ep29 箱と青い影
青い影が消えたあと、地下遺跡には奇妙な静寂が戻っていた。
湿った空気。石壁を伝う滴の音。
けれどそのどれも、さっきまでの異様な緊張感を霧のように薄めて、現実味のない夢の跡のように感じられた。
「……あれ、やっぱり“ナニカ”じゃなかったよな。」
繋は深呼吸しながら呟いた。
ただの影とは思えない。
だが“忘れられたモノ”にしては形が曖昧すぎる。
何より――縫の光に反応していた。
縫は繋の腕に寄り添いながら、淡い青を帯びたままの体を見つめている。
「ケイ……私、あれに何か……触れられた気がしたの。心の奥の方が、ちょっとだけ揺れたみたいに。」
繋は縫の肩に手を置いた。
「痛かったりはしないか?」
「ううん。むしろ……少しだけ温かい感じがした。」
温かい――。
あれだけ冷たい影だったのに、その感覚は妙だった。
そのとき、遺跡の最奥にある祭壇の中央から、かすかに光が漏れた。
「……おい、何かあるぞ。」
リセルが前に出て、石床を照らす。
祭壇の中央には、黒い箱がぽつんと置かれていた。
手のひらほどの大きさで、古代語の紋様が四面を巡っている。
綾が眉をひそめる。
「これは……封印箱ね。記憶媒体に近い構造、でももっと古い。」
「忘れられたモノ、か?」
繋が問うと、綾が首を横に振った。
「そう言い切れないわ。この箱自体は“忘れられたモノ”じゃない。
ただ……中に何か入ってる。かすかにだけど、精神波を感じる。」
精神波――。
それはモノにもナニカにも共通する“存在の気配”。
だが感じる波は弱く、どこか途切れかけていた。
リセルが箱をじっと見る。
その表情は、いつもより硬い。
「……開けるんだよね?」
「開けるしかないな。」
繋は頷いた。
縫が一歩進み、箱の前で光を集める。
彼女の光は青白く震え、箱の紋様を照らした。
その瞬間――箱の表面が、微かに青く反応した。
「おい……縫、今の見たか?」
「うん……。この箱、私に……何かを返した……?」
まるで縫の青光に呼応するように、紋様が浮かび上がり始めた。
箱が“縫”を認識しているように見える。
だが開けようとした瞬間――
バチッ!!
光が弾け、縫の手を拒むように箱が跳ねた。
「きゃっ……!」
繋がすぐに縫を抱きとめる。
箱は床に転がり、青い煙を立てて静かに止まった。
綾が驚いた顔で言う。
「……拒絶されたわね。縫に反応したけど、縫を“所有者”とは認めてない。
つまり、この箱が求めているのは縫じゃない……。」
「じゃあ、誰だ?」
繋が問うと――
リセルが一歩、前に出た。
「……多分、私。」
「リセル?」
全員が同時に声を上げる。
リセルは胸の前で両手を握りしめ、震える声で言った。
「さっきから……ずっと呼ばれてる気がしてたの。
箱からじゃなくて……この遺跡全体から。
“おかえり”って……そんな感じの声が……」
その言葉は、場の空気を一変させた。
呼ばれている?
戻ってこい、と?
リセルの肩が微かに震えている。
繋はその様子を見逃さなかった。
「リセル……何か覚えてるのか?」
「……わかんない。でもね、胸の奥がきゅって痛むの。
この場所……来たことがあるって感じがする。」
縫がそっとリセルに近づき、光を見せた。
「リセルちゃん、私の青い光……さっき影から受けたものと似てるって言ってたよね。
もしかして……この遺跡と関係あるの?」
リセルは目を伏せ、小さく頷く。
「……影の声、聞こえたんだ。
“戻れ”“まだ終わってない”って……
どうして私なのか、わからないけど……」
繋は彼女の肩に手を置いた。
「無理しなくていい。開けたくないなら――」
リセルは首を振った。
「……開ける。
きっと、ここに来た理由も……繋に着いてきた理由も……
この箱が知ってるんだと思う。」
――繋に着いてきた理由。
その言葉が胸の中で重く響く。
リセルはゆっくりと箱に手を触れた。
乾いた音とともに、箱の紋様が一気に青く輝き出す。
瞬間、遺跡全体の空気が揺れ、石床の下から風が逆流するような音が響いた。
バシュッ!!
箱の蓋が自動的に開き、内部から“青い影の輪郭”がゆっくり姿を現した。
それは――
“人の形をした光の残滓”
だが、縫とは違い、青い色が中心に渦巻いている。
縫が震えた声で呟く。
「これ……縫と同じ……“かたち”……でも違う……?」
リセルはその光に手を伸ばし、呟いた。
「……知ってる。これ、私――」
言葉の続きを言う前に、青い影がリセルの胸へ吸い込まれるように消えた。
リセルの体が、一瞬だけ青く輝く。
繋が駆け寄ろうとした瞬間――
リセルの瞳が、青く光った。
「……やっと、思い出す。」
その声は、いつものリセルの声ではなかった。
作者の一言
ここから深くなっていくようしていきます




