第32話 ― 信じがたい報告(3)
その静寂は――。
まだ、続いていた。
誰も、それを破ろうとはしなかった。
あの言葉が、放たれた後では。
「この王国に……勝ち目はありません」
その言葉は、いまだ宙に浮いていた。
重く。
圧し掛かるように。
まるで目に見えない宣告のように。
そして――。
「もうよい」
その声は、玉座から降ってきた。
深く。
静かに。
しかし、広間にいる全員を服従させる重みを伴って。
アルドリック王が、ついに口を開いた。
全員が背筋を正した。
不注意に呼吸をすることさえ、誰もできなかった。
王の鋭い眼差しが、サーシャに注がれる。
鋭く。
深く。
真実の核心を貫こうとするかのように。
「騎士サーシャよ」
「一つ、答えよ」
その声音は、荒らげてはいなかった。
しかし、それゆえに――。
いっそうの圧迫感を生んでいた。
「あの存在は……」
「敵意を示したか?」
サーシャは、一瞬沈黙した。
問いは単純だった。
しかし、その答えは――。
すべてを決定づける。
「……いいえ」
その答えは、静かに出された。
しかし、はっきりと。
「彼女は、我々を襲いませんでした」
「言葉も交わさず……」
「それどころか……我々を、気にかけるべき対象としてすら見ていませんでした」
数人の貴族たちが、一斉に身を強張らせた。
その言葉は――。
どんな脅しよりも恐ろしかった。
王は、すぐには反応しなかった。
「では、なぜ……そなたを助けたのだ?」
サーシャは、一瞬だけ目を閉じた。
あの瞬間を、思い返す。
「……わかりません」
「ですが――」
彼女は、目を開いた。
「それは、慈悲ではありませんでした」
静まり返る。
「強いて言うならば……」
「道端の蟻を、不意に踏んでしまった者のように」
「そして、何も考えずに……ただその道を掃き清めただけなのです」
今度こそ――。
本当に、誰も言葉を発することができなかった。
それは救済ではない。
それは――。
ただの、残酷な偶然。
アルドリック王は、ゆっくりと玉座の背もたれに身を預けた。
その目を細める。
考え。
計算し。
口には出せない何かを天秤にかけている。
「……承知した」
一言。
短く。
しかし、その議論を打ち切るには十分だった。
そして――。
「命ずる」
広間全体が緊張に包まれる。
「この情報は、この部屋から一歩も出してはならぬ」
「もし漏らす者がいれば……」
王は、言葉を切った。
その視線が、貴族たちをなぞる。
冷たく。
感情を排して。
「……反逆者とみなす」
反論する者はいない。
その勇気がある者など、いなかった。
「ヴェイロン」
騎士団長が、直ちに跪いた。
「はっ、陛下」
「精鋭部隊を編成せよ」
「王国の紋章を隠し」
「身分を捨てさせよ」
「《永遠の森》を調査するのだ」
「ただし――」
王の声の色が変わった。
より深く。
より重く。
「接触は、一切禁ずる」
「挑発もするな」
「もし、あの存在に遭遇したならば……」
一瞬――。
王でさえ、言葉を止めた。
「……撤退せよ」
その命令は――。
何よりも明確だった。
王ですら、認めたのだ。
あれは、戦うべき相手ではない。
「御意に」
ヴェイロンは、迷いなく答えた。
しかし――。
その瞳には、微かな動揺が滲んでいた。
生まれて初めてのことだった。
「これにて、閉廷とする」
その一言で、会合は締めくくられた。
しかし、すぐに動ける者はいなかった。
全員が、囚われていたのだ――。
まだ見たこともない、何かの影に。
サーシャとミーシャは、跪いたままだった。
やがて――。
「下がるがよい」
二人は立ち上がった。
ゆっくりと。
そして、広間を後にした。
しかし――。
あの感覚だけは、消えなかった。
王宮の外では……。
夜風が穏やかに吹いていた。
空は暗い。
静かだ。
あまりにも、静かすぎる。
サーシャは、足を止めた。
なぜか――。
何かを感じた。
ゆっくりと……。
彼女は、顔を上げた。
空を、見上げる。
その時――。
彼女の息が止まった。
「……ミーシャ」
その声は、ほとんど聞こえないほどだった。
「動かないで」
あの上空――。
何もないはずの、雲の間に――。
「それ」は、いた。
シルエット。
人影。
浮遊し。
静かに。
監視している。
あの紫色の長い髪が……風に吹かれ、緩やかに揺れていた。
そして、どんなに距離が離れていても――。
サーシャには分かった。
あの視線が……自分たちに向けられていることを。
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