第19章 ― 第一波
今日は執筆する時間があまりなかったため、この章は少し簡単な内容になってしまいました。
すみません
その朝、ダンジョンの空気はいつもと違っていた。
第二階層の人工太陽は明るく輝いている。
それでも、空気は妙に重かった。
目には見えない緊張が、空間全体に満ちている。
フロスティーネは玉座に座っていた。
脚を優雅に組み、背筋は真っ直ぐ。
完璧な姿勢だった。
長い紫の髪は整えられている。
今朝はいつもより長く鏡の前に立っていた。
一本の乱れも許さない。
それは単なる身だしなみではない。
心の中の嵐を静めるための儀式だった。
玉座の周囲には、彼女の小さな家族が集まっていた。
アリスはフロスティーネの膝の上に座り、
ミニサイズの人形を強く抱きしめている。
ピップは柔らかな透明のブランケットの形になり、
二人を包み込んでいた。
リルは玉座の足元で丸くなっている。
普段より少し小さな姿だが、
筋肉は緊張していた。
いつでも巨大化できるように。
そしてその隣。
ルファスが立っていた。
深いマルーン色のドレスが床に流れ、
黄金の瞳はダンジョンの入口を鋭く見つめている。
捕食者の視線だった。
フロスティーネが指を軽く振る。
空中に半透明のシステムパネルが浮かび上がった。
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Evil Eye ― 起動中
位置:東側外周(ダンジョン境界から500メートル)
侵入者:人間兵 402名
状態:接近中
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「……来たわね」
フロスティーネが静かに呟く。
その声は柔らかい。
だが部屋の空気が一瞬で静まり返るほどの重みがあった。
アリスが顔を上げる。
瞳が潤んでいた。
「お姉ちゃん……こわい」
フロスティーネは優しく髪を撫でる。
「大丈夫よ」
「お姉ちゃんがいる」
ルファスが一歩前に出た。
「今すぐ潰してもいいわ」
彼女は淡々と言う。
「翼を一度羽ばたかせて、
ドラゴンブレスを吐けば終わりよ」
フロスティーネは首を振った。
「いいえ」
彼女の声は静かだった。
「ここは私のダンジョン。
私の領域よ」
一度、森の方を見る。
「でも今回は――」
「森に語らせましょう」
彼女はシステムパネルを操作する。
指が静かに滑る。
森林迷宮 ― 起動
霧密度 ― 最大
樹木移動パターン ― ランダム
永遠の森 ― 東側外周
ヴェルト卿は胸を張って行軍していた。
その背後には、
四百二人の精鋭兵。
朝日が森の天蓋を通り抜け、
鎧が鈍く光る。
「くだらん森だ」
ヴェルトは鼻で笑う。
「臆病者の隠れ家に過ぎん」
剣を肩に担ぐ。
「今日、人間こそが世界の支配者だと証明してやる」
一時間。
二時間。
三時間。
「司令官」
副官が困惑した顔で近づく。
「同じ木を三回通りました」
彼は地図を指差す。
「……円を描いている可能性があります」
「馬鹿を言うな!」
ヴェルトが怒鳴る。
「前進しろ!」
だが五時間後。
さすがのヴェルトも異変に気づいた。
霧が濃くなっている。
視界は数メートル。
巨大な樹木が――
動いているように見える。
後ろの道が消え、
新しい道が現れる。
地図には存在しない道だ。
「防御陣形!」
ヴェルトが叫ぶ。
だが声は霧に吸われた。
その時。
森の奥から聞こえてきた。
低い唸り声。
最初は小さい。
だが次第に増えていく。
そして。
赤い光。
木々の間に、
無数の赤い目が現れた。
「モンスターだ!」
兵士が叫ぶ。
「四方から来る!」
最初に襲ったのは森狼だった。
霧の中から飛び出す。
前列を切り裂き、
そしてまた霧へ消える。
次に現れたのは巨大蛇。
兵士の脚に巻き付き、
骨を粉砕する。
上空からは小型ワイバーン。
兵士を掴み、
霧の天井へと運び去る。
森は叫び声で満ちた。
戦闘の叫びではない。
死の絶叫だった。
ヴェルトは兵を集めようとする。
だが霧が彼らを引き裂いた。
誰もいない。
彼は一人だった。
剣が震える。
周囲から仲間の悲鳴が聞こえる。
一人ずつ。
消えていく。
「た……助けてくれ……」
ヴェルトは呟く。
その時。
霧の奥で。
巨大な赤い瞳が開いた。
今まで見た中で最大のものだった。
巨大な炎のワイバーン。
ゆっくり頭を下げる。
飢えた視線。
ヴェルトが叫ぶ時間は――
なかった。
フロスティーネのダンジョン ― 中央ホール
フロスティーネは玉座に座ったままだった。
透明なパネルを見つめる。
地図の上。
赤い点。
一つ。
また一つ。
消えていく。
数十。
そして――
数百。
アリスはフロスティーネの胸に顔を埋めた。
見たくないのだ。
フロスティーネは優しく髪を撫で続ける。
「お姉ちゃん……」
アリスが囁く。
「外で何が起きてるの?」
フロスティーネは穏やかに答えた。
「森が、私たちを守っているのよ」
ルファスが鼻で笑う。
「愚かな人間ね」
彼女は肩をすくめた。
「門にすら辿り着けなかった」
「情けないわ」
フロスティーネは答えない。
最後の赤点が消えるまで、
ただ画面を見つめていた。
やがて。
長く息を吐く。
パネルが消える。
「終わったわ」
静かな声だった。
「……少なくとも、生き残りはもういない」
リルが尻尾を振る。
体が元のサイズに戻る。
ピップもスライムに戻り、
アリスの膝でぴょんぴょん跳ねた。
アリスが顔を上げる。
涙はまだ残っている。
だが恐怖は消え始めていた。
「お姉ちゃん」
小さく言う。
「森、すごいね」
フロスティーネは微笑んだ。
優しい笑み。
だがどこか冷たい。
「森じゃないわ、アリス」
彼女は言う。
「ここは私たちの家」
そして。
「家は必ず、住む者を守るものよ」
ルファスが玉座の背もたれに座る。
いつもの気怠い姿勢。
「つまり今日は、ただ見ていただけ?」
フロスティーネは入口を見る。
「時には」
静かに言う。
「何もしないことが、最善の行動なのよ」
アリスが小さくあくびをした。
朝の緊張で疲れたのだ。
フロスティーネはピップの毛布を整える。
「眠りなさい、アリス」
優しく言う。
「今日はもう誰も来ないわ」
アリスは目を閉じた。
呼吸がゆっくり整う。
小さな家族が周囲を守っていた。
外では。
永遠の森が再び静寂に包まれる。
霧がゆっくり晴れる。
そこに残っていたのは――
白骨と錆びた鎧だけ。
それは警告だった。
この森に踏み込む者への。




