ep16 黒影との対話
森が割れるような轟音とともに、黒い影と白い光がぶつかり合った。
衝撃で周囲の木々が一斉に飛び散り、濃い霧が裂ける。
リセルは反射的に結界を張り、綾は杖で霧の流れを押し返した。
その中心で――繋だけが、黒影と真正面から向かい合っている。
影はまだ半分以上が“形のないまま”だ。
脚は溶けた墨のように揺れ、指も輪郭が定まらない。
それなのに、存在の圧が強すぎる。
その黒影が、ゆっくりと口らしき裂け目を開いた。
……ケイ……
また呼ばれた。
何度聞いても、身体が一瞬冷たくなる呼び声だ。
だが今回は、その声に“違和感”が混じっていた。
先ほどより、少し……近い。
まるで、繋の返事を待っているかのように。
「お前……俺を知ってるのか?」
問うた直後、綾が叫んだ。
「繋! 余計な問いかけは――!」
警告は遅かった。
影が反応する。
黒い波が森全体に一気に広がり、地面が震えた。
影の口が歪み、黒光が迸る。
……ケイ……ワタシ……シッテイル……
繋の頭の中に、直接流れ込んできた。
リセルが息を呑む。
「言葉になってる!? まだ“モノ”にもなってないのに!」
綾は顔をしかめた。
「最悪よ……完全に“繋の名前”を核にして成長してる。
これ、普通の結びつけじゃ抑えられない……!」
――――――――
黒影がさらに一歩、繋のほうへ近づく。
足元の影が広がっていき、触れた植物は一瞬で枯れ落ちた。
その度に“カチン”と硬質な音が鳴る。
(結びつけるためには、名前を名乗る必要がある。
けど……今名乗ったら、向こうの“意思”を吸わせることになる。)
繋は歯を食いしばる。
――自分の名前は、相手にとって餌だ。
呼ばれた瞬間から、影の成長速度が明らかに上がっている。
リセルが叫ぶ。
「けい、来ないで! 影が広がってる!」
「分かってる!」
繋は叫び返す。
だけど――逃げるわけにもいかない。
(放っておけば……この影はすぐに“ナニカ”になる。)
まだ生まれて半日も経っていないというのに。
この異常な成長は、確かに危険すぎた。
――――――――
影が、手のようなものを伸ばす。
繋の喉のあたりへ向かって。
「っ!」
繋が導標を振ると、白い光が盾のように展開し、影の腕を弾いた。
黒煙が散る。
影は傷ついた部分を、すぐに再生成する。
行動はぎこちないのに、“本能”だけが異様に洗練されている。
綾が後ろから声を飛ばす。
「繋! この影、きっとまだ“完成前のモノ”。
逆に言えば、感情も意志も未成熟で……抑えようと思えば、まだ間に合う!」
「どうすれば!」
「名前を奪われる前に、“向こうの名前”を聞きなさい!」
繋は驚いて振り向く。
「モノの名前なんて、普通は――」
「普通じゃないから言ってるの!」
綾の声には焦りが滲む。
「未完成のうちに名前の由来を探り、根を結ぶの!
成功すれば“結びつき”が一気に優位になる!」
リセルが叫ぶ。
「けい、聞くだけ聞いて!
答えてくれれば、たぶん……たぶんだけど、結びつけられる!」
(答える気が……あるのか?)
繋は影を見つめた。
黒影の“目”らしき光が、ゆっくりと繋を見返す。
呼吸が合うような、一瞬。
繋は静かに言った。
「……お前の名前は?」
影の動きが止まる。
森全体が、息をひそめた。
黒影の口がゆっくりと震え――
かすかな声が漏れた。
……ケ……イ……
「それは俺の名前だ。
……お前の名前は?」
また沈黙。
影の形が、わずかに揺れる。
黒い“核”の部分が脈打つ。
……オ……レ……ノ……ナ……
リセルが息を詰める。
綾は杖を握りしめ、言葉を待つ。
黒影が、光を強めた。
……ナ……イ……
「……え?」
影は確かに言った。
……ナイ……ナマエ……ナイ……
ケイ……ヨンデ……ホシイ……
繋は心臓がひっくり返るような感覚に襲われた。
(自分に……名前をつけろって?)
モノの名付けを求める存在。
そんな異常は聞いたことがない。
綾が青ざめた顔でつぶやく。
「……やっぱり……。
この影、結びつけの相手を完全に“繋”として見てる……。」
繋は前に進む。
黒影は拒むどころか、まるで寄り添うように少し傾いた。
「……俺がつけても、いいのか?」
その問いに、影はわずかに光を震わせた。
肯定――に聞こえた。
繋が息を吸い込む。
(名前を与えるのは、結びつきの第一歩。
でも……間違えたら、逆に向こうの力になるかもしれない。)
影は繋をまっすぐ見ている。
……ケイ……
呼ぶ声は、さっきよりも穏やかだった。
(決めないといけない。
いま、この瞬間に。)
繋は影にそっと手を伸ばした。
黒影の核に触れる直前――
彼は口を開いた。
「――なら、お前の名前は……」
黒影が一瞬強く光った。
リセルは思わず目を閉じ、
綾でさえ息を止めた。
そして、繋は――
名前を告げた。
作者の一言
今午後11:30なんですよ。眠いです。とても。




