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第21話 ― 彼女に捧げられたのではない警報

その日の午後の残りは、本来ならとても穏やかなものになるはずだった。

太陽は西の地平線へとゆっくり沈み、ヴァルトラの空を温かな黄金色に染め上げていた。クリスタルの窓がその光を反射し、街中に幻想的な輝きを撒き散らしている。公園からは子供たちの笑い声が響き、商人たちはのんびりと店じまいを始めていた。

通りの脇では、市民に人気の屋台が一つ。揚げたてのフィッシュボールに甘辛いソースをかけた、鼻をくすぐる香ばしい匂いが漂っている。

ルファスの背中でうとうとしていたアリスが、突然目を覚ました。小さな鼻をぴくぴくと動かす。「お姉様! すごくいい匂い! あれ、なあに?」

その瞳に再び宿った輝きを見て、私は微笑んだ。「食べてみる、アリス?」

「食べる! 食べる!」

お菓子の袋で両手がふさがっているルファスも、ひょいと首を巡らせた。「私も、やぶさかではないわね」

私は溜息を吐きながら、指先で右目を覆う前髪を整えた。「あなたたち二人とも……。まあ、いいわ」

私たちはハナという中年女性の屋台へ近づいた。彼女はこの場所で二十年も商売をしているという。ハナは、私の紫の狐耳を見て一瞬驚いたようだが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。

「こんにちは、お嬢様方。何串にしましょうか?」

「一串三コインだよ、ハナ」アリスが看板の文字をなぞるように囁く。

私は金貨で支払い、お釣りは取っておくように告げた。「あなたの親切に」

ハナは驚き、その瞳を感動に潤ませた。「ありがとうございます! ヴァルトラの旅が素敵なものになりますように」

通りの向かい、影に隠れた高い建物の屋上で、二人の宮廷魔導師がパニックに陥っていた。

ルナは震える手で、手元のスキャン用クリスタルを見つめた。「アルドリック……これ、ありえないわ」

アルドリックが近づき、画面上で無秩序に跳ね上がる数値に目を剥いた。「故障か?」

「昨日、較正したばかりよ! 見て、あの人を」ルナが私を指差す。「あそこで静かにフィッシュボールを食べているだけ。なのにこの数値……まるで、ブラックホールの質量を測ろうとしているみたい! 五万を越えた……いえ、まだ上がってるわ!」

アルドリックは生唾を飲み込んだ。「中央塔に報告だ。今すぐに」

私たちは噴水の近くのベンチに座った。アリスはフィッシュボールに夢中で、私の襟元でブローチに化けているピップも、心なしか楽しそうに揺れている。

「お姉様、この街、とっても楽しいね」アリスが口をいっぱいにさせて零す。

「ええ、とても楽しいわね」

「明日も、また来てもいい?」

「ええ、もちろん。ゆっくり休んでからね」

突然、ルファスが強張った。怠げな黄金の瞳が鋭く細まり、街の中心部を睨みつける。

「フロスティーヌ」

「どうしたの?」

「何かが動いているわ」

彼女の視線を追うと、白くそびえ立つ魔力探知塔が脈動を始めていた。頂上のクリスタルはもはや青い光ではなく、パニックに陥った心臓のように、どす黒い赤色に染まっている。

ルファスが捕食者のような薄笑いを浮かべた。「あの塔……アンタの魔力を無理やり読み取ろうとしているわね。そして、システムが悲鳴を上げ始めているわ」

五分後、その平穏は粉々に打ち砕かれた。

音は塔からではなく、街のいたるところから響き渡った。骨を震わせるような重苦しい警報音。それは、龍や魔王軍が襲来した時にしか鳴らされることのない、災害級の警報だった。

「警報だ! 逃げろ! 全員シェルターへ!」

街がパニックに陥る中、魔力探知塔が目を焼くような白い光を放って爆発した。魔力の衝撃波が街を駆け抜け、窓ガラスを叩き割り、街灯を吹き消していく。茜色だったヴァルトラの空は、瞬く間に禍々しい暗赤色へと変貌した。

数秒のうちに、黒い鎧を纏った特殊部隊が広場を包囲する。総司令官カルロッタが、赤いマントを翻して前に出た。

「《呪われた森》の化け物め! 降伏しろ!」

私は落ち着いて立ち上がり、アリスを守るように抱き寄せた。「私は妹と街を見学しに来ただけよ。攻撃するつもりはないわ」

しかし、一人の魔導師が我を忘れて火炎魔法を放った。

――ドーン!

爆発はアリスのすぐ側で地面を抉った。小さな少女は悲鳴を上げ、私が抱きとめなければ吹き飛ばされていただろう。背中のローブに炎を浴びながら、彼女を強く抱きしめた。薄い煙が上がるが、私のアークデモンの肉体は熱さなど感じていない。

「大丈夫、アリス?」私の声は冷たく沈んでいた。

アリスは涙を浮かべて頷く。「お姉様……怖いよ……」

一度だけ彼女の髪を撫で、私は真っ直ぐに立ち上がった。

「ルファス」

「喜んで」

初めて、私は自身の真の魔力圧を、ほんの僅かだけ解放した。

広場にいた人間たちにとって、それは空が肩に落ちてきたかのような感覚だった。兵士たちは一斉に膝をついた。敬意からではない。重力が数倍に跳ね上がったかのように強制されたのだ。広場中の窓が、音を立てて塵へと変わる。

ルファスも負けじと、最上位の龍のオーラを解き放った。周囲の空気は一瞬で凍りつき、氷の層が地面を這う。ヴァルトラの空は漆黒に染まり、私たちのマナに飲み込まれていった。

そして、亀裂の入っていた魔力探知塔は、ついに完全に崩落した。

総司令官カルロッタは、ただ立ち尽くしていた。武人として、彼女は理解してしまったのだ。自分たちが今向き合っているのは、生ける終末そのものであると。

「街を見に来ただけだと、言ったはずよ」凍てついた空気に、私の無機質な声が響き渡る。「なのにあなたたちは……私の妹に、手を上げたわね」

火を放った魔導師は、すでに魔力圧に耐えきれず失神していた。カルロッタは歯を食いしばり、何かを言おうとしたが、声が出ない。

「お姉様……」背後でアリスが囁く。「おうちに、帰ろう……」

その声を聞いた瞬間、私の冷気が少しだけ和らいだ。私は魔力圧を収める。空には少しずつ色が戻り、兵士たちの重圧も消えた。

「私たちは行くわ。邪魔はしないで」私はカルロッタに言い放った。

カルロッタはただ沈黙し、追撃の号令をかけることすらできなかった。もし私がその気になれば、ヴァルトラは数分で歴史から消し飛ぶことを悟っていたからだ。

私は疲れ果てたアリスを抱き上げた。静まり返った城門を抜け、私たちは《呪われた森》の闇へと足を進めた。

王宮にて

オーレリアン国王は、ヴァルトラからの報告書を青ざめた顔で見つめていた。

「計り知れぬ力……側に控えるは龍……。そして、彼女はただフィッシュボールを買いに来ただけだと言うのか?」

「王よ、指示を。宣戦布告をすべきでしょうか?」

王は窓の外を見た。「宣戦布告だと? 触れもせず塔を崩すような存在にか? いや。今は外交の準備をしろ。彼女の真の望みを突き止めるのだ」

しかし、王の心はすでに悟っていた。民の恐怖の中に、新たな名前が刻まれたことを。

――『歩く災厄』。

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