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 アレスはああ言ったが、考えてみればこれは好機だ。島ならば、誰の眼にも留められず、あの男を(ほふ)ることができる。人々の不安を(あお)ることもない。ロニスの思考は彼の両脚に直結した。

 島を目指して緩やかな傾斜を登る。人影の背中の方向に回り、ゆっくりと地面を踏みしめた。奴は気づいていない。間合いを詰める。もう少しで一刀の間合いだ。ロニスは剣の柄に手を掛けた。

「ふ、ふわぁ~あ」

 ロニスは呆気に取られた。相手は両の手を伸ばしておおあくびした。黒いマントから伸びる小さな手。奴じゃない!

 動揺が気配となって現れたのか、相手がこちらを振り向いた。

「あれ? ロニス、なにやってんの?」

「ティオ! なんで此処にいる!」

 あまりの怒声にティオは首を竦めた。

「だって、カーテーギュウがここにいてくれって言うんだ。せっかく力になってやろうと思ったのに……」

「それで奴はどこだ!」

「知らないよう」

 ティオは口をとんがらせた。ロニスは聞くや否や、飛ぶように島を駆け下りた。

 わかっている、奴は王女の天幕だ。それにしても力になってやる、だと? 子供のあいだで奴がちょっとした英雄視されているのは知っている。腹立たしい。これまでこの移民を守ってきたのは組合(ギルダ)だ。そしてそれを率いる自分だ。自惚れではない事実だが、子供相手にこんな小さな自尊心をぶちまけるほど自分が器量の小さい男だとも認めがたかった。



 その頃、カーテーギュウはティオに教えられた王女の天幕に忍び寄っていた。周囲には、まばらに夕食を煮炊きする人々の気配が感じられるが、天幕が寄りそうそこは人気が退けられて静寂を醸していた。王女の天幕は、垂れ幕に青い布が使われている。それが移民達のあいだで通している目印だと、ティオは言っていた。

 天幕に中背の身を寄せて、中の気配を探る。中にはアリエル王女しかいない。そう確信めいたものを持って、カーテーギュウは天幕へ向かって声を掛けた。決して大声ではない。あくまで人目を忍んでのことだ。

 カーテーギュウは一口、唾を飲み込んで言葉を選んだ。

「アリエル王女、いらっしゃいますか……」

 しばしの沈黙、周囲を警戒してもう一度呼び掛けようとしたとき、中から声が返ってきた。

「……何者です」

 それは、落ち着いた声だった。曲者に怯えた声音ではない。堂々と筋のとおった一音に言葉を乗せてはっきりと、こちらの正体を問いただしていた。

「アリエル王女、私は皇帝ヴィスターク五世の友人で、カーテーギュウと申します。あなたにお伝えしなくてはならないことがあって参りました」

 言葉を区切ると、空気は再び沈黙にしずむ。カーテーギュウは続けた。

「あなたのお父上、フィンデル王ヨシュア六世陛下が崩御なされました」

 天幕の布で隔てられた向こうの気配が息を呑むのが、はっきりと感じられた。

 沈黙のなか、今度は相手の言葉を待った。

「……父は、病で逝ったのですか」 

 その声は、先ほどまでより近く聞こえた。布一枚はさんだすぐ隣に彼女は立っているのだとわかる。息遣いすらもかすかに伝わるようだった。

「はい……お父上は、あなたの助命をヴィスタークに嘆願して亡くなりました。ヴィスタークは、あなたの命までも奪おうとは思っておりません。どうかご自愛なさって、帰還なさいますように。我が友は流血など望んではいません」

「……肉親を殺した者の言葉を、どうして信じることができるでしょう」

「あなたの兄上、フィアルト王子が叛乱を起こさなければ、ヴィスタークとて戦いはしなかった。それはお分りでしょう」

「……さがりなさい。でなければ人を呼びます」

 声に、かすかな感情の変化があった。それは怒りだろうか。しかし、それ以上は沈黙に引きこもって、感情を悟らせはしなかった。

 カーテーギュウは引き際と見て、その場を立ち去った。誰に見咎められるか知れない。足を忍ばせ、天幕の隙間を縫って抜け出した広がりで、周囲に眼を配ったカーテーギュウだが、最悪の配役で鉢合わせとなった。さすがのカーテーギュウも、間の悪さに顔をしかめた。

「貴様! そこで何をしている!」

 怒号の次にはすでに白刃が横切っていた。カーテーギュウは躱したが、でなければ腹を割られたに違いない。ロニスは本気だった。

「物を訊ねたのなら、せめて聞いてはくれないのか?」

「訊いた俺が馬鹿だった。聞くまでもない!」

 切っ先が風切り音を牽いてカーテーギュウを襲う。いつぞやと違い、剣を腰に佩いてはいたが、カーテーギュウは抜かずに躱すことに専念した。一方、ロニスの殺意にためらいはない。だが、カーテーギュウには彼を殺す必要はないのだ。しかしそれを実践するのは至難の業だ。カーテーギュウは事もなげに、ロニスの切っ先を躱しているかに見えたが、それは違う。星明かりの下、白刃とはいえ陽光の下で煌めいているのとはわけが違うのだ。刀身が姿を見せるのは、星明かりが刃を煌めかせる一瞬のみ。後は闇に消える。それでも、カーテーギュウはロニスの太刀筋を察知して身を躱し続けた。

 皇帝となった友人ヴィスタークと彼は、少年時代から剣の修練を積み、とくにヴィスは剣においてもただならぬ才能を開花させたが、その彼と唯一互角にわたったのがカーテーギュウだった。いや、互角というには正確さが欠ける。それは攻守において拮抗していたわけではなく、ほとんどがカーテーギュウの防戦一方だったからだ。しかしカーテーギュウはヴィスに勝たせなかった。ヴィスの攻勢を凌ぎきったのは、彼らが師事した剣の師匠の門下の中で、カーテーギュウだけだった。師は嘆いて言った。おまえに剣を振る方にももう少し才能があれば、一度はヴィスタークに勝てたかもしれないものを、と。たとえば、人喰蜥蜴のような獣相手に力任せの剣は振るえても、剣技を扱う人間にとって、カーテーギュウの剣は凡くらだった。だから、カーテーギュウの剣も、当然ヴィスを負かせた事がない。ともかくも、その才能はカーテーギュウの命を確実に助けていた。

 ただ、状況はカーテーギュウに不利で、身を躱すに天賦の才があっても、躱すだけでは攻勢のロニスにばかり闇が味方する。闇が刃を隠すからだ。ロニスの剣技はヴィスに劣るが、それに対峙する以上の緊張をカーテーギュウは背負っていた。ヴィスは自分に対して殺気など放ちはしない。

 何度か、切っ先がカーテーギュウを捉えかけた。それが二度、三度続くようになる。そして、ついにカーテーギュウの頬を掠めるような突きの一撃をすんでのところで躱した時だ。

「やめろ!」

 それは罵声と殺気が人目を引きはじめたのと同時でもある。アレスが天幕の方から現れて二人を制止した。

「なぜ止めるんだアレス! こいつは王女の天幕の様子を伺ってたんだぞ! 取り返しがつかなくなる前に殺すべきだ」

「静まれロニス。殿下はご無事だ……」

「当たり前だ! ご無事でなければ八つ裂きにするところだ」

 ロニスの剣幕はたちまち人だかりを作った。その中から、ギリアム老人が掻き分けるように出てきた。

「まあまあロニス殿。王女殿下は証拠もなく人を罰することは好まれません。ご心配なら、カーテーギュウ殿はこれまでどおりあなたが注意するということで、よろしいですな」

 王女の意向といわれれば、ロニスは頷くしかなかった。剣を収めて腹立たしそうに立ち去る背中は、もはや見慣れた感がある。

「アレス様、あれでよろしかったでしょうか」

「うん、助かった」

「カーテーギュウ殿も、あまり刺激なさいませぬように」

 ギリアムは一礼すると、野次馬の人だかりを解散させにいった。

「アレス……まだ眼が痛むのか?」

 カーテーギュウは、彼の目尻に涙の後を見つけて言った。

「た、大したことはない。それよりも、ギリアムの言うとおりだ。妙な立ち回りは遠慮してもらおう」

 カーテーギュウの手から逃れて、アレスは天幕へ戻っていった。

「アレス!」

 カーテーギュウは呼び止めたが、彼は立ち止まらなかった。

「俺の友人は、誰の死も望んじゃいない。それは覚えておいてくれ」

 アレスの意識が、一瞬だけ自分の方を向いたようにカーテーギュウは感じたが、やはり振り向きはしなかった。

「アレス様? どうなさいました」

 ギリアムは、深刻な表情をしたアレスの腕を掴んだ。老人に腕を掴まれるまで、彼はまるで、傍らに戻ってきたギリアムの存在に気づいていなかったようだった。

「ギリアム……なんでもない」


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