第3話 ― 暗闇に光を探す少女
ルファスがこのダンジョンに住み着いてから、三日が過ぎた。
かつての静寂はどこかへ消え、この場所は少しずつ「生きた」気配を帯び始めている。もっとも、氷の竜である彼女の気配はどこまでも澄んで冷ややかだが、その好奇心旺盛な瞳は常にダンジョンの隅々にまで向けられていた。
ある日の夕方、私が主通路を整えていると、肩の上のピップが唐突に動きを止めた。ほぼ同時に、壁に背を預けていたルファスも身を起こす。その金色の瞳が、入口の方を鋭く射抜いた。
「……客人のようだな」
ルファスが低くつぶやいた。
洞窟の入り口に、一人の少女が立っていた。
金色の髪は泥にまみれて乱れ、服はぼろぼろに裂け、乾いた血の跡が痛々しくこびりついている。その肌は、普通の人間にしてはあまりにも青白かった。
小さな唇の間から、かすかに覗く二本の牙。
吸血鬼の子供だ。
少女の瞳が私を捉えた瞬間、その細い身体が激しく震え始めた。半歩後ろへ下がるが、極度の疲労からか足元がふらつき、今にも倒れそうだ。その赤い瞳は絶望に沈みかけていたが、奥底には消え入りそうな「希望」の光が混じっていた。
私は即座に、意識の片隅で解析を走らせる。
> [ 対象識別 ]
> * 名前: アリス
> * 種族: 吸血鬼(子供)
> * 状態: 瀕死(極度の飢餓、衰弱、外傷あり)
>
あの子は、限界だった。
私はすぐに《エクリプス・オリジン》としての威圧的なオーラを霧散させた。代わりに、ダンジョン内の空気を柔らかく温かなものへと変えていく。冬の凍てつく夜に差し出された、厚手の毛布のような優しい魔力で満たした。
すると、アリスの震えが少しずつ収まっていく。
「……わたしを、傷つけない……?」
掠れた声は、今にも消えてしまいそうだった。
「私は君を傷つけないよ」
私はできる限り穏やかに、言葉を紡いだ。「中へおいで。ここは暖かいから」
アリスは戸惑うように視線を泳がせた。だが、恐怖よりも疲労が勝ったのだろう。一歩踏み出した瞬間、彼女の足が石に縺れた。
地面に叩きつけられる前に、私は素早くその小さな手を掴み、支えた。
肌は、氷のように冷たかった。
私はアリスを抱えるようにして、奥の広間へと連れていった。そこではルファスが立ち、静かに少女を観察していた。
「幼い吸血鬼か」ルファスが小さく零した。「この種を見るのは、ずいぶん久しぶりだ」
アリスはルファスの角と竜の尾を見て身体を強張らせたが、白き竜はわずかに微笑んでみせた。「安心しろ。私は、これほど小さな子供を喰らう趣味はない」
私は広間の隅に用意した休息スペースへ、アリスを案内した。「最後に食事をしたのは、いつ?」
彼女はうつむき、力なく答えた。「……三日……たぶん、四日前」
私はシステムの貯蔵庫から、焼きたてのパンと清水を取り出した。アリスはそれを受け取ると、獣のように必死に食べ始めた。数秒で平らげると、ようやくその頬にわずかな赤みが戻る。
「私はフロスティーヌ。こっちはルファス、そしてこのスライムはピップ」
紹介に合わせてピップがぷるぷると揺れ、アリスの膝へ飛び乗った。彼女は驚いたように目を丸くしたが、その温かな感触に触れて、ふっと表情を緩めた。
「……あったかい」
小さな、初めての笑顔だった。
「アリス」私は静かに問いかけた。「どうして、この《永遠の森》まで来たの?」
笑顔が消え、彼女の瞳に暗い影が落ちる。「……逃げたの」
「誰から?」
「人間……」アリスの声が震え出す。「人間たちが、村に来て……みんな殺された。お父さんも、お母さんも……。アリスは、森へ逃げた。人間はここを怖がって、追ってこないから……」
胸の奥が、ちりと焼けるような感覚。
人間にとっての禁忌の地が、この子にとっては唯一の避難所だったのだ。同情ではない、もっと重い、何らかの「責任」のような感情が私の中に芽生えていた。
ルファスが音もなく近づき、アリスの隣に腰を下ろした。白銀の冷ややかな手が、優しく少女の頭を撫でる。「ここなら安全だ」
雪の女王のような、絶対的な威厳を湛えた声。
アリスは私とルファスを交互に見つめ、勇気を振り絞るように尋ねた。
「……アリス、ここにいてもいい?」
ピップが真っ先に大きく跳ねて答える。私は微笑み、頷いた。
「もちろん。ここが君の居場所だよ」
アリスはうつむき、それまで堪えていた涙を溢れさせた。震える肩を隠すように、私の隣へと身を寄せ、静かに体重を預けてくる。
言葉はもう必要なかった。この少女は、ここを新しい「家」に選んだのだ。
その夜。
ダンジョンの玉座の間は、かつてない温もりに包まれていた。
ピップは私の膝で丸くなり、アリスは毛布に包まれて深い眠りについている。ルファスは玉座に背を預け、金色の瞳を閉じて静かに休息していた。
外では星のない夜が冷たく広がっている。
けれど、このダンジョンの中には確かな灯火があった。
私の家は、もう、私一人のものではなかった。




