第五話 面白い男
あれから一週間と少し。今日の放課後には、待ちに待ったバイト面接が待っている。
しかも、今日は雨。また美咲と帰れるだろうか。
楽しみなことが二つもあって、正直授業なんて聞いていられるわけがない。三限が終わっても、ずっと面接と美咲のことを考えていた。
ふと時計を見る。いつの間にか休み時間が残り二分を切っていた。机の中を探る。あるはずの数学の教科書が見当たらない。
「まずい。忘れた」
急いで廊下に出る。さすがに授業開始一分前となると、ほとんど人はいない。が、四組の教室前ロッカーに一人、人影が見えた。小走りで駆け寄る。
「あの!」
顔を上げた彼はがっちりした体つきをしていて、どこか近寄りがたい雰囲気があった。こんな状況でなければ、自分からは関わろうとはしないタイプだ。
手には僕がまさに今求めている数学の教科書を持っていた。
「あの、その教科書、貸してもらえないかな」
「ああ」
彼は迷っているのだろうか、一度教科書を見つめたが、すぐに差し出した。
「いいよ。はい」
「ありがとう。ほんとありがとう。昼休み返す!」
僕は彼の返事も聞かず、大急ぎで教室へ戻っていった。席に着いたと同時にチャイムが鳴った。
四限が終わり、昼休みに入った。僕は数学の教科書を持って四組へ向かう。
教室を覗くと、中央あたりに彼の姿を見つけた。入ろうとしたが、なんだか全体的に威圧感がある。さすがスポーツ推薦組、みんな体格が良い。
彼が顔をあげ、目が合った。彼はすぐに立ち上がり、まっすぐこちらへ向かってきてくれた。
「これ、ありがとう。すごく助かった。えっと……」
「幸大。寺坂幸大」
「寺坂くん」
「呼び捨てでいいよ」
「寺坂?」
「幸大。幸大の方で」
「じゃあ、僕のことは涼太で」
「分かった、涼太な」
彼は、幸大は真っすぐに目を合わせてくる。なぜか、囚われたような、吸い込まれてしまいそうな、そういう目をしている。
耐えられなくなって目を逸らした。ふと周りを見ると、みんな数学の教科書を持っていたり、しまっていたりしている。
「まさか……四組もさっき数学だった?」
「ああ、うん」
なんてことだ。人の教科書を奪ってしまっていたのか。
「ごめん。ほんとごめん。教科書奪っちゃって」
「別にいいよ。俺が貸したんだから」
「困ったでしょう?」
「どうせ、先生の話聞いてないから。大丈夫」
幸大は、本当に何も気にしていないかのように笑った。
「教科書ないと、授業中暇だったでしょう。何してたの?」
「空を見てた」
「雨なのに?」
「雨だからだよ」
僕は意味が分からず、わざとらしく首をかしげて見せた。
「空が泣いてるのを、見守ってたんだ」
ますます訳が分からない。
「なにそれ、変」
「変だよな」
幸大は目線をずらして笑った。僕はもう少し彼のことが知りたくて、話題を探した。
「あ、推薦! スポーツ推薦すごいね」
急に話題が変わったことに驚いたのか、少し間があいた。そして彼は我に返ったように目を合わせ直した。
「俺からしたら、勉強頑張ってここに入ったみんなの方がすごいけどね。特に五組」
「五組?」
「特進組だよ。知らねえの?」
「え、知らなかった」
なるほど、スポーツ推薦が端っこのクラスじゃないのは、もうひとつ特別枠があったからか。ということは………美咲は特進組か。
彼女は小学生の頃から頭がよかったから、それほど驚くことではなかった。むしろ、二か月も特進組の存在を知らなかった自分に驚いた。
「さては、先生の話とか全然聞いてないタイプだろ」
幸大はからかうようににやついた。
「バレたか」
「仲間だな」
幸大は嬉しそうに笑った。筋肉質なその体つきには似合わない可愛い笑顔だ。
「それじゃあ、僕、そろそろ戻ろうかな」
「おう。また昼休みにでも遊びに来いよ」
彼は軽く手を上げた。向こうも気に入ってくれたのかと、嬉しくなった。
「うん!」
――寺坂幸大。変だけど面白い男だ。
もし今日、放課後、美咲と帰れたらこの話をしよう。美咲もきっと彼のことを気に入る。
なぜだか分からないけれど、それは確信だった。