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忘却の輪郭  作者: 雨香
序章・第1章

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ep7 記憶の門

 導標の光が強まる。

 世界が波のように歪み、足元の石畳が崩れ落ちた。


 識は目を閉じた。

 次に開いた時、そこに広がっていたのは――空が逆さまの世界。

 大地が空を映し、空が黒く染まっている。


 「……ここが、リスの記憶の中……?」


 空気は甘く、どこか懐かしい香りがした。

 しかし同時に、皮膚を刺すような“拒絶”の気配も漂っていた。


 導標が震える。

 > 《注意:対象記憶領域、著しい断裂を確認。

  内部構造は通常記録の3.8倍に拡張されています。》


 「つまり、それだけ“忘れたくない”ってことか。」


 識は歩き出した。

 足元の地面は鏡のようで、一歩進むたびに波紋が広がる。


 やがて、彼は見つけた。

 ――白い扉。


 扉には、リスのものと思しき筆跡でこう刻まれていた。

 > 『ここには、もう誰もいない』


 「……いや、いるだろ。」

 識はそっと扉に手をかけた。


 瞬間、閃光。

 世界が裏返り、風景が一変する。


 そこは、小さな村だった。

 石造りの家々、花で飾られた窓辺、

 そして――夕焼けに照らされた少女の背中。


 黒髪を結い、白い服を着た小さなリス。

 その姿はまだ幼く、笑っていた。


 「おかえり、お兄ちゃん!」


 声を聞いた瞬間、識の胸が強く脈打った。

 導標が淡く光る。

 > 《対象“リス”の第一記録を検出》


 (これが、彼女の最初の記憶……)


 リスは花畑の中を駆け回りながら、何かを抱えている。

 よく見ると、それは壊れかけた木の人形だった。


 「リス、それ……」

 識が言いかけた時、

 リスがふと立ち止まり、空を見上げた。


 「ねえ、“名前”って、どうやって決まるの?」


 幼い声。

 識は息を呑む。


 「“名前”……?」

 「うん。お兄ちゃんも、お母さんも、みんな名前があるでしょ。

  でも、私の名前はね――だれもつけてくれなかったの。」


 空気が震えた。

 世界が微かに揺らぐ。

 導標が警告を発する。

 > 《記録不整合を検出。記憶の改竄が進行中。》


 リスは小さく笑った。

 「だからね、私、自分でつけたの。“リス”って。」


 その瞬間、識の視界が白く塗りつぶされた。

 痛みが走る。

 胸の奥で、何かが軋む。


 「――これが、彼女の“第一の名”……!」


 だがその直後、空から黒い雨が降り始めた。

 花畑が腐り、村が崩れていく。

 リスの姿も、ゆっくりと闇に溶けていく。


 「待て、リス!」


 識は走り出す。

 しかし足が重く、空気が粘りつくようだった。

 少女の声が遠ざかる。


 > 「もう、遅いの。

  “リス”って名前は、世界に拒まれたから――」


 「そんなはず……!」

 導標を構え、封印式を展開する。

 > 《術式:記録再結合・第壱陣》


 光が奔流となり、崩壊する村を包む。

 だが黒い影がそれを喰らうように覆い尽くした。


 影の中心から、低い声が響く。


 > 「“名”を繋ごうとする者――識。」


 識は息を呑んだ。

 闇の中から、仮面の男――“影の記録者”が現れる。


 「ここはお前の入っていい場所ではない。」

 「……リスを、放せ!」

 「彼女の“名”は、この世界の禁忌だ。再び結びつけば、忘却の法則そのものが崩れる。」


 「だったら、そんな世界を壊してでも――」


 導標が震える。

 光が黒を押し返す。

 影の記録者の仮面にひびが入った。


 「……やはり、お前は綾の弟子だな。」

 「師匠のことを知ってるなら教えろ。なぜ“名”を消す!」


 男は静かに答えた。

 「“名”は力だ。多くを繋げすぎれば、世界の形そのものが崩壊する。我々はそれを防ぐために、忘却を選ぶ。」


 識の声が震える。

 「それでも、人を“消す”理由にはならない!」


 男の影が広がる。

 > 「ならば見せてやろう。“忘却”の意味を。」


 次の瞬間、識の視界が再び闇に包まれた。

 村も、少女も、全てが崩壊し――

 ただ一つ、声だけが残る。


 > 「識……思い出して。私が、あなたを呼んだ“最初の名前”を。」


――――――――


 識は目を開ける。

 目の前には、光の欠片が漂っていた。

 手を伸ばすと、その中に小さな文字が浮かぶ。


 > 《リス=リセル》


 識の心臓が激しく脈打つ。

 「これが……彼女の、本当の名……!」

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