ep25 影の残した輪郭
黒影が残した“声の残滓”の解析を綾に頼んだ翌朝、繋たちは仮設拠点の一室に集まっていた。
早朝の空気は冷たく澄んでいるはずなのに、部屋の中は妙に重く湿った気配が漂っている。
縫の体から漏れる淡い青光のせいなのか、あるいは――昨日見た黒い焼け線のせいか。
綾は机の上に小さな水晶片のようなデバイスを置いた。
昨日、黒影が消える寸前に縫が感じ取った“音の欠片”。
あれを綾が特殊な装置で固定したものだ。
「聞く準備はいい?」
綾の声はいつもよりわずかに硬かった。
繋とリセル、そして縫が頷く。
綾はデバイスに触れ、静かに起動させた。
――コ、ロ……セ……
――ま、ダ……いる……
――ワタ……シ……じゃ……な……い……
まるで遠く、深い霧の中から誰かが必死に呼びかけているような音だった。
それは“声”というより、声の輪郭のようなもの。
形を持たず、意味すら曖昧なのに、繋の胸に刺さる感触だけは鮮烈だった。
「……これ、誰の声だ?」
思わず尋ねる。
綾は目を細め、ゆっくりと言った。
「おそらく……“モノ”だった頃の残滓。
つまり、あの黒影になる前の『忘れられたモノ』の声よ。」
縫が小さく息を呑む。
「じゃあ……あれ、助けを求めてたの……?」
「そういう可能性もあるわね。」
綾は苦い顔をした。
「“ワタシじゃない”と言っている……つまり、黒影と、元の『モノ』は完全に同一じゃない。
黒影化したことで、何かに乗っ取られたか、歪められたか……」
「じゃあ、“何か別のもの”が中にいたってことか?」
繋の声に焦りが滲む。
リセルが少し震えた声で言った。
「……あの影、わたしたちをじっと見てたもん。あれ、本当に“モノ”の姿じゃない気がした……」
部屋に沈黙が落ちた。
影の残した声はわずか数秒の断片のはずなのに、それが語る内容はあまりにも重大だった。
――――――――
やがて綾が息を吐いて言う。
「問題は……影の“線”よ。」
「線?」
繋が聞き返す。
綾は地図を広げ、昨日の広場を指した。
「地面に残ってたあの黒い線。覚えてる?」
「もちろん。」
「……今朝になって、あれ、伸びてたのよ。」
――空気が凍る。
「いや、それは……冗談だろ?」
繋は思わず前に身を乗り出した。
「残念ながら本当。」
綾は淡々と言うが、その目に緊張が浮かんでいる。
「線は昨晩から5メートル近く伸びてたわ。これは自然現象じゃない。
何かがまだ地面の“下”で蠢いてる。」
縫の青光がわずかに揺れる。
「綾……それって……」
「可能性はふたつ。」
綾は指を二本立てた。
「ひとつは――
“モノ”だったものが完全に消滅したわけじゃなく、まだ影の残骸が活動している。」
「もう一つは?」
繋が眉をひそめる。
綾は顔を曇らせた。
「影を黒影へ変質させる“何か”が、この街の地下にいる。
その核となる存在が、モノでもナニカでもない可能性がある。」
その言葉が落ちた瞬間、リセルの肩がびくりと震えた。
繋が心配そうに見るが、リセルは気づかれないように俯いて肩を押さえる。
――――――――
沈黙を破ったのは縫だった。
「……行こう、ケイ。」
繋は縫を見る。
青い光はさっきよりも濃く、どこか澄んだ色になっていた。
「黒い線が伸びてるなら……その先に、何かがあるんだよね。」
縫はまっすぐ言う。
「だったら行って、確かめなきゃ。
“モノ”の声がまだ残ってるなら……助けを求めてるなら……」
繋はその言葉に胸を掴まれた。
縫は“存在”が人ではない。
けれどその心は――誰よりも純粋だ。
リセルがそっと繋の袖を握る。
「……危ないよ。すっごく、危ない。」
声が震えていた。
「でも……行くなら、わたしも行く。ずっと一緒にいるって決めたから。」
その言葉に、綾がにやりと笑う。
「じゃ、決まりね。
黒い線の先――影の残した“輪郭”を追うわよ。」
――――――――
部屋を出る直前、繋は気づく。
縫の青光は、まるで“何かを探知しているように”揺れていた。
そしてリセルはその光を一度ちらりと見たあと、表情を一瞬だけ――悲しげに歪めた。
(リセル……?)
問いかけようとしたが、リセルはすぐにいつもの笑顔を作った。
その笑顔の“輪郭”の奥に、別の感情があることを繋はまだ知らない。
――影が残した声の輪郭。
――縫の光の変質。
――地下に蠢く“何か”。
すべてが少しずつ繋がり始めているのに、肝心な部分だけが霧の向こうにある。
繋は決意を固めたように拳を握る。
「よし――行こう。影の遺した“先”へ。」
その声に、縫とリセルが同時に頷いた。
作者の一言
突然寒くなってきましたね。ここまで読んでくれてるみなさん体調を崩さないよう気をつけてくださいね




