ep14 黒光の胎動
影の記録者が霧散した瞬間――
世界は、急に静かになった。
さっきまであれだけうるさかった衝撃音も、叫び声も、ひゅうひゅう吹き荒れるような瘴気の音すら、何もない。
……静かすぎる。
繋は導標をゆっくり下ろし、息を整える。
身体の奥底がじんじんと熱い。
名前を取り戻したことで世界とのつながりが強くなった結果、戦っている最中は気づかなかった負荷が今になって襲ってきた。
リセルがそっと腕を掴んだ。
「けい……本当に、倒したんだよね?」
その声が緊張で震えている。
繋は彼女に向けて、少し疲れた笑みを返した。
「あぁ。もう、影の記録者はいない。」
リセルはほっと息を吐き、ぐしゃりと表情を緩めた。
一方で、綾は少し離れた岩の上に腰掛け、杖に体重を預けている。
「ふぅ……年を感じるわねぇ。
影の本体に付き合うなんて、ほんと久しぶりよ。」
「綾さんこそ、休んでくださいよ。」
「休むわよ。今日ぐらいはね。」
言いながらも、その目は油断なく周囲を見渡していた。
――――――――
だが、世界は彼らに休憩を与える気などないらしい。
ドン……
大地がかすかに震える。
繋は即座に導標を構え直す。
「……まだ何かいる?」
「違う。」
綾の声が急に緊張を帯びた。
「これはね、“忘れ去られたモノ”が新しく生まれる時にだけ起こる世界の反応よ。」
リセルが青ざめた顔で空を見上げた。
上空の一点が、黒く――しかし光を放ちながら脈打っている。
黒いのに光る、矛盾の色。
忘却そのものが形になりかけているような、不気味な光。
ドンッ!
今度ははっきりとした振動が走る。
「ま、待ってよ……こんな早く次の!?」
リセルが叫ぶ。
綾は眉間を押さえながら、
「発見者が八人しかいない影響が一気に出てるのよ。
“モノ”が生まれる周期が短くなってる。
世界の許容量が……削れている。」
とつぶやいた。
繋は空の黒光をまっすぐ見つめる。
そこにはまだ形はない。
けれど、確かに“何か”が呼吸している。
(あれを結びつけなきゃいけない。
今度も、逃げられない。)
――――――――
「繋、リセル。」
綾が立ち上がり、二人を振り返る。
「悪いけど……すぐに次の任務に入るわよ。
本当に時間がない。」
繋はうなずく。
「分かった。行こう。」
その迷いのない返事に、リセルが一瞬ぽかんとした顔をする。
(……名前を取り戻したから?
けい、前よりずっと“前に進んでる”目をしてる。)
綾は杖を持ち直し、ゆっくり歩き出す。
「一つだけ言っておくわ。」
その声はいつもより低い。
「今回の“モノ”……多分、あなたの“名前”に反応する。」
「俺の……名前?」
「えぇ。“繋”。
縁を繋ぐ者の名は、特に強いモノを刺激することがあるの。
そして――嫌な気配がする。
とても。」
繋は息を呑む。
(綾さんほどの人が“嫌な気配”って……)
ただ事じゃない。
――――――――
黒光はゆっくり形をゆがませ、西の深い森へ向かって流れていく。
綾が転移陣を描きながら言う。
「今回の忘れられたモノは……レベル3以上。
姿がはっきりしないモノほど危険よ。」
「姿がないって……どうやって探すの?」
リセルが泣きそうな声を出す。
「大丈夫。俺たちでやる。」
繋が肩に手を置くと、リセルは照れくさそうに笑った。
綾は口角を上げ、
「発見者らしくなってきたじゃない。」
と呟く。
光が三人を包む。
転移が発動した。
――――――――
その頃。
黒光の落ちた森の奥で。
ぽたり……
黒い滴が一つ、地面に落ちた。
当たった場所がじゅっと音を立てて焦げる。
滴はいくつも落ち、ひとつの“核”を作り出す。
核は脈動し、ゆっくりと目のようなものを開く。
…コン……コン……コン……
胎児の心音のような鼓動が森に響く。
まだ形はない。
まだ“モノ”とさえ呼べない未熟な影。
だが、その存在圧はレベル3をはるかに超えている。
“それ”は虚空に向かって、かすかな声を漏らした。
……ケイ……?
黒い霧がじわりと広がる。
まるで、“繋”という名を――探すように。
作者の一言
第2章冒頭。結構不穏な感じにしようとしたんですけど結局いつもとおんなじ感じになってしまいました。まだまだですね。




