鬼狩りと小鬼
太古の昔から鬼と人は争ってきた。
鬼は人に害を為し、人はそんな鬼を滅する。いつからか、鬼は徒党を組み、人は鬼を滅する組織、「鬼狩り」を結成した。
これは、そんな世界の物語。
桃子(ももこ)は、いつもの街の見回りをしていた。
悪事を働く鬼を滅する為だ。腰に下げている刀が揺れる。
桃子はネオン街から路地裏に入る。ここは鬼がよくたむろしているからだ。
すると……。
「ちょっとお兄さんにお金出してくれりゃ良いからさ~」
「か、堪忍してけろ……!」
「……」
桃子は声の聞こえた方へと足を向ける。
「とっとと出せよ、クソガキ!」
「ひ、ひぇぇ……」
「何をしている」
桃子の声に、その場にいた者は振り返った。額に角がついた男性が三人、十くらいであろう少年を囲んでいた。
額の角、それは鬼の証。
「鬼は……滅する」
桃子は腰の刀に手をかけた。
「鬼狩りかっ!」
「落ち着け。こんな嬢ちゃん一人に何ができる」
鬼達は桃子に向き直った。
「その言葉、後悔するなよ……」
桃子は刀を抜いた。
「あ……ああ……」
鬼に絡まれていた少年は、目の前の光景に唖然としていた。
少女一人に大人の鬼が三人……皆殺しにされていたからだ。辺り一面血まみれ。
少女、桃子はどこかに電話をしている。
「死体の処理を頼む」
連絡を終えた桃子は少年を見やった。
「怪我が無いなら、とっとと帰るんだな。夜遊びか家出か知らんが、子供がこんな時間に……」
その時、少年が頭に巻いていたバンダナが落ちた。
「あ……」
少年の額には……角が。
桃子は、ため息を一つつき、刀を少年に向ける。
「鬼が鬼を虐げるとは……世も末という事か」
「あ……あ……」
少年は、ジリジリと後ろに下がる。
「幼子を殺すのは忍びないが、鬼は鬼。死んでもらう」
桃子が刀を振り下ろそうとしたその時。
「み、見逃してくだせぇ~~!!」
少年が土下座をした。
「……」
桃子の刀が、ぴたりと止まる。
「なんの真似だ」
「お、おら、死にたくねぇだ……!」
「知らん。死ね」
「そこをなんとか……!」
「……」
ここまで命乞いをされたのは初めてなので、桃子は少し戸惑った。大概の奴は向かってきて叩きのめしてきたからだ。相手が子供だからかもしれない。
「お、おら、家事が得意だ……! 小間使いにしてもらって構わねぇ……! だから……!」
「……家事?」
桃子はその言葉に反応した。
「あ、ああ……! 料理も洗濯も掃除もできる……!」
「……」
桃子は黙って刀をしまった。
「貴様、名前は?」
少年は顔を上げる。
「ゆ、夕べ(ゆうべ)って言うだ……」
「ついてこい」
桃子は踵を返した。
「え……」
「ついてこないなら切り捨てるが?」
「い、行くだ!」
何故、こんな事をしたか。桃子にも、わからなかった。
「…………」
夕べは絶句していた。
「……何だ」
「……きったねぇ……」
桃子の部屋に来た夕べ。そこで目にした光景は、簡単に言えば汚部屋。ゴミなのか必要なものなのか最早わからない物が散乱しており、足の踏み場が無い。
「家族は何も言わないんだべか……?」
「一人暮らしだ」
「お姉さん……」
「百式(ひゃくしき) 桃子だ。桃子でいい」
「ひゃ、百式!? 百式って、あの鬼狩りの名門だべか!? なんでそんな人がこんな……」
「汚部屋で……」と続けるのを夕べは躊躇った様だった。
「一人立ちだと、まあ、体よく追い出された。家は兄が継ぐしな」
「……どこの家も同じだべな」
夕べはボソリと呟いた。
「何か言ったか?」
「いんや、なんでも」
「とりあえず、今日はもう遅い、寝ろ」
夕べは桃子の言葉に、目を丸くして部屋を見回す。
「……ここで?」
「布団の場所にはゴミは無い」
「いやでも一人分じゃし……」
「狭いが文句は言うな」
夕べは慌てる。
「年頃の娘が異性にそんな事言うもんじゃないべ!」
「年齢のわりに大人みたいな事を気にするな。大丈夫だ、お前は子供だし、万が一変な気を起こしたら殺すだけだ」
「う……わ、わかったべ……」
夕べは渋々、桃子に従った。
『お母様、今日はね、お花の冠を作ったの!』
『黙って食べなさい。それに、百式の者にその様な事は必要ありません。鍛練に集中なさい。あなたの兄達は……』
『……はい』
物音がして、桃子は目を覚ました。なんだか良い匂いもする。
「あ! 桃子、起きたべか?」
夕べがキッチンから顔を覗かせた。
「早いな……」
「桃子が遅いんだべ」
「私は夜型なんだ……。それより何をしている」
桃子は眠け眼でキッチンの方を向く。
「何って、家事だべ。ご飯作ってたんだべ」
「匂いがカップ麺じゃない……」
「カップ麺しか置いてなかったから、買い出しに行ったんだべ。桃子、栄養バランスって知ってっか?」
「どうでも良い……」
「どうでも良くないべ! 簡単なもんだが……」
夕べは、ローテーブルの上に料理の乗った皿を並べた。それに桃子は違和感を覚えた。
「……なんで机の上が片付いてるんだ?」
「キッチンと机の上は少し片付けたんだべ。一気には無理だが、ちょっとずつな」
「ふーん」
「さ、一緒に食べるべ」
「一緒に?」
「? なんか問題あるか?」
「いや、他人と一緒に食べるのは久しぶりで……」
「これからは一緒だべよ」
きっと、夕べにとっては何気ない一言だろう。
けれど、桃子は、なんだか……。
「ああ……」
少し、嬉しかった。
「最近は野菜が高いべな~」
「……」
「おら、白菜の漬物が好きなんだが……」
「……」
「桃子、どうした?」
夕べが桃子の様子に疑問を浮かべる。
「よく喋るな」
「あ、嫌だったべか?」
「そういう訳ではないが」
「飯の時は、わいわい食べるのが美味しいべ」
「そうか……」
百式の家では、たしなめられた事。
でも、桃子は本当はそういう事に憧れていた。
「いくらでも話せばいい」
桃子は知らず知らずのうちに微笑んだ。
「……」
「なんだ?」
目を丸くした夕べに、今度は桃子が尋ねる。
「桃子、笑えんだな」
「え、あ、笑っ……て……?」
「そっちの方が良いべ」
夕べは笑う。
その様子を見ると、なんだか、鼓動が速くなる。よくわからない気持ちだ。
その気持ちを一旦置いておく様に桃子は言う。
「夕べ、さっき野菜が高いと言っていたが、鬼はわざわざ買わないだろう?」
「ああ、普通は人間から奪うべな」
「なら、なんで」
「鬼にもいろいろいるんだべ」
夕べは眉を下げて笑う。
そんな夕べを見て、疑問がわいた。
「夕べは、人間を食べた事はあるのか?」
夕べは一拍置いて言う。
「……あるべ」
「そうか……」
「でも、桃子と暮らすべから、食べね」
「生きていけるのか?」
桃子の問いに、夕べは笑う。
「人間だって、鶏肉も食べるし、豚肉も牛肉も食べるべ。人間以外にも食べるものはあるべ」
「そういうものか……」
「そういうもんだ」
夕べはサラダに、かじりつく。
「鬼はな……」
少し悲しそうな顔をする夕べ。
「生きるのが下手なんだべ。奪う事でしか生きられね」
ザシュッ……。
鬼が倒れる。桃子は顔についた鬼の血を拭った。
「鬼は……滅する」
それが、百式の教え。それだけが桃子の生きる理由。なのに……。
「桃子! おがえり!」
「ああ、ただいま」
「今日はチャーハンだべ!」
「そうか」
なんだかんだで、夕べが自分を出迎えてくれるのが嬉しい。
すっかり部屋も綺麗になるくらい、一緒に暮らし始めてから時間が経った。
「怪我は無(ね)か?」
「私を誰だと思っている」
「そだった」
夕べは笑う。
二人は席について食事をとり始めた。
「今日はな……」
「……なあ、夕べ」
「なんだ?」
「鬼を……お前の仲間を殺す私の事をどう思う」
「……」
夕べは、にこりとする。
「なんとも」
「なんとも?」
「ああ、なんとも」
「何故?」
「じゃあ、桃子は人間を食った、おらをどう思う?」
「……」
桃子は少し考え、
「……なんとも」
と言った。
「なんでだべ?」
「人間に愛着なんて無いし……夕べの方が……」
大切だから。そう言うのがなんだか恥ずかしくて、言葉を濁し、チャーハンを口に入れた。
「そういう事だべ」
二人は食事を続けた。
桃子は湯船に浸かりながら考えた。
百式家に生まれ、鬼を狩るだけの人生。
なのに、今は……。
「私は、これからどうするべきだ……?」
「ただいま」
桃子は、いつもの様に夕べに声をかける。
……。
だが、夕べからの返事は無い。
「?」
夕べを探して部屋を回る。
しかし、どこにもいない。嫌な予感がする。
「夕べっ!」
桃子は夕べを探しに部屋を出た。
「(夕べ……夕べ……!)」
夕べが、いつも行くスーパーまでの道を走る。
「(どこだ……! ん……?)」
道端に、いつも夕べが頭に着けている緑色のバンダナが落ちていた。
辺りを見回す。
「……! ……べ……!」
「……逃げ……!」
声が聞こえた。夕べと誰かの声だ。
桃子は声の聞こえた路地裏へと急いだ。
「見逃してくんろ……!」
「鬼は滅するだけだ」
鬼狩りの男は刀を抜き夕べに近づく。
「夕べっ!」
桃子が来た瞬間、夕べは持っていた買い物袋ごと切られた。
「……!」
赤い、液体が、大量に辺りに吹き飛ぶ。夕べは倒れ、動かない。
「夕……べ……?」
「ん? ああ、百式の。鬼はもう倒したぞ」
振り返った男に桃子は、ぽつりと言う。
「この子が……何をした……?」
「はぁ? 鬼は滅する。それだけだろ」
夕べは、いつも一緒にいてくれた。笑顔をくれた。暖かさをくれた。愛情を……くれた……。
人間からは貰えなかったもの……全部……全部……。なのに、「鬼」というだけで……?
桃子は刀を抜く。
「鬼はもう滅したぞ」
「鬼は……」
唇を噛み締め刀を振りかぶった。
「貴様らの方だああぁぁぁ!!!!!」
「はぁ……はぁ……」
血だまりの上で倒れている男は動かない。死んでいるのだろう。
刀をしまい、夕べに駆け寄る。
「夕べっ!」
夕べを抱き起こし、声をかける。
「夕べ……」
ぐったりしている夕べに桃子は涙を流す。
「すまない……すまない……助けられなくて……。今更なんだ……他の人間なんて、どうでもいい……。お前さえ生きていてくれれば……」
「う……」
夕べが身動ぎする。
「夕べ!?」
「け……」
「け……!?」
「ケチャップ……が……」
「……はぁ??」
夕べの言葉に桃子は思考停止する。
「せっかく……セールで大量に買ったケチャップが……台無し……だべ……。桃子に……オムライス作ろうと……思ってたのに……」
「……」
そういえば、良い匂いがする……。
「えっと……怪我は……」
「うぅ……頭がクラクラするべ……」
どうやら、倒れた拍子に頭を打って意識が朦朧としていただけの様だ。
「良かった……」
桃子は脱力して夕べを抱き締めた。
「おわ……桃子……大胆だべ……」
「うるさい……」
「これから……どうするか……」
桃子は男の死体を見て言う。
「人を殺してしまっては、もうこれからの様には暮らせない……」
「……桃子……それだが……」
夕べが何か言いかけたその時。
「夕べ様~~~~!!! やっっっと見つけましたぞ~~~~!!!」
「うゎ……」
「?」
初老の男性がこちらに近づいて来る。
「夕べ様! さぁ、家にお戻りくだされ」
「夕べ……様……? 夕べ、こいつは……?」
「むむ、人間! 夕べ様、片付けましょう!」
「じい、この人は命の恩人だべ……」
「じい……?」
「あんな、桃子。おら、実は……」
夕べの言葉を遮り、男性は言う。
「この方は鬼ノ咲(きのさき)家のご子息である!」
「鬼ノ咲って……鬼の頭領の……!?」
桃子は驚いた。
「七男だがな……」
夕べは、ため息をつく。
「……なんで鬼の頭領の息子がこんな所にいるんだ?」
「頭領の息子っつっても、七男に期待なんて無いべ。それに、おらは、鬼の世界と合わなんだから、息苦しくて家出した」
「そうか……」
なんとなく、桃子にもわかった。
「けんど……」
「?」
「次は、おらが桃子を助ける番だべ」
「どういう事だ?」
「桃子、おらの伴侶になってけろ」
「は、はははは伴侶!?」
夕べの顔は、いたって真剣だ。
「頭領の権力の及んでいる範囲なら、桃子を守っていられる。……親の七光りでダサいが」
「で、でも、鬼の世界とは合わなかったんだろ……? お前はそれでも良いのか……?」
夕べは笑う。
「桃子の為なら頑張るべ。鬼の世界の改革もやってみるべさ」
「夕べ……」
「さぁ、行くべ。あんまり、ここにいてもいけね」
夕べは立ち上がり、桃子に手を差し伸べる。
「ああ」
桃子は笑って、その手をとった。
こうして、人の世界から百式 桃子は消えた。鬼の世界で幸せに暮らしている事は、人は誰も知らない……。




