ep44 忘却に触れる代償
その違和感は、戦いが終わった直後からあった。
繋は、広場を離れ、仮設の休憩所に腰を下ろしながら、自分の手を見つめていた。
指の本数も、形も、感触も変わらない。
それなのに――
どこかが欠けている。
「……どうしたの?」
リセルの声に、繋は顔を上げる。
「……いや。
ちょっと……変な感じがする。」
綾は少し離れた場所で、街の状況を確認していた。
彼女は、繋の様子を一目見ただけで察したように、眉をひそめる。
「……影を、使ったわね。」
繋は否定しなかった。
「……名前がないなら……
他に、方法がなかった。」
綾は答えず、代わりに問いかける。
「……今、縫の声……
思い出せる?」
その瞬間、繋の思考が、わずかに引っかかった。
縫の声。
あの、少し掠れた、穏やかな声。
確かに覚えているはずなのに――
「……え……?」
胸の奥が、ひやりと冷える。
「……ちょっと……
待って……」
思い出そうとするほど、輪郭がぼやけていく。
声の高さは?
話し方の癖は?
「……思い出せ……ない……?」
リセルが息を呑む。
「……ケイ……?」
綾が、静かに告げた。
「それが、代償よ。」
繋は、言葉を失った。
「……忘れてる……
ってこと……?」
「正確には……
“削られている”。」
綾は、繋の影を見下ろす。
縫われた影。
空白を受け止めるための器。
「影を使って空白に触れた瞬間、
あなたの中の“何か”が、代わりに持っていかれる。」
繋は、喉を鳴らした。
「……それが……
縫の……?」
「ええ。」
綾は頷く。
「あなたにとって、
強く結びついている“記憶”から、順に。」
沈黙が落ちる。
リセルが、震える声で言った。
「……そんなの……
使い続けたら……」
「……いつか……
大切なものを……
全部……?」
繋は、その先を口にできなかった。
綾は、否定も肯定もしなかった。
「……それでも、
使わなければ、
救えないものが、増える。」
繋は、ゆっくりと影を踏みしめる。
縫が残した“縫い目”が、微かに疼いた。
そのとき、不意に胸がざわつく。
「……リセル。」
「なに?」
「……俺……
さっき……
お前の名前……
呼んだ……よな?」
リセルは、一瞬、固まった。
「……うん。
呼んだよ。」
「……よかった……」
その言葉の意味を、繋自身が一番理解してしまった。
――確認しないと、不安になる。
それ自体が、すでに“始まっている”証拠だった。
綾は、静かに言った。
「……忘却は、突然じゃない。
気づいたときには、
もう戻れないところまで来てる。」
繋は、目を閉じる。
縫の笑顔を思い浮かべる。
だが、そこにあるのは、ぼんやりとした“光”だけ。
名前も、声も、細部も、
確かに、薄れている。
「……それでも……」
繋は、目を開けた。
「……やるしか……ない。」
綾は、少しだけ目を伏せる。
「……そう言うと思った。」
その夜、街の空白は、確かに静まっていた。
だが、繋の中では――
確実に、“何か”が失われ始めていた。
忘れられたモノを救うたびに、
自分が、誰かを忘れていく。
それが、
“名を呼べない戦い”の、本当の代償だった。
作者の一言
もうすぐ学生は受験ですね。私も受験生なので一緒に頑張りましょう!




