第4話:正論
司祭長の部屋は、火の気が少なく寒かった。
わざとだ、と直感した。心拍を上げさせるための環境。
私は背筋を伸ばして、椅子に座る。
レオン卿は一歩後ろ。いつも通りの距離で、いつも通りにいる。
司祭長は穏やかな顔をしていた。
穏やかなまま、正しいことを言う人だ。
「結衣殿。あなたの呪いは、不幸ではありません。——“国を守る仕組み”です」
「どういう意味ですか」
「恋により記憶が失われる者は、秘密を抱え込めない。裏切れない。権力者に取り込まれても、要の記憶が抜け落ちる。……あなた方は、国の安全弁なのです」
冷たい理屈。
筋が通っている。だからこそ、怖い。
「私の人生は、国の道具ですか」
私が言うと、司祭長は首を振る。
「道具ではない。役割です。あなたが“恋を避ける”ことは、社会的には称賛される」
「……称賛が欲しいわけじゃない」
私は、ゆっくり息を吐いた。
昂りを抑えるために、言葉を短くする。
「私が欲しいのは、普通の暮らしです。灯りがあって、温かいスープがあって、今日の私が明日の私に繋がること」
司祭長は微笑む。
「それが“欲”です。欲は昂りを生み、呪いを進めます。あなたは、受け入れるべきだ」
その瞬間、私は気づいた。
この人は悪役じゃない。
国を守るために、正論を選ぶ人。迷いがない。
——だから、私も迷わない。
「受け入れません」
司祭長の眉が、ほんの少しだけ動いた。
「……では、護衛騎士の交代を。あなたに影響を与えない神殿騎士を付けます」
影響。
“恋”の芽を摘むために、レオン卿を引き剥がす。
私の心拍が上がりかける。
その前に、レオン卿の声が落ちた。
「拒否します」
司祭長が見上げる。
「レオン。君は合理的な男だ。感情に流されないはず」
「合理的だからです」
彼は淡々と言う。
「彼女の記憶の欠落は、不安でも進む。環境を変えるのはリスクが高い。現状維持が最適解」
正論で返す。
司祭長の正論に、別の正論を重ねる。
それは、私の心拍を守る盾だった。
司祭長は小さく息を吐き、最後に言った。
「では、試験を。あなたの呪いが“恋以外”で進むなら、神殿は介入を強める」
——恋以外。
つまり、この暮らしの中で、私はいつでも欠ける。
部屋を出る廊下は冷えた石。
私は手を握りしめ、震えないように歩いた。
「ユイ」
背後から、朝以外に呼ばれる。
私は立ち止まる。
「……一日一回、じゃ」
「例外。今は、不安が強い」
彼は言葉を削って、必要な分だけ残す。
「あなたは、あなたでいていい。——俺が、戻り道を作る」
合理主義の声なのに、胸の奥が温かくなる。
それが恋にならないように、私は頷くだけにした。
(つづく:次話「小さな遠出」)




