第24話 ― 小さすぎた過ち
ヴァルトラでの事件から三日後、フロスティーヌは再挑戦を決めた。
大都市ではない。賑やかな場所でもない。オーレリアン王国の辺境にある小さな交易都市、名はオークウェル。魔力探知塔もなければ、精鋭部隊もいない。ただの素朴な市場と、狭い石畳の道、そして日々の営みに追われる市民たちがいるだけの場所だ。
アリスは朝からせがんでいた。
「お姉様、もう一回だけ! アリス、いい子にしてるから!」
玉座で菓子を食べていたルファスは、ただ肩をすくめた。「私も行くわ」
フロスティーヌは彼女を見た。「正気なの? 私たちのことを覚えているかもしれないわよ」
ルファスは薄く笑った。「放っておきなさい。退屈なのよ」
リル――小型化した姿――が尾を振る。「俺も護衛に行こう」
ピップ――ぬいぐるみの姿――はすでにアリスの肩で跳ね、出発の準備を整えていた。
フロスティーヌは溜息をついたが、微笑みを浮かべた。「分かったわ。でも今回は長居はしない。少し見て回ったら、すぐに帰りましょう」
アリスは手を叩いた。「わーい!」
オークウェルの街は、ヴァルトラとは随分と違っていた。
光を放つ魔力水晶の噴水もなければ、本が宙を舞う魔法書店もない。賑やかな冒険者ギルドもない。街の中心にある小さな市場、いくつかの木製の屋台、そして温かく挨拶を交わす市民たちがいるだけだ。
だがアリスにとっては、ここも魔法のような場所に変わりなかった。
「お姉様見て! お人形!」
素朴な屋台に、何十もの手袋人形が吊るされていた。ウサギ、クマ、ネコ、そして……キツネ。長い耳とふさふさの尾を持つ小さなキツネ。赤茶色の布で作られ、黒いビーズの目がついている。
アリスは瞳を輝かせてそれを見つめた。「お姉様……これ、お姉様に似てる!」
フロスティーヌは人形を見つめ、それから微笑んだ。「似ているかしら?」
「うん! お耳とか! しっぽとか!」アリスは興奮して指差した。「お姉様、キツネのお耳があるでしょ! これはキツネさん! だからお姉様に似てるの!」
屋台の店主――バティックのショールを巻いた老婆が、彼女たちを見て微笑んだ。「お嬢ちゃん、そのお人形が気に入ったのかい?」
アリスは勢いよく頷いた。「うん! 大好き!」
フロスティーヌはアリスの髪を撫でた。「買ってあげましょう」
アリスは歓声を上げ、フロスティーヌに抱きついた。「ありがとう、お姉様!」
フロスティーヌは何枚かのコインを支払い、キツネの人形をアリスに渡した。少女はすぐにそれを抱きしめ、満面の笑みを浮かべた。
「これでアリス、お姉様に似てるお人形を持てたね!」
それを見ていたルファスが、「可愛いわね」と呟く。
ピップ――ぬいぐるみの姿――も、羨ましそうに揺れた。
「みんなにお土産を探して、それから帰りましょう」
アリスは新しい人形に夢中になりながら、大きく頷いた。
彼女たちは市場を歩いた。ルファスは菓子屋を見つけ――案の定――買い込み始めた。リルは警戒を怠らず周囲を見渡す。アリスの肩のピップも、その場の空気を楽しんでいるようだった。
フロスティーヌはある布地の屋台の前で足を止めた。アリスの新しい服の材料を買いたいと思ったのだ。彼女はアリスを振り返った。
「アリス、ここで少し待っていてね。お姉様、布を見てくるわ」
アリスは人形を抱えたまま頷いた。「はーい、お姉様」
フロスティーヌは背を向け、布地を選び始めた。わずか数秒。十秒、あるいは十五秒。
彼女が再び振り返ったとき――。
アリスが、いなかった。
フロスティーヌは沈黙した。
視線を周囲に走らせる。いない。隣の屋台。いない。前方の道。いない。行き交う人々。いない。
悲鳴も、爆発音も、抵抗の跡もない。ただ、アリスが立っていたはずの場所に、ぽっかりと空白があるだけだった。
すぐ側で見守っていたはずのリルが、強張った。彼は空気を嗅ぎ、目を細める。そして低く唸った。
『……匂いがしない。主よ、ここで途絶えている』
ピップがフロスティーヌの肩で震えた。彼は地面に飛び降りると、小さなスライムの姿に戻って必死に探し回ったが――何も見つからなかった。
フロスティーヌは、まだ沈黙していた。
布を持っていた手は、体の横に力なく下ろされた。指先が固く握りしめられ、それからゆっくりと緩められる。彼女は前髪を整えた。いつもの癖だ。
だが、その瞳は――。
いつもは優しく穏やかな紫の瞳が、変貌していた。怒りでもなく、パニックでもない。ただ、空虚だった。星一つない夜空のように、何もかもが空っぽだった。
山のような菓子を抱えて戻ってきたルファスが、足を止めた。彼女はフロスティーヌの表情を見、そしてアリスがいるはずだった空白の場所を見た。
「……あら」彼女の声は静かだった。「よりによって、ね」
フロスティーヌは歩き出した。
どこへ向かうでもない。ただ、市場の通りの中心へと。足取りはゆっくりと、優雅で、いつも通りだった。だが、彼女が一歩踏み出すたび、足元の地面には微かな亀裂が走った。あまりにも深すぎる足跡のように。
彼女は道の真ん中で止まった。
目を、閉じる。
後ろにいたルファスが溜息をついた。「フロスティーヌ、やめなさい」
だが、フロスティーヌはすでに魔力探知を解放していた。
通常の探知ではない。それは街の境界を越え、領域の果てを越え、かつて人間が成し遂げたあらゆる魔術を凌駕する速度で拡散していく――波だった。
オークウェルのすべてが、凍りついた。
比喩でも、誇張でもない。
市場の人々は動きを止めた。足は地面に縫い付けられた。口を開けていても、声は出ない。何人かは、理由も分からぬまま膝をついた。他の者はただ硬直して立ち尽くし、虚ろな目で、荒い呼吸を繰り返す。
街の中心にある小さな噴水は、流れを止めた。水は空中で凍りつき、地面に触れた瞬間に粉々に砕ける氷の粒となった。
屋台のランプの火が一斉に消えた。細い煙が立ち上がり、そして消滅する。
そして、オークウェルの上空――澄み渡った青空が、変色し始めた。灰色へ。暗闇へ。そして、狂った時間のような深い紫色へと。
フロスティーヌは動かなかった。目は閉じたまま。腕は体の横でリラックスしている。だが、その体から溢れ出す圧力は……計り知れない。
ルファスは隣で静かに立っていた。黒髪が流れ、ボルドーのドレスが、風もないのに静かにたなびく。彼女はオーラを放たず、ただ待っていた。
数秒の後、彼女が口を開いた。囁くような、静かな声で。
「フロスティーヌ」
返事はない。
「フロスティーヌ。これ以上やったら……街が崩れるわよ」
依然として、沈黙。
ルファスは溜息をついた。「アンタなら、この場所を壊さなくても見つけられるはずよ。アンタは、それよりも強いでしょう?」
ゆっくりと、圧力が引き始めた。
フロスティーヌが目を開ける。
「……いたわ」声は平板だった。
彼女は東の方角――街の外、丘陵地帯を指差した。「あそこ。あちらへ連れて行った」
リルが近づき、匂いを嗅ぐ。『……何も感じられぬ。主よ』
「オーラ遮断の魔術を使っているからよ。それも、最高位の」フロスティーヌは歩き出し、街を離れ始めた。「通常の探知から逃れる術を心得ているわ」
ルファスが後に続く。「オーラ遮断? 安物の玩具じゃないわね」
「ええ」
「なら、ただの誘拐犯じゃないってこと?」
フロスティーヌは答えなかった。だが、その瞳――先ほどまで空虚だった瞳には、何かが宿り始めていた。怒りではない。それは、アリスには決して見せたことのない、底知れぬ冷気だった。
震えていたピップが、フロスティーヌの肩に飛び乗った。リルは横に並び、牙を剥く準備を整える。
最後尾のルファスが、低く呟いた。「誰だか知らないけれど……アンタたち、とんでもない間違いを犯したわね」
彼女たちは去っていった。
凍りついたままのオークウェルを残して。
市場の人々は、ようやく再び体を動かせるようになった。何人かは気絶し、何人かは理由も分からず涙を流した。またある者は、狐耳の女が去っていった方角を、ただ呆然と見つめていた。
布を売っていた店主は、屋台の横で膝をついた。何が起きたのかは分からない。ただ、ほんの数秒間、世界が終わるのを感じたことだけは分かっていた。
母親の屋台の陰でそれを見ていた幼い子供が、囁いた。「お母さん……さっきの……綺麗な女の人……怒ってたね……」
母親は何も言えず、ただ我が子を強く抱きしめた。
街の中心では、小さな噴水が再び流れ始めた。だがその水は濁り、溶け残った氷が混じっていた。
空は、再び青色に戻った。
だが、フロスティーヌが残した爪痕――大地に、空気に、そしてそれを感じたすべての者の心に刻まれた記憶は、決して消えることはない。
そして、東の丘陵。どの地図にも記されていない隠された施設の中で――。
アリスが目を覚ました。




