ep45 覚えている者と忘れていく者
夜が明けても、繋は眠れなかった。
目を閉じるたび、何か大切なものが指の隙間から零れ落ちていく感覚があった。
それが何かを思い出そうとすると、胸の奥がひりつく。
「……朝だよ、ケイ。」
リセルの声で、繋はゆっくりと顔を上げた。
「……ああ。」
返事はできた。
声も、名前も、ちゃんと分かる。
それなのに、安心できなかった。
リセルは焚き火の前に座り、簡単な食事を用意している。
その背中を見つめながら、繋は違和感を覚えた。
(……こんな……
距離感……だっけ……?)
思い出そうとする。
いつから一緒にいるのか。
どんな会話をしてきたのか。
断片はある。
だが、繋が“思い出そう”とした瞬間に、形が崩れる。
「……リセル。」
「なに?」
「……俺たち……
どれくらい……
一緒に……いた……?」
リセルの手が、止まった。
「……急に、どうしたの?」
「……確認……
したいだけだ。」
沈黙が、数秒流れる。
リセルは、ゆっくりと息を吐いた。
「……長いよ。」
短い答えだった。
それ以上を、言わない。
繋は、それ以上を聞けなかった。
(……覚えてないのは……
俺だけ……)
食事を終え、街の様子を確認するため外に出る。
人々は、少しずつ日常を取り戻し始めていた。
だが、会話の端々に“空白”が混じる。
「……あの人……
前、何してた人だっけ……?」
「……名前……
思い出せなくて……」
繋は、胸を押さえた。
自分と、同じだ。
「……ケイ。」
リセルが、隣に立つ。
「……忘れてるの?」
その問いは、責めるものではなかった。
ただ、事実を確かめるための声。
繋は、頷いた。
「……少しずつ。」
リセルは、繋を見つめる。
その目には、怯えも、悲しみも、そして――
覚悟があった。
「……私ね。」
リセルは、静かに言った。
「忘れない。」
繋は、顔を上げる。
「……何を……?」
「全部。」
リセルは微笑った。
「ケイのことも。
縫のことも。
この街で起きたことも。」
その笑顔が、繋の胸を締めつける。
「……それ……
ずるいだろ……」
「ずるくないよ。」
リセルは首を振る。
「役割が……違うだけ。」
繋は、その言葉の意味を問い返せなかった。
(……やっぱり……
リセルは……)
思考の奥で、何かが繋がりそうになる。
だが、その瞬間、影が疼いた。
痛みとともに、考えが途切れる。
「……っ……!」
繋は、思わず膝をつく。
リセルがすぐに駆け寄る。
「ケイ!」
その手を、繋は反射的に掴んだ。
「……大丈夫……
今……
忘れそうに……なっただけ……」
リセルは、何も言わず、ただ繋の手を握り返す。
その手は、驚くほど温かかった。
「……ねえ、ケイ。」
リセルが、囁く。
「もし……
私の名前も……
分からなくなったら……」
繋は、即答した。
「……探す。」
「思い出せなくても……
何度でも……」
リセルは、少しだけ目を伏せる。
「……それで、いい。」
その言葉が、どこか“約束の回収”のように響いた。
遠くで、通信石が鳴る。
新たな“忘れられたモノ”の兆候。
繋は、立ち上がる。
「……行こう。」
「うん。」
二人は並んで歩き出す。
片方は、忘れていく者。
片方は、覚えている者。
その不均衡が、
やがて、決定的な形で、世界を揺らすことを――
この時、まだ誰も知らなかった。
作者の一言
少しずつ春に近づいていますね!真冬用の服だと少し暑いと感じるくらいにはなってきた気がします




