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 大広間では、すでに楽の音が響き、貴公子たちが貴婦人たちの手を取って円舞に興じている。また、ところどころで、美女の手を取るべく男たちが女の美しさを讃える麗句を競っていた。

 広間をかこって見下ろせる中二階には、酒席を用意した卓がいくつも並び、各地の貴族が新旧の交友を温めている。百人近い給仕たちが行き交って、その無数の卓を賄っていた。

 アルター公ヒルデムは、色とりどりの衣装が円舞曲にあわせて花開くのを見下ろしながら、ヒルデムにひけをとらぬ豪華ないでたちをした壮年の男と杯を交わしていた。

「王よ、例のものは役に立っておりますかな?」

「存分に、アルター公」

 シルヴェンライン帝国は、大陸一一王国三六公国を統べる巨大国家である。なかでも、王の位によって国を治めるのは文字通り一一人、フィンデル王位が空位の今、実際には十人のみである。アルター公ヒルデム、いま彼のむかいに座るのは、ヘイデルン王レイオス三世であった。

あれ(・・)は、ああも容易く人を溺れさせるが、それほどに快楽(けらく)に満ちたものなのかね」

「さよう。しかし、だからといってご自分で試そうなどとは思いますな。これは私の善意からの忠告ですぞ」

 じろり、とヘイデルン王は笑み混じりの視線で公を見た。

「では公の善意に乾杯しよう」

 硝子の杯を、高貴なる二人はあわせた。



 舞曲が一区切りを迎え、楽曲がしばし控えめな曲に切り替わると、広間は歓談の場に変わった。踊りではなく、今度は言の葉が社交の道具になる。

 硝子の杯を手に、貴公子シリス・カナン・フォスバールは窓辺に寄り添った。極薄でつややかなこと比類ないベルタ製の杯は、彼の美貌を映して輝く絶好の小道具だった。

 お声掛かりを待つ貴婦人たちの溜め息が杯をくもらせる。ベルタの硝子は、そのくもりすら化粧のように美しく表面に広がり、さっと乾いてしまう上質である。

 酸味のきいた果実酒に口をつけながら、彼は貴婦人たちには目もくれず、となりに歩み寄った黒髪の青年に向けて軽く酒杯を掲げた。

「ご婦人方を惑わして罪作りだな君は。どなたかお一人くらいお誘いして、罪滅ぼしをしたらどうだい」

「どうか許して欲しい、私には花園に咲く花々から一輪だけを無碍に手折ることなど出来ない、……とでも言えば、かのご婦人方は満足してくれるだろうか」

「ああ、そいつはいい。感極まって卒倒するだろうね、幾人かは」

 黒髪の青年は、シリスに倣って窓枠を背に広間を見渡した。

「ところで、昼間に騒ぎがあったそうじゃないか」

「相変わらず耳が早い」

 新しい話題の提示に、シリスははす(・・)に構えて受け流す。

「君ほどじゃないけどね、俺の情報網は。せいぜい身の回りくらいさ」

「ずいぶん君は手足が長いようだ」

 シリスは微笑を湛えた。帝都ひとつ身の回りと称してしまう心意気が愉快であった。ことに彼の住まい、ロンテスキン家の邸宅は帝都の外苑だ。帝室や大貴族の別邸を置く為の小領地を預かる小貴族だが歴史の長い家柄である。

「俺は、君のことだからもう二、三、糸を張るかと思ったけどね」

「なんのことだろう」

 シリスの微笑が消える。かといってそれに変わる表情が面にでるわけではない。

「それでいいさ」

 金髪の美しい青年の態度に、嫌味も不満も無く肩を竦めるように言った。

「ただ、上級貴族とその子飼いが、赤いカーテン(リート)の向こうで何を語っているかは知らないが、あそこは君に相応しくない」

 酒杯を揺らしていた手を止め、シリスはベルタの硝子に小さく映る自分の顔と対峙した。

 そして一拍、ふっとシリスの顔が緩んだ。

「たしかに、あそこは権力と悪意を温床にして猿知恵しか生まれない場所だ」

「だから君には似あわないと? 恐れ入ったよ、俺は意見を変える。君にはお似合いだ。愛の告白と同じくらい真剣に言っているのに」

「怒るなよクラウブ」

 シリスは友人の肩を叩いて謝罪の意を示す。

 そんな光景を興味津々に眺めるご婦人たちの背中の景色に、動く人の姿があった。

 中二階の会食場とは別に、階段とその奥へと続く廊下が大広間の中央にしつらえてある。この巨大な大広間の三辺を囲う会食場に対し、残る一辺は独立した造りで、奥宮へ直接つながる回廊を屋外に持つ。内外の景観と装飾に徹底した芸術性を施したこの建物は、芸術家にして建築家である一世紀前の人物の手によるものだ。

 その奥宮からつながる白に金細工の扉が開き、侍従と近衛武官が出てきた。

 赤い礼服姿の侍従は扉を閉じなおして二人が左右に姿勢を正し、白を基調にした礼服の近衛は、穏やかな歩調で進み出て、階段上からあらかじめ要所で警備に当たる部下へ視線を送った。彼らはこの場で唯一武装を許され、赤い帯で肩から吊るした金細工の細剣だけが、唯一のそれである。

 それに気づいた人とその周囲が、さざ波のようにざわつき始める。

 近衛は部下の配置と異常の有無を確かめ、扉の侍従に目配せして残りひとりの侍従と廊下の出口の左右に立った。一切がまるで空気のような振る舞いで、言われなければ気づかない人も多い。実際、広間全体を見れば気づいた人のほうが少ないくらいだ。

 現在、この宮廷で、近衛と侍従の先触れを伴って入場する人物は一人しかいない。

 一一王国三六公国の主、

『シルヴェンライン帝国皇帝、ヴィスターク五世陛下――――!』


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