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忘却の輪郭  作者: 雨香
序章・第1章

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ep10 名を失う代償

 世界が揺れている。

 白と黒が混ざり、空間が裂け、音もなく悲鳴を上げていた。


 円環の中央に立つ綾は、穏やかな声で続けた。


 「識。

  “真名接続”は、対象の名を世界に再登録する儀式。

  でもそれは、誰かが“自分の名を差し出す”ことでしか成立しないの。」


 識の背中が、ひやりと冷たくなる。

 まるで体温を奪われるような感覚。


 「俺の名を……一つ?」


 綾は頷いた。


 「あなたの中には“識”という名前しかない。

  だから失われるのは――

  あなた自身が“識”と呼ばれる権利よ。」


 その言葉は、心臓に重く沈んだ。

 自分が自分でなくなる。

 記憶は残る。

 でも呼ばれた時、誰も“識”という名前に反応しなくなる。


 存在の輪郭が薄れ、世界に馴染まなくなっていく。

 そんな未来が一瞬で想像できてしまった。


 リセルが識の手を強く握る。


 「だめ……そんなの、だめ!!

  私の名前のために、あなたが消えるなんて……!」


 その叫びは、震えるほど必死だった。

 泣きそうで、怒っていて、でも何より“怖がっていた”。


 識は苦笑しながら頭を振った。


 「消えねぇよ。

  俺は俺だ。名前ひとつで変わるもんか。」


 リセルは首を横に振る。


 「違う!

  “名”がなくなるってことは、世界からの承認が消えるってことなの!

  忘れられるの……!

  誰かがあなたを呼んでも、そこに名前が無ければ、世界は“存在しないものとして扱う”の!」


 その恐怖は、彼女自身が経験してきたものだ。

 リセルの震えは本物だった。


 識は息を呑み、ゆっくり答える。


 「じゃあなおさら、君をその状態のまま放っとけねぇ。」


 リセルは言葉を失う。


 その時――

 影の記録者が、黒い裂け目の向こうから腕を伸ばした。


 > 「名の均衡を乱すな。“リセル”は世界に不要な名だ。」


 空気が歪む。

 黒い雨が降る。

 その一滴に触れただけで、記憶が削られる。


 綾は影の記録者に視線を向け、静かに言い返す。


 「“不要”と切り捨てるのは、管理者の傲慢よ。

  名は世界の根だもの。

  ひとつ消せば、どこかが確実に歪む。」


 影の記録者が嘲笑した。


 > 「だから歪んだのだ。“リセル”のせいで。」


 その瞬間、リセルの顔が苦しみにゆがむ。


 胸の真名が黒く脈動し、世界に黒いひびが広がっていく。


 識は思わず抱きしめた。


 「大丈夫だ。俺がいる。」


 リセルは震えながら囁く。


 「怖い……

  名前が壊れていく感覚、もう嫌なの……

  私はもう、誰の何でもないのは耐えられない……!」


 ――その声に、識の胸の奥が熱くなる。


 守りたい、じゃ足りない。

 救いたい。

 この子が“自分の名を持って、世界に立っている姿”を見たい。


 識は立ち上がり、綾に向き直った。


 「やり方を教えてくれ。

  名の接続を。」


 綾は静かに目を細める。


 「覚悟はできたのね?」


 「とっくに。」


 綾は手をかざし、導標に白い文字が浮かぶ。


 > 《真名接続儀式:起動》


 白い円環が輝き、空間の中心に巨大な文字が現れる。


 > 《リセル=リセル》


 それは脈動し、世界に飲み込まれそうなほど強烈な光を放っていた。


 綾は言う。


 「識。

  あなたの“名”を、ひとつ切り離すわ。

  痛みじゃなくて――“喪失”が来る。

  自分が薄れていくのを、冷たい目で見るような感覚よ。」


 識は深く息を吸い、リセルの手を握った。


 「行くぞ。

  一緒に。」


 リセルは涙を光らせながら頷いた。


 その瞬間――

 導標が鋭い音を立て、識の胸の奥から“何か”が抜け落ちた。


 名前だった。

 自分の中心にある、たった一つの音。


 “識”という響きが、世界との接点から剥がされていく。


 呼吸がうまくできない。

 足が地に着かない。

 自分の形がぼやける。


 そのすべてを貫くように、綾の声が響いた。


 「――名を結べ。」


 識は叫ぶように、その名を呼んだ。


 「リセル!!

  お前の名を、世界に戻す!!」


 世界が爆ぜる。

 白と黒が混ざり、光が奔流となって円環へ流れ込む。


 リセルの胸の真名が輝き、黒いひびが消えていく。

 少女の表情が一瞬だけ安堵に変わった。


 だが同時に――識の視界は急速に暗くなった。


 自分の名前が剥がれていく。

 呼ばれた時に反応する“軸”が消えていく。


 意識が崩れる。

 


 ――そして、儀式が終わった。


 光が消えると、識はその場に崩れ落ちた。

 リセルが慌てて抱きとめる。


 「大丈夫!?

  ねえ、返事して――!」


 識は目を開ける。

 だが、リセルが震える声で名前を呼ぶ。


 「識……!」


 ……反応が、ない。


 識自身の胸の奥に、“響かない”。


 自分の名が、自分に届かない。


 識は笑おうとして、うまく笑えなかった。


 「……本当に……消えた、のか……」


 その呟きは、誰の名前にも結びつかない“孤独な音”だった。

作者の一言

なんともう10話なんですよ。まだまだ続くのでよろしくお願いしますっ!

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