陽だまり①
目にした瞬間、彼女だ、と思った。
すらっと伸びる綺麗な足、滑らかな曲線、揺れるポニーテール。昇降口の先に見えた女の子は、僕が探し続けていたその姿とはまるで違う。それでも、あれは間違いなく彼女だと、僕には分かった。
「美咲?」
振り向いた彼女は、あの頃とは比べ物にならないくらい美しくて、色っぽかった。それでいて、その瞳もその笑顔も、僕の手をとって笑ったあの日のそれと変わらなかった。
——ずっと、会いたかったよ。
口にはしない。だけど、僕のこの想いを、きっと美咲は知っている。
家へ向かう僕の足取りは軽かった。美咲にとうとう会えた。まさか、こんなところでまた出会えるなんて。また一緒に帰れる日が来るなんて。
ゲートを抜けて傘を閉じ、勢いよくドアを開ける。
「ただいま!」
いつもより大きな声が出て、自分でもびっくりする。
靴を脱いで、洗面台へ向かう。鏡を見ると、なんともだらしのないにやけ顔をした、僕の顔が映っていた。
「おかえりなさい」
手を洗いながら振り向くと、お母さんがちらっと顔だけを出していた。
「りょうくん、ちょっとこっち来て」
手を拭いて、言われるがままにリビングへ向かう。お母さんは鼻歌交じりに冷蔵庫を開けていた。
「りょうくんの好きなモンブラン、買ってきたの」
「なんで急に?」
「いつもピアノの練習頑張ってるから、ご褒美よ」
ピアノ、という言葉に一瞬立ち止まる。それから僕はスクールバッグを床に置き、テーブルに座って深呼吸をした。
今日なら――今ならうまく言える気がする。美咲という存在は、僕の大きな原動力になる。
「そのことなんだけど……」
お母さんは二つのモンブランを手に、嬉々とした表情をしていた。
「何? 改まって」
目の前にモンブランとフォークが置かれた。僕はそれに手をつけず、思い切って切り出した。
「お母さん。……僕、やっぱりピアノを辞めたい」
お母さんは目を丸くした。
「突然、どうしてよ?」
「突然じゃないよ。前から言ってたでしょ、僕はピアノがあまり好きじゃない。それに、バイトを始めたいんだ」
「そんなことのためにピアノを辞めなくたっていいじゃない。アルバイトなんか、高校生のうちからするものじゃないの。お小遣いだって十分にあげているでしょう」
「そういう問題じゃないんだよ。バイトどうこうの前に、ピアノはもう嫌なんだ」
口調が強くなる。
「どうして? こんなに頑張ってきたのに」
「お母さんのために頑張ってただけだよ。やりたくてやってたわけじゃない」
「もっとよく考えなさい。そんな急な思い付きで決めてはいけないわ」
「この前だってそう言って辞めさせてくれなかったじゃないか」
「りょうくんのためよ」
「だからっ……もういいよ」
僕は立ち上がり、速足で自分の部屋へと向かった。僕を呼ぶ声が聞こえるが、それを塞ぐように勢いよく扉を閉める。
モンブランを食べられなかったことだけが、少し心残りだった。
勝手に僕を理想化して、その理想を押し付ける。お母さんはそういう人だ。
お母さんは、小さなころから可愛いかっこいいと容姿を褒められてきた僕に対し、ことあるごとに、あなたは完璧な息子だと言った。
僕は、いつもお母さんが望む色々な習い事をさせられた。お母さんが選んだ服を着て、お母さんが好きなものを好きと言った。友達と遊ぶ時間はなかったし、お母さんはそれを望まなかった。学校でも遊ぶ暇があるなら本を読みなさいと言われていた。
お母さんは、いつも僕を「完璧な息子」にしたがった。
——せっかく、今日はいい日だと思ったのに。
僕はお気に入りの小説を手に取って、部屋の陽だまりに腰を下ろした。
あの日からずっと、陽だまりで本を読むのが好きだった。あの日に戻ることができる気がしたから。彼女が初めて声をかけてくれた、僕を見つけてくれた、あの日に。




