第33話 ― 境界の影
境界での事件から三日が経過したが、濡れた土の匂いと凍りついた空気の圧迫感は、いまだにサーシャとミーシャの五感を支配していた。
二人は《永遠の森》の縁に張られた、急造のテントの下に座っていた。
そこは安全を感じるには十分に遠く、それでいて警戒を解くには近すぎる場所だった。
二人の間では小さな焚き火が爆ぜていたが、骨の髄まで染み込んだ冷気を溶かすほどの温もりはどこにもなかった。
サーシャは自分の肩に触れた。
ワイバーンの爪跡はすでに塞がっていたが、触れると今でも冷たく感じる白い筋が残っている。
それは普通の冷たさではなかった――出血を強引に止めた、フロスティーヌの『権能』の残滓だった。
一瞥するだけで生殺与奪を決められる存在の掌の上にいたことを、それは永遠に思い出させる刻印だった。
「……まだ、彼女のことを考えているの?」
ミーシャが静かに尋ねた。その声は夜風のざわめきに消え入りそうだった。
サーシャは答えず、ただ炎を見つめ、疲れ果てた顔の上で揺れる影に身を任せた。
(考えずにいられるはずがないわ)
彼女は今でも鮮明に思い出すことができた。
あのワイバーンが襲いかかろうとした瞬間、死の臭いが鼻を突くほど間近に迫った時のことを。
その時、突然世界が静まり返った。
それは穏やかな静寂ではなく、宇宙そのものが息を止め、肺の中の空気を凍らせたかのような強制的で圧倒的な静寂だった。
圧力は予兆なく訪れた。
重力は倍加し、彼女の膝を地面に叩きつけた。
呼吸をしようとするたびに、肺の中が鋭い氷の結晶で切り裂かれるようだった。
そして、つい先ほどまで彼女を八つ裂きにしようとしていた凶暴なワイバーンたちは、傷一つないまま地面に伏した。
彼らは激しく震え、そのまま意識を失ったのだ。
そこに、彼女が現れた。
長い紫の髪が森の薄暗がりの中で輝き、腰のあたりまで柔らかく流れていた。
薄い紫の浴衣は風もないのにたなびき、まるで見えないリズムに合わせて生地そのものが呼吸しているかのようだった。
その瞳は淡い紫の光を放ち、見る者すべてを大海の前の塵のように感じさせる深淵を湛えていた。
「私たちは、死ぬはずだったのよ」
サーシャはついに、掠れた声で囁いた。
「分かっているでしょう? 私たちはあそこで死んでいたはずなの」
ミーシャは唇を噛んだ。
彼女には分かっていた。
魔道士である彼女は、サーシャには説明できないものを感じ取っていたのだ。
あの女性を包み込むマナの層はあまりにも濃密で、測定しようとしただけで自身の魔術回路が恐怖で悲鳴を上げた。
それは抗えるような力ではない。
それは、ただそこに存在する「世界の摂理」そのものだった。
遠く離れた《永遠の森》の奥深く、フロスティーヌはダンジョンのテラスに座っていた。
薄手の紫の浴衣を纏い、長い髪を背中に流している。
膝の上ではアリスが眠り、その規則正しい小さな寝息が彼女の太腿を温めていた。
ピップは液状の毛布となって二人を包み込み、隣では小さくなったリルが丸まって、時折尻尾で夜虫を追い払っていた。
扉の向こうからルファスが現れ、果物のボウルを手に気だるげに歩いてきた。
彼女は当たり前のようにフロスティーヌの隣に座り、その肩に頭を預けた。
「またあの二人の小さな人間のことを考えているわね」
ルファスは問いかけるのではなく、確信を持って呟いた。
フロスティーヌは答えなかったが、その沈黙こそが肯定だった。
「珍しいわね」ルファスは果物を口に運びながら続けた。
「アンタが通りすがりの人間にそんなに関心を持つなんて」
「……あの子たちは、少し違ったのよ」
「どう違うの?」
フロスティーヌは視線を落とし、安らかに眠るアリスを見つめた。
しなやかな指先で、少女の金髪を優しく撫でる。
「目よ」彼女は静かに答えた。
「あの子たちと目が合ったとき、そこにあったのは壊れ果てた恐怖じゃなかった」
「もっと別の何か……私が見知ったものがあったの」
「不屈さ、かしらね」フロスティーヌは囁いた。
「自分たちはもっと強くなれる、いつまでも弱者のままではいないという……愚かなほどの確信よ」
彼女は、苦くも温かい、微かな微笑を浮かべた。
「私もあんな風だったことがあったわ。ずっと昔……別の人生での話だけど」
ルファスはしばし沈黙し、それから小さく頷いた。
彼女はフロスティーヌの過去を完全には理解していなかったが、いつ問い、いつ黙るべきかを知るには十分聡明だった。
「世界はこれから変わるわよ」ルファスが呟いた。
「人間たちはもう、アンタの存在を無視できなくなる」
「密偵、使節、あるいは軍勢……もっと多くの者が送られてくるわ」
「分かっているわ」
「準備はできてる?」
フロスティーヌは星のない夜空を見上げた。
ダンジョンの上空にある擬似的な空は静かで穏やかだったが、彼女は外の世界から届く小さな波紋を感じ取ることができた。
恐怖、怒り、そして動き始めた陰謀の気配。
「望んで手に入れた状況じゃないけれど」彼女はついに答えた。
「もし強要されるというのなら……逃げるつもりはないわ」
ルファスは、滅多に見せない捕食者のような笑みを浮かべた。
「いいわね。平和すぎるのには飽きていたところよ」
フロスティーヌは小さく笑い、その声がルファスの胸を震わせた。
「飽きたなんて言いながら、私が料理を作る時はいつも一番に並ぶじゃない」
ダンジョンの外、森の境界では、サーシャとミーシャがまだ焚き火の前に座っていた。
恐怖は完全には消えていなかったが、その奥底では、死の淵を彷徨った経験から生まれた新しい決意が芽生え始めていた。
明日、何が起こるのかは分からない。
王国が再び自分たちを送るのか、あの紫の女性が再び影の中から現れるのかも分からない。
しかし、一つだけ確かなことがあった。
あの日、あの夜、世界は決定的に変わってしまったのだ。
フロスティーヌはテラスで目を閉じた。
彼女の呼吸は、アリスの寝息と、ルファスの微かな寝息、リルの震え、ピップの鼓動と重なり合っていた。
この家は小さく、奇妙で、本来一緒にはいないはずの生き物たちで溢れている。
だが、ここが彼女の家なのだ。
そして彼女は、どんな手段を使ってでもここを守り抜くだろう。
たとえそれが、世界が恐れる「災厄」になることを意味していたとしても。
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