ep1 識
夜明け前の霧が街を包む。
石畳の上に落ちる足音が、まるでこの世の存在を確かめるように静かに響いた。
――識は歩いていた。
背には鈍く光る短剣。腰には古びた羅針盤のような装置。
それが、「発見者」にのみ与えられる《導標》だった。
この世界〈エリシア〉では、**忘れ去られたモノ**が存在する。
人々の記憶から、記録から、存在そのものが抜け落ちた“何か”。
その名を呼ぶことも、形を思い出すこともできない。
だがそれらは、消えて終わるわけではない。
――**霊的な存在**となって、世界の片隅で歪みを生み続ける。
放置すれば、世界の構造そのものが壊れてしまう。
「忘れ去られたモノ」が三つ見つかると、また新たな一つが忘れられる。
人々はそれを「世界の代償」と呼んだ。
だからこそ、「発見者」は必要だった。
忘れられたものを見つけ出し、世界に“結び直す”者。
――識もまた、その一人になろうとしている見習いだった。
――――――――
「今回の“モノ”は、レベルⅢ……か」
識は導標の針がゆらめく方向を見つめた。
そこは、霧の濃い旧市街。数十年前に人々が去り、今では誰も近づかない廃区画。
「発見者」が八人しか残っていないこの時代では、どんな任務も貴重だった。
師匠の〈綾〉が言っていた言葉が脳裏をよぎる。
> 「識、モノを見つけたとき、必ず迷う。それを結びつけるべきか、封じるべきか。でも、世界は“忘れること”で成り立っている。その意味を、忘れるな。」
――――――――
やがて識は、崩れた聖堂の中に辿り着いた。
そこには、宙に浮かぶ“何か”があった。
光を反射しない、灰のような輪郭。
それは確かに“何か”の形をしているのに、視線を外すとすぐに存在が薄れる。
導標の針が激しく回転し、かすれた声を発した。
> 《対象確認。忘れ去られたモノ──“鐘の音”。》
かつてこの街にあったという教会の鐘。
人々が朝を知り、祈りを捧げた象徴。
それが、今は誰の記憶にも残っていない。
識は目を閉じ、掌に霊符を展開する。
「世界に結びつける」儀式は、心と記憶を通す危険な行為。
少しでも躊躇すれば、“モノ”は拒絶し、「ナニカ」へと変貌する。
霧の中で、微かな鐘の音が響いた。
だがそれは次の瞬間、濁り、歪んだ。
導標が悲鳴を上げる。
「変化反応……っ!?」
“モノ”の輪郭が黒く染まり、形を失っていく。
現れたのは、人のようで人でない存在。
黒の霧をまとい、空洞の瞳で識を見下ろした。
それが、「ナニカ」だった。
――――――――
識は震える手で短剣を構えた。
見習いである自分に、この存在を封じる力があるのか――
そんな不安が胸を締めつける。
けれど、誰も代わりはいない。
“モノ”を見つけ、世界をつなぎとめるのは、自分たち発見者の使命だ。
「……忘れられるな。お前も、俺も。」
識はそう呟き、黒き“ナニカ”へと踏み出した。
霧の街で、鐘の音が再び鳴る。
それは悲しみとも希望ともつかぬ音色だった。
新作です。結構自信作なんでどうか最後まで見てってくださいっ!おねがいしますっ!




