第4話 — 玉座の間の小さな温もりの儀式
アリスは、もうぐっすり眠っていた。
厚手の毛布を顎の下まで引き上げて、小さな体を丸めている。さっきまで泥だらけだった金色の髪も、今は枕の上で柔らかく広がっていた。そのすぐ隣では、ピップがアリスの寝息に合わせて、体を膨らませたり縮めたりしながら一緒に微睡の中にいる。
私は玉座に座り、その様子をぼんやりと眺めていた。
これまでは、自分の足音と風の音しか聞こえなかったこの部屋に、今は別の鼓動がある。なんだか、不思議な気分だった。
「……やっと落ち着いたみたいね」
玉座の下、壁に背を預けて座っていたルファスが、手持ち無沙汰そうに呟いた。
「そう見えるか?」
「ええ。呼吸も安定してるし、筋肉の緊張もまったくない。完全な熟睡よ」
ルファスはしばらくアリスをじっと見ていたが、ふっと視線を落とした。
「あの子、本当に限界だったんでしょうね」
「人間から逃げてきたらしい。たった一人でな」
私の言葉に、ルファスはしばらく黙っていた。
部屋の中に、重たい沈黙がゆっくりと流れる。
「人間って、昔からああなのよね」
ルファスが、どこか遠くを見るような目で口を開いた。
「私ね、大昔に吸血鬼の村が焼かれるのを見たことがあるの。火は空まで届きそうだったし、子供たちは逃げ回って、大人は死ぬ気で戦ってた」
彼女は少しだけ苦笑いを見せた。
「その時、私はただ遠くから眺めてるだけだったけど」
「助けなかったのか?」
「だって、私の縄張りじゃなかったし」
さらっと、彼女はそう言った。冷たく聞こえるかもしれないけれど、それが彼女なりの「普通」なのだろう。でも、その目は言葉ほど突き放しているようには見えなかった。
「……後悔してるのか?」
ルファスはすぐには答えなかった。一度目を閉じて、静かに息を吐く。
「後悔なんて、短い一生を生きる人たちの贅沢よ。私には……時間が、ちょっとありすぎるから」
それ以上、私は何も言わなかった。
けれど、無意識に部屋の空気を少しだけ温めていたらしい。ルファスが顔を上げて、私をジロリと見た。
「またやったわね」
「何をだ」
「この部屋、温かくしてるでしょ。無自覚?」
……否定はできなかった。どうやら私の意志は、思った以上にこのダンジョンの環境に漏れ出しているらしい。
それから数分後。
ルファスがふらっと立ち上がり、部屋の隅にある小さなキッチンの方へ歩いていった。食材の棚をじーっと見つめるその後ろ姿は、あまりにも分かりやすかった。
「……また、何か食べたいのか?」
「お腹空いちゃった」
「お前、一応は古代のドラゴンだろう」
「知ってるわよ」
ルファスは振り返って、子供みたいに素直な顔をした。
「でも、あなたの料理が食べたいの」
私は数秒、無言で彼女を見つめた。ルファスは瞬きもせずに視線を返してくる。
結局、折れたのは私だ。私はメニューを開き、**DP**を使って新鮮な野菜と肉、それからスパイスをいくつか取り寄せた。
料理を始めると、ルファスは床にぺたんと座り込んで、私の手元を真剣に見守り始めた。
「玉ねぎを切るだけだ。そんなに見るな」
「勉強してるのよ」
「何をだ?」
「料理で温もりを作る方法」
包丁を動かす手が、一瞬だけ止まった。
でも、すぐにまた動き出す。魔法コンロの火がパチパチと音を立て、炒めた玉ねぎのいい香りが部屋中に広がっていく。
スープがコトコト煮え始めた、その時だった。
「……いい匂い」
毛布の中から、小さな声がした。
アリスが目を覚ましたのだ。まだ眠そうな目でゆっくりと起き上がり、隣でピップも体を伸ばしている。アリスはおぼつかない足取りでキッチンに近づいてきた。
ルファスが床をポンポンと叩く。
「ここ座りなさいよ」
アリスは素直に頷いて、ちょこんと正座した。
「お料理してるところ、初めて見ました……」
「村では見なかったのか?」
「……昔、お母さんが作ってたのは見たことあるけど……もう、どんな感じだったか忘れちゃいました」
部屋の空気が、ふっと静かになった。
私はゆっくりとスープをかき混ぜる。
「なら、この光景を覚えておくといい」
アリスは小さく微笑んで、こっくりと頷いた。
その夜、私たちは玉座の間の床で、並んでスープを飲んだ。
アリスはルファスの真似をして、一生懸命ふーふーとスープを冷ましている。一口飲んだ瞬間、彼女の赤い瞳がキラキラと輝いた。
「すごく……美味しいです!」
ルファスはもう半分以上食べ終えていた。
空になった器を私に差し出してくる。
「おかわり」
「食欲旺盛なドラゴンだな」
「美味しいものは、いくらでも入るのよ」
アリスがくすくすと笑った。その声はとても澄んでいて、もう怯えは感じられなかった。
食後、アリスはまたピップと一緒に眠りについた。
ルファスは壁に背を預けて、満足そうに目を閉じている。
「このダンジョン、変わったわね」
「そうか?」
「ええ。前はただの冷たい石の部屋だった。今は……私がずっと居座りたい場所」
私はシステム画面を閉じた。
居住者は四名。マナの収入がどうとか、今はそんな数字はどうでもよかった。
ふと見ると、ルファスはもう寝息を立てている。彼女の白い尻尾は、アリスの寝床を守るようにゆるく巻かれていた。
ピップ、ルファス、そしてアリス。
最初はただ、静かに暮らせる場所が欲しかっただけ。
でも、いつの間にかここは、ただの「支配エリア」じゃなくなっていた。
ここは、家だ。
外の空は相変わらず真っ暗だけど。
この部屋には、目には見えない光がある。
魂を温める、小さな、けれど確かな光。
私は初めて、本当の意味で実感していた。
自分はもう、一人じゃないんだと。
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