第2話:生活の最適化
翌朝、私の部屋の扉を叩く音は、きっちり三回だった。
決まったリズム。心臓が驚かない。
「起床。水分を」
レオン卿はコップを差し出した。白湯。
それから、紙を一枚置く。
「生活ルール案です」
「……ルール?」
「呪いの発動条件は“昂り”。昂りを避けるには、刺激の管理が必要です。環境、食事、会話、睡眠。最適化します」
私が紙を見ると、丁寧な字で箇条書きが並んでいた。
・朝は白湯、塩分は控えめ
・香りの強い花は避ける(気分が上がるため)
・階段は手すり側を歩く(転倒で心拍が上がる)
・夜は灯りを一定に(暗闇で不安が増す)
・会話は短く、結論から(感情の波を作らない)
「……結婚生活みたい」
思わず言うと、レオン卿は一瞬だけ固まった。
次に、耳の先がほんの少し赤くなる。
でも、表情は崩さない。
「共同生活ではありません。護衛です」
「はい、護衛。護衛ですね」
私は頷きながら、なぜか少しだけ楽しくなる。
この人、嘘が下手だ。
その日から、私の一日は“静かな整え”で満ちた。
窓を開ける音。灯りがともる音。鍋がことこと鳴る音。
安心する音ばかり。
夕方、庭に出ると、彼は一定の距離を保ったまま歩く。
近すぎない。遠すぎない。
私が空を見上げて立ち止まれば、彼も止まる。
「レオン卿は……怖いもの、ありますか」
「落雷」
「……意外」
「予測できないからです」
合理主義の答えに、私は笑いそうになって、咳払いに変えた。
昂りの代わりに、息を整える。
その夜、私は自室で日記をつけた。
——もし記憶が消えるなら、今の私が今の私に手紙を書いておけばいい。
『今日はスープが温かかった。灯りが優しかった。レオン卿は落雷が怖い』
書き終えた瞬間、ふっと言葉が一つ抜け落ちる感じがした。
ペン先が止まる。
「……あれ?」
さっきまで思い出せた、治癒師の名前。
どうしても出てこない。
背筋が冷える。
心拍が上がりかけて、私は机の引き出しから白湯を取り出し、一口飲んだ。
——恋をしたわけじゃない。
なのに。
扉の外で、足音が止まる。
「……大丈夫ですか」
短い声。
私は呼吸を整えてから答えた。
「大丈夫。少し、抜けただけ」
「“抜ける”のは初期症状です。明日、神殿に確認に行きます」
「……面倒じゃない?」
「最短で安全に進めるだけです」
言い切って、彼は廊下の灯りを少しだけ明るくした。
私が不安で暗がりに落ちないように。
胸の奥が、温かくなる。
それも“恋”じゃない、と自分に言い聞かせながら、私は日記の最後に書いた。
『明日、神殿。少し怖い。でも、レオン卿がいる』
(つづく:次話「呼び名」)




