ep47 書かれなかった名前
それに気づいたのは、偶然だった。
繋が影の疼きを抑えるため、リセルのノートを借りた夜のことだ。
文字を追えば、失われかけた記憶の輪郭が、少しだけ戻る気がしていた。
ページは丁寧に整理されている。
日付順。
場所順。
人物順。
几帳面すぎるほど、完璧だった。
――だからこそ。
「……おかしい……」
繋は、ある一点で手を止めた。
ページが、抜けている。
破られた形跡はない。
最初から“存在しない”ような、不自然な空白。
前後の記録はある。
その日に起きた出来事も、街の名前も、ナニカの兆候も書かれている。
だが――
そこにいるはずの人物の名前だけが、ない。
「……リセル……」
小さく名前を呼ぶ。
リセルは焚き火のそばで、別の束を整理していた。
「どうしたの?」
繋は、ノートを指差した。
「……この日……
俺たち……
誰と……会った……?」
リセルの動きが、止まる。
ほんの一瞬。
だが、繋にははっきり分かった。
「……気づいたんだ。」
リセルは、ゆっくりとこちらを向いた。
「……書いて……ない……よな……?」
繋の声は、震えていた。
リセルは、答えなかった。
否定もしない。
ただ、静かに、ノートを閉じた。
「……書けなかった。」
その言葉は、あまりにも重かった。
「……どういう……
意味だ……?」
リセルは、少しだけ目を伏せる。
「……記録はね。
“存在を固定する”ものなの。」
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
「でも……
固定できない存在が……
ある。」
繋の影が、じわりと広がる。
「……それって……」
「……忘れられたモノでも……
ナニカでも……
人でもない。」
リセルは、はっきりと言った。
「“発見者のそばにいる存在”。」
繋の喉が、鳴る。
「……俺の……?」
リセルは、頷いた。
「その日……
ケイは……
“ひとりじゃなかった”。」
繋の脳裏に、何かが浮かびかける。
背の高さ。
声の調子。
隣に立つ、気配。
だが、形になる前に、影が強く疼いた。
「……っ……!」
繋は頭を抱える。
「……思い出そうと……
すると……
消える……!」
リセルは、すぐに繋の前に膝をついた。
「……無理しないで。」
「……その人は……
“書かれない”存在だった。」
「……どうして……」
リセルは、少しだけ、ためらった。
「……その人は……
“最初から”……
忘れられる前提で……
ケイのそばにいた。」
繋の胸が、強く締めつけられる。
「……そんな……
そんなの……」
「……でもね。」
リセルは、静かに続ける。
「その人は……
選んだ。」
忘れられることを。
名前を残さないことを。
記録されないことを。
「……じゃあ……
俺は……
また……
失った……のか……?」
リセルは、はっきりと首を振った。
「違う。」
「……失ったんじゃない。」
「……“預けられてる”。」
繋は、ゆっくりと顔を上げる。
「……預ける……?」
「うん。」
リセルは微笑った。
「思い出せなくても……
感じられるように。」
その瞬間、繋の影が、わずかに形を変えた。
縫われた跡の奥に、
もう一つ、細い“結び目”。
名前も、姿も、思い出せない。
それでも確かに、“誰か”がいた痕跡。
「……ケイ。」
リセルは、静かに言った。
「終わる前には……
きっと……
思い出す。」
その言葉に、繋は理由も分からず、震えた。
書かれなかった名前。
記録されなかった存在。
それは、忘却よりも深い場所で――
今も、繋と共に歩いていた。
作者の一言
えっと、今気付いたんですけど47話投稿忘れてました。モチベが上がってまた今下がりました。すみません




