第14話:フェンリルの初日
リルがダンジョンの家族に加わってから、初めての朝が訪れた。
昨夜の興奮が嘘のように、玉座の間は穏やかな静けさに包まれている。ただ、その空気には確かな温もりが満ちていた。
アリスの小さな笑い声が、真っ先に朝の静寂を破った。少女はすでに起きていて、床に座り込みながらリルのふかふかな首に抱きついている。
ピップは白い狼の背中に乗り、ぷよぷよと揺れながら、まるで新しい遊び場を楽しんでいるかのようだ。
リルは寝ぼけまなこながらも、アリスの抱擁をおとなしく受け止めている。大きな尾が石の床をゆっくりと揺らし、そのたびに優しい風が部屋の中をそよぐ。
ピップが背中から滑り落ちては、また這い上がる。そのたびにアリスの笑い声が高くなる。
「リルはもう、私たちの立派な家族ね」
フロスティーヌは玉座からその光景を見守りながら、優雅に微笑んだ。
アリスは精一杯、リルの首に抱きついた。天狼の体は彼女の小さな腕にはあまりに大きすぎる。だがリルは愛おしそうにアリスの頬を舐め、その優しい仕草に少女はさらに声を上げて笑う。
「おはよう」
ルファスが優雅に欠伸を噛み殺しながら姿を現した。
寝起きの黄金の瞳はまだ少し虚ろだが、それでも彼女は静かに床に座り込み、目を細めてリルを観察する。
「あら、あのフェンリル……ずいぶんと懐くのが早いのね」
「そうかしら?」
「ええ。本来、気高き天狼というのは、己が認めたただ一人の主にしか従わないものなのよ」
ルファスは首を傾げ、解剖でもするようにリルを見つめる。
「でも、この子は……お前たち全員を受け入れている。あのスライムでさえもね」
ピップが侮辱を感じたのか、一瞬だけ動きを止めてルファスを威嚇するようにぷるんと震えた。フロスティーヌは苦笑をこらえた。
朝食の時間は、これまで以上に賑やかだった。
リルはアリスの隣に座れるよう、大型犬ほどのサイズに体を縮めて、行儀よく控えている。その姿は昨夜の神話的な威容からは想像もつかないほど、愛らしい。
「リルにあげてもいい?」
アリスが期待に満ちた目で尋ねる。フロスティーヌが頷くと、少女は両手で器を差し出した。
「はい、リル。どうぞ」
天狼は礼儀正しく頭を下げ、アリスの手を一度舐めてから、静かに食事を始めた。その所作は、野生の獣というより、気高い貴族のようだ。
ルファスはスープを啜りながら、気だるげにその様子を眺める。
「フェンリルにしては、ずいぶんと行儀がいいわね」
「普通は、どうなんですか?」
アリスが不思議そうに尋ねる。
「もっと食い意地が張っていて、器を壊して、たまに餌をくれる手まで噛んじゃうような野蛮な連中よ。ふふっ」
ルファスは意地悪く笑い、アリスは目を丸くした。リルは一度ルファスをじっと見つめ返した後、我関せずといったふうに、さらに慎重に音を立てないように食べ続ける。
食後、フロスティーヌとルファスは深層の通路で修練に励んでいた。
「今日は風の要素を混ぜてみなさい」
ルファスの指示に、フロスティーヌは目を閉じる。炎と風、二つのイメージが頭の中で重なる。手のひらに細い旋風が巻き起こり、その中心に炎が宿る。やがてそれは、回転するエネルギーの球体へと変貌した。
「うまいわ。だが、まだ力を入れすぎね」
ルファスが静かに指摘する。フロスティーヌは息を整え、炎を消した。
「無理はしないで。力が暴走すれば、この通路の半分は吹き飛ぶわよ」
「ええ、分かっているわ」
その時、アリスがリルを連れて修練場の入り口に現れた。
「お姉様、見ててください!」
アリスが声を上げると、リルがその巨体を翻した。小型犬ほどのサイズに縮こまっていた体が、瞬く間に元の大きさを取り戻す。
しかしそれだけではない。リルは驚異的な精度で部屋中を駆け回り、フロスティーヌたちや壁の突起物を完璧に避けながら、まるで風そのもののように走り抜ける。
「ふふっ、伝説の天狼が、今やサーカスの道化ね」
ルファスが呆れたように顔を背けて呟いた。しかし、その白い尾がぴこぴこと楽しげに動いているのを、フロスティーヌは見逃さなかった。
「ふふ、いいじゃない。立派な特技よ」
「あら、わらわは誇り高き竜よ? あんな犬っころの曲芸なんて、少しも面白くないわ」
ルファスはふいっとそっぽを向いたが、その口元は緩んでいた。
その夜、アリスはリルとフロシィに挟まれて眠りについた。ピップはリルの柔らかな腹の上で、幸せそうに丸くなっている。
ルファスは玉座の足元に背を預け、静かな寝息を立て始めていた。
フロスティーヌは独り玉座に座り、傍らに設置された【監視の水晶球】を見つめていた。
青白く光るモニターの中には、相変わらず静まり返った《永遠の森》が映し出されている。人間たちが再び境界を騒がせているという報せもない。
彼女は九本の尾をゆったりと揺らし、頬杖をついた。
外の世界がどれほど広大で危険であろうと、今、自分の手の届く範囲にあるこの小さな温もりたちを守り抜く。
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