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あの雨に届かなかった僕たちは。  作者: 雀野ヒナ
【涼太 side ①】
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陽だまり②

 その日も僕は窓際の席で、本を開いていた。陽だまりで、同級生たちが校庭を走り回るのをチラチラ見ながら。


「なに読んでるの?」


 顔を上げると、クラスメイトが本をのぞき込んでいた。とっさに本を閉じる。


「難しそうなの読んでるね」


 クラスメイトの肌は健康的な小麦色をしていて、髪は耳が出るほど短い。転校して来たばかりだった僕には、見た目だけでは男子か女子かも見分けがつかなかった。

 名札を見る。


――塚田美咲……女子か。


 彼女はいつもクラスの中心にいて、休み時間は校庭ではしゃいでいる、笑顔の絶えない人だった。

 僕は小説に目線を落とし、答えた。


「別に難しくなんかない。ただの小説だよ」

「面白い?」

「……なんで?」

「だって、つまんなそうな顔してるから」


 思わず彼女の顔を見る。


「つまんなそう?」

「つまんなそうって言うか、遊びたいって顔。チラチラ外なんか見ちゃってさ」


 僕はムッとしたけれど、彼女の瞳はなんだかキラキラしているように見えた。

 もともと読書は好きなはずだった。それなのに、窓からはしゃいでいる同級生たちを見ていると身体がムズムズしてたまらなかった。


「ねえ、当て鬼しようよ。行こう」


 彼女はそう言って、背を向けた。


「待って」


 思わず手を掴んでしまった。慌てて離す。


「行かないの?」

「だって……お母さんが嫌がるから」


 僕の言葉に、彼女はキョトンとした顔をした。


「どうして?」

「お母さんは、僕に本を読んでてほしいんだ」

「ふうん」


 彼女はしばらく僕を見つめて、それから微笑んだ。


「お母さん想いなんだね」


 僕はなんと答えたらいいのか分からなくて、黙って俯いた。


「でも、ここにはお母さんはいない。君が外遊びしても、お母さんは悲しまない。だって分かんないんだから」

「そんなこと言ったって」


 お母さんの意思に背くことは何か悪いことをするみたいで、どうしても勇気が出なかった。


「大丈夫。自分のしたいことするのは、全然悪いことじゃないよ」


 僕は思わず顔を上げた。


「そう、なのかな」

「ね、だから一緒に行こう」


 彼女は僕の手をとった。みんなと遊ぶことは悪いことじゃない。本当に、そうならば。


――僕も、当て鬼したい。


 僕は言葉にすることができずただ頷いた。彼女は僕の手をとったまま、勢いよく走り出した。

 彼女が、美咲が、本当の僕を見つけてくれた瞬間だった。




 日差しが強くなって、ふと我に帰る。本を開いたはいいものの、小説の内容が入って来ない。そういえば、リビングにバッグを置いたままだった。

 気まずいが仕方がない。部屋を出て、そっとリビングのドアを開けた。お母さんはこちらに背を向けて洗濯物を畳んでいる。

 おそるおそる、気づかれないように入る。バッグまで辿り着いて、肩にかけて、立ち去ろうとした、その時。


「りょうくん」


 急に声をかけられビクッとした。バレていたのか。


「……何?」


 お母さんはしばらく黙って洗濯物を畳んでいた。何もないなら、と戻ろうとすると、やっと口を開いた。


「何のアルバイトをしたいの?」


 驚いた。お母さんに、僕のしたいことを聞かれるとは、思ってもみなかった。


「駅からの帰り道にある、あの割烹料理店の手伝いをしたい」

「お料理屋さん……」


 お母さんの声は、少し戸惑っているようだった。


「この前、大将に少し話を聞きに行ったんだ。もちろん最初は雑用とか接客が中心になるけど、それだけじゃなくて、いつか調理もやらせてくれるって」

「もう行動して……本気なのね」

「うん、本気だよ」

「確かにたまにご飯作ってくれてたけど……そんなにお料理が好きだったなんて、知らなかったわ」


 そう言うお母さんの背中は、少し寂しそうに見えた。


「大将、見た目は少し怖いけど優しくて、調理の様子を見せてくれたんだ。包丁裁きも揚げ物の手際の良さも盛り付けもすごくって。みるみるうちに、美しい料理が出来上がっていくんだよ。僕はそういうことをしたい。ピアノじゃなくて、料理がしたい」


 初めてだ。初めてお母さんに、こんなに自分のしたいことの話をしている。


「僕には、僕のやりたいことがあるんだ」

「……そう」


 お母さんは背を向けたまま、手を止めた。


「分かったわ。ピアノの先生には、お母さんから話しておく」

「……いいの?」

「今まで、お母さんのわがままに付き合ってくれてありがとね」

「……うん」


 泣きそうになった。やっと、やっとだ。


「ありがとう、お母さん」

「モンブラン、食べる?」

「うん、食べる」

「実は、お母さんもまだ食べてないの。一緒に食べようか」


 お母さんはこっちを向いて微笑んだ。それは、小さいころ僕の料理を褒めてくれたときの、優しい笑顔だった。

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