんで通っていた先々帝は、あとで手紙を書くといっていた、とすまなさそうに、本当にすまなさそうに言ったのをカーテーギュウは今でも忘れない。彼が大層な地位へと抜擢されたのは、少し経ってから、秘密のうちにであった。

 こうして、皇帝と、剣と、双方の線からも辿れぬように過去は隠蔽され続けていたのであった。

 したがって、宮廷でカーテーギュウの出自はまったくの謎である。公では市井で見出した信頼のおける剣士とされ、交友関係のあった庶民ではないかと噂される程度。ほんのすぐそこの下々の町で、そういう怪しげな名前の青年が住んでいたことは、まったくの盲点だった。

 こうまでして過去を隠す理由。それは、先々帝の民草に混じっての安穏な生活を守るためであり、なによりも政敵から弱点である家族を守るためなのである。

 しかし、カーテーギュウの生家が知られると、その周囲を調べれば、かつてヴィスタークという少年がいたこともすぐに分かってしまう。

「ふむ、まいったな……」

 主君の軽い口振りに宰相は物言いたげな顔をするが、言の葉は飲み込んだようだ。

「いや、まずマリーシアのことだ。もちろん、先々帝陛下(ちちうえ)と母上には陰ながら近衛の警護を付けるとして、だ。あの家の住人が、話題のマリーシア・レ・ユルフレーンと知る者はいないだろう?」

「顔は知れずとも、カーテーギュウめと同じく、住人の名がマリーシアであることも分かってしまうでしょう」

「そうだった……ではいっそのこと、ユルフレーンの忘れ形見が預けられた家というのが、あの家だったということにしてしまおう」

「その近くに偶然、幼少時代の陛下が住まわれていたと?」

「どうせ疑われるのだ。劇的にしたほうが、カーテーギュウを皇帝の剣にしたことや、ユルフレーンの忘れ形見が見つかったことにしても、かえって必然に見えそうではないか?」

 たしかに、噂好きの御婦人たちが茶会の席で喜びそうな話だ。まったく歌劇にでもなりそうなほどに。

「疑念は尽きませんな」

「悪意を持って疑ってくる者を、説き伏せようとは思わんよ」

「それもそうですな……しかし、マリーシア嬢は、元の生活に戻れなくなりましょうな」

 町で穏やかに暮らすマリーシア。彼女のいるあの家の居心地のよさ。彼女から奪い、そして自分もひとつ居場所を失うのだ。

「それは、言葉もない」

 ヴィスは、その指摘で我に返った。ほんとうは自身でそれに気づいていたのだ。

 そもそものところ、この隠蔽は最初から失敗していたのである。自分が軽はずみに、マリーシアに手紙を届けたりしなければ。いや、元をただせば自分のわがままで友人を皇帝の剣などという立場にしなければよかったのだろうか。友人が魔人の名に縛られる運命でなければ、偽名でも使って簡単に隠せたろうに……。自分以外の、運命とかそういうもののせいにしようとしたところで、ヴィスは醜い方向へ転がりだそうとする思考を止めた。

 皇帝という責任を果たしながら、友人たちとあの安らかな場所を失いたくなかったのだ。だから、嘘に嘘を塗り固めてでも守ろうとした。それが結局のところどうだ、ユルフレーン家まで引っ張り出して嘘の片棒を担がせ、体面を保つために嘘を続けなければならない。そのせいでマリーシアは家に帰れず、宮廷の闘争にまで巻き込んでしまった。

―――― マリーシア……。

 ヴィスは手で顔を覆って目を閉じた。



「恐れながら」

 近衛騎士の青年が声を発して、ヴィスは視界に光を入れた。

「なんだい?」

「マリーシア嬢につきましては、陛下が政敵を一掃されて世情が落ちついてのち、調査が誤っていた、などと理由をつければ元の生活に戻せるのではないでしょうか」

 皇帝と宰相は顔を見合わせた。

「名案だ」

 それは簡単な事ではないが、闇に落ちようするヴィスを救う言葉であった。


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