ep35 影の名を呼んだ日
空洞全体が、青と黒の脈動で震えていた。
縫の青光が波のように揺れ、影の群れがそれに反応するかのように形を変えて蠢く。
繋は影の“本体”から目を離せなかった。
泣いていた。
影は確かに――涙を流すように青い線を頬に伝わせていた。
(あれは……本当に“影”なのか?
いや……誰かだ。俺が……知っている誰か――)
胸の奥がズキリと痛む。
痛みの正体を掴もうとすると、意図的に霧がかかるように記憶が逃げていった。
その間にも影の群れが迫ってくる。
綾が鋭い声を上げた。
「繋! ボーッとすんな! 下がれ、来る!」
リセルが繋の前に立ち、両手を広げる。
その姿は震えていたが、繋を守ろうと必死で踏みとどまっていた。
「ケイを……触らせない……!」
影の群れが一斉に腕を伸ばし、黒い爪のような指先が迫る。
縫が叫んだ。
「……来ないで! ケイに触らないで!」
縫の体から、青い光が爆発した。
空洞の青い“血管”のような線が一斉に光り、影の群れを弾き飛ばす。
風圧が繋たちの髪を強く後ろへ引っ張った。
綾は目を細めて叫ぶ。
「縫! 出力が高すぎる! このままじゃお前の身体がもたない!」
しかし縫は首を振り、繋を掴む手に力を込めた。
「ケイ……怖い……
でも……ケイを守れるの……私しかいないから……!」
影の本体が、縫の光に反応し、苦しげに身体を歪めた。
青い涙が床へ落ちるたび、空洞に“音”が満ちる。
それは鼓動とも泣き声ともつかない、世界の底から響く共鳴だった。
リセルが震える声で呟いた。
「……この音……覚えてる……
でも、どこで聞いたのか……わからない……!」
繋の胸がまた痛み、視界の端がじんと白く滲む。
影の本体が、ゆっくりと手を伸ばした。
「……ケイ……
わすれたなら……おしえる……
だって……やくそく……した……」
繋の脳裏に、短い映像の破片が走った。
――青い腕輪。
――小さな靴。
――手を離すな、と誰かが泣いていた感触。
――土砂が崩れる音。
――温かい手が、だんだん冷たくなっていく絶望。
繋の呼吸が乱れた。
(あれは……俺の……)
影がもう一度、名を呼ぶ。
「ケイ……」
その声は、幼い。
忘れようとしても忘れられない“あの日の声”に、よく似ていた。
リセルが咄嗟に繋の腕を掴んだ。
「ケイ! 聞いちゃだめ! あれは――!」
しかし綾がリセルの肩を掴み、強引に止める。
「違う。彼は、聞かなきゃいけないんだ。」
リセルは驚愕の眼で綾を見る。
綾は震えるまつ毛を伏せ、唇を噛む。
「縫があれだけ反応してるんだ。
あの影は……繋の記憶に“直接繋がってる”。
無理に遮ったら逆に危険だ。」
繋は影の本体に一歩踏み出す。
足が勝手に動く。
頭が命じているわけでも、心が望んだわけでもない。
ただ――
影の涙が、あまりにも“人間”だったから。
(あんな風に泣ける影が……ただの“怪物”のわけがないだろ……)
床には、影の涙が落ちている。
青い光が波紋のように広がり、空気を震わせている。
繋は涙の跡に触れた。
冷たい。
でもどこか懐かしい、胸の奥が疼く冷たさ。
「……お前……誰なんだ。
どうして……俺の名前を……」
影はふるふると頭を揺らし、顔の輪郭がゆっくり歪んだ。
そして――
小さな少女の形へと変わっていく。
髪は黒。
瞳は深い青。
縫の色とよく似ているが、もっと透明な光だ。
ぼろぼろの影の身体から、青い涙が次々にこぼれ落ちる。
「ケイ……
わたし……おいていった……
きえないで、って……いったのに……」
繋の心臓が跳ねた。
名前が来る。
影が、少女が、青い光に包まれてゆっくり口を動かした。
「――“ヒナ”だよ……ケイ。
ずっと……いっしょ……だったよね……?」
その瞬間、繋の視界が一気に白く弾けた。
崩落の日。
握った小さな手。
離したのではなく――奪われたのだ。
一度忘れ、そして封じた記憶が一気に崩壊する。
繋の膝が砕け、呼吸がうまくできなくなった。
「ひ……な……?
そんな……まさか……
だって……ヒナは……」
少女の影は泣きながら微笑んだ。
「うん……しんだよ、ケイ。
でもね……ケイの“願い”が……わたしを……のこしたの……
ケイが……『ひとりにしないで』って……いったから……」
縫の青光が大きく揺れ、綾とリセルが息を呑む。
「……ケイの願い……?
そんな……」
縫が震える声で呟く。
「ケイ……あなた……影を呼んだの……?」
影の少女――ヒナが、そっと繋に手を伸ばす。
「だから……ね……ケイ。
いっしょに……かえろ……?」
空洞の青い血管が一斉に明滅し、世界がひっくり返るほどの轟音が鳴った。
繋の胸に、ヒナの最後の声が刺さる。
――「ひとりに、しないで」
縫が叫ぶ。
「ケイ!! 戻って!!」
影の少女が、繋の手を――掴んだ。
作者の一言
メダルゲームで全て溶かしました。オワッタァ




