第八話 居場所を守るため
「ねえ、この前の……飛田くんって、どんな人?」
昼休み、五組に遊びに来た紗月ちゃんは唐突に言い出した。
「どんなって?」
「もともとカッコいいうえになんでもできるって有名だったけど、みーちゃんから見た飛田くんはどうなのかなって」
「なんでもできるのは本当。部活にも入らず色んな習い事してるからね」
「育ちがいいんだね。なんか、高嶺の花って感じ」
「うーん。そうやって近寄りがたく思われがちだけど、でも案外普通だよ」
「普通?」
「そう、普通の男子高校生。私たちと変わらない。この前もね、ずっとしたかったバイトができるって喜んでたんだよ」
「そうなんだ」
紗月ちゃんはそう言って、少し俯いた。
「すごく仲良いよね、飛田くんと」
「まあ、そうだね。小学生の頃からなんか気が合うんだよ」
「付き合ってるとかではないんだよね?」
「まさか。涼太は友達。それに、分かってるでしょ」
「そうだよね。寺坂くん一筋だもんね」
「名前出さなくたっていいじゃん」
私が頬を膨らませると、彼女は嬉しそうに笑った。
「もしかして、涼太に一目惚れでもした?」
顔を覗き込むと、紗月ちゃんは一度私を見てから目を逸らした。
「ちょっとカッコいいな、とは思ってて。でも飛田くん、絶対モテるよね」
「モテるけど、彼女はいないよ。大丈夫」
紗月ちゃんは何か考えるようにどこかを見て、それから私に向き直った。
「みーちゃんはどう思ってるの? 飛田くんのこと」
「どうって?」
紗月ちゃんは何も言わない。
「涼太は大切な友達。それ以上でもそれ以下でもない。だから、安心して」
「……うん。分かった」
「私、応援するよ」
「ありがとう」
紗月ちゃんは、私を見上げるようにして言った。必然的に上目遣いになる。
「可愛いなあ、紗月ちゃんは」
私は小柄な彼女に飛びつく。紗月ちゃんは照れくさそうに、嬉しそうに笑った。
放課後、教室を出ると紗月ちゃんが待っていた。
「あ、みーちゃん」
彼女は小さく手を振った。今日はジャージに着替えていないし、リュックも背負っている。
「部活は?」
「顧問の都合でなしになった。今日雨だしテニス部もないでしょ?」
「うん」
「じゃあ一緒に帰ろう」
私は頷いて、一緒に歩き出す。
「あ、今日雨だし涼太も一緒だと思うんだけど、いい?」
「もちろん」
そう言う紗月ちゃんは深く息をして、少し顔を強張らせた。
「そんな緊張しなくても大丈夫だって。私がうまくやってあげるよ」
「うん」
紗月ちゃんは顔を緩めない。靴箱まで行くと、昇降口に涼太の姿が見えた。
涼太はこっちに気づくと、いつものように手を振った。私も手を振り返すと、紗月ちゃんは私の左手を強く握る。
「美咲」
「涼太、おつかれ。今日紗月ちゃんも一緒でもいい?」
「ああ、うん。いいよ」
涼太は私の手を握る紗月ちゃんを見て、少し不安げな顔をした。
「むしろ僕が邪魔じゃない?」
「いいのいいの。私、涼太と紗月ちゃんには仲良くしてほしいし」
ほら行くよ、とささやくと、紗月ちゃんはそそくさと靴を履き始めた。本当に可愛い子だ。
三人で校門を出て、駅へ向かう。ただでさえ雨で話しずらいのに私が真ん中になる並びになってしまったから、紗月ちゃんはなかなか涼太と話せずにいた。
涼太はいつものように、嬉しそうに私に話をする。
「この前、バイトの初出勤だったんだ」
「お、どうだった?」
「めっちゃ楽しい。まだ全然雑用ばっかだけど、楽しい」
「よかったね」
嬉しそうな涼太を見ていると、こっちまで嬉しくなる。
私は紗月ちゃんに促すように、背中を叩いた。彼女は私を一度見てから、涼太へと視線を移した
「……なんのバイトしてるの?」
涼太は急に話しかけられて少し戸惑ったが、すぐにもとに戻った。
「和食店。学校帰りにあるんだ」
「飛田くん、料理好きなんだ?」
「まあね。小さいころから密かに憧れてたんだ、料理人とか大将とか」
「料理できるのすごいな」
「五十嵐さんは料理とかしないの?」
「お菓子作りはするよ」
一度話し始めれば、紗月ちゃんは大丈夫だ。
私は、できるだけわざとらしくならないように気をつけながら、口を開いた。
「あ、ごめん、忘れ物した。先行ってて」
「待ってるよ」
涼太は間髪入れずそう言った。こう言われるのも、想定していた
「大丈夫、大丈夫。雨の中待ってもらうの悪いし。
それに、今日もなんか習い事あるでしょ」
「でも」
「いいから、先に帰ってて。二人で」
返事も聞かず、駆け足でその場を去る。水たまりを踏んでしまって、靴下まで水がしみる。
二人が見えなくなったら歩き、スマホを取り出して紗月ちゃんのトークルームを開いた。
『頑張れ』
可愛らしい猫のスタンプとともに送信する。
このあとどうしようかと立ち止まり、図書室へ行こうと再び歩き始めた。
忘れ物なんてしていない。紗月ちゃんと涼太を二人にするための、嘘の口実だ。私が自分を守るための嘘だ。
私は小さいころから男子と気が合うことが多かった。それが原因で、これまで何度も女の子の友達を失ってきた。嫌がらせもされた。もうそんな思いはしたくなくて、中学に上がってからは友達が好きになった男子とは距離をとることにした。
これでいい。私は今まで、こうやって居場所を守ってきたんだ。
昇降口へ戻り傘を閉じたものの、濡れた靴下のまま上履きを履くのは気が引ける。結局しばらくそこに立っていることにした。ぼんやりと雨を見つめる。
――涼太、バイトどんな感じなんだろう。
いつの間にか、そんなことを考えていた。振り払うように首を振る。明日にでも紗月ちゃんに聞けばいい、それだけのこと。
だから、これでよかったんだと、自分に言い聞かせる。
雨足が強くなった。これでは帰ろうにもかなりの覚悟がいる。
――帰るタイミング、逃したな。
雨が弱まる気配はない。私はリュックからイヤホンを取り出し、耳にはめる。
流れた歌は、ミクスチャーロック。幸大くんが、好きだった曲。
余計に惨めな気持ちになって、でも、飛ばすことはできずにいた。
頬に感じる冷たさが雨なのか涙なのか、私には分からない。
――どうして私は、こんなところで、一人でいるんだったっけ。