涙の匂い
終業式が終わり、クラスでのホームルームが終わった。徐々に人が減っていく教室で、俺はぼんやりと外を見る。
——雨、止みそう。
「うぇーい。春休みだぜ!」
スキップをするように軽い足取りで、山本がやってきた。そのまま、空いている前の席に座る。
「なあなあ、寺坂は春休みなにすんの?」
「部活」
「それは分かってんだよ。そうじゃなくて、オフの日とかさあ」
空が、少し明るくなったような気がする。
教室を見渡す。まだそこそこに人はいるが、みんなはしゃいでいて、周囲のことなど気にしていない。
外に視線を戻す。
「なあ、山本」
「あ?」
「ゲイとかってどう思う?」
返事はなかった。山本に視線を移す。
「なんだよ、急に」
案外、表情は変わっていなかった。
「別に。気になっただけ。それで、どう思うんだよ?」
正直、心臓はバクバクしていた。引かれるくらいならまだいいが、変に勘ぐられて距離を取られては困る。
「まあ、どうでもいいな。俺には関係ない」
山本は、いつもと変わらない口調で言った。その悪気のない言い方に、胸が痛む。
「……関係あるかもしれないだろ。いつか、男に告られることがあるかもしれない。その時、山本はどう思う? キモイとか、面倒臭いとかって思うか」
思わず、聞いてしまった。
——ミスったか……?
「あ? そんなの決まってるだろ」
怖くなって、視線を外に戻す。次の言葉を待った。
「嬉しいに決まってるだろ」
予想外の返答に、俺はパッと山本を見た。相変わらずのアホ面だ。
「……男だけど?」
「男とか女とか関係ねえ。どっちでもいいからとにかくモテたい。非モテなめんなよ!」
山本はこぶしを握り締め、わなわなと震えながら言った。
思わず、噴き出してしまう。
「笑った? 寺坂てめえ、今笑っただろ」
「あはははは!」
思いっきり笑った。周りが振り向いたが、もう気にしない。
五十嵐さんの言う通りだ。みんなに分かってもらえなくたって構わない。分かってくれる人がいれば、それでいい。
——そんな友達を、大切にしたい。
俺は山本を見ながら、そう思う。
振り向いたクラスメイトたちは、各々の会話に戻っていった。
「おい。笑いすぎだぞ」
「山本ってほんと単純だよな」
「馬鹿にしてるだろ。なあ。俺の切実な願いを馬鹿にしてるだろ!」
山本が声を張り上げる。周囲がまた振り向き、何事もなかったかのように戻っていく。
そんな中、一人、背の高い男子が近づいてきた。
「お疲れ、幸大」
「おう、涼太」
俺が呼びかけると、山本は涼太の方を見て、甘ったるい声を出した。
「なあ、飛田。寺坂ひでえんだよ。俺の切実な願いを馬鹿にするんだよ」
涼太は昼休みにこのクラスに来るうちに、山本と仲良くなっていた。
「なに? 切実な願いって」
「なんでもいいから、とにかくモテたい」
「っぷ」
山本の切実な願いを聞いて、涼太は噴き出した。
「おまえも笑うのかよ。まあそうだよな。おまえにはあんな可愛い彼女がいるもんな。俺のことなんか、分かっちゃくれねえよな!」
山本は、また大声でわめき出した。もう、誰も振り向かない。
「どうしたら恋人ができるんだ!」
教室中に、山本の声が響く。涼太は、腹を抱えて笑っている。
無邪気な笑顔。その眩しさに、まだ、胸がキュッと締め付けられる。
とっくに諦めはついている。塚田さんと五十嵐さんと、それから涼太。大切な友達として、ずっと一緒に過ごしていきたいと思う。だけど。
もう少し、もう少しだけ、このまま。
——好きでいさせて。
開いた窓から、暖かい風が流れてくる。
雨上がりの空は、まだほんのりと、空の涙の甘い匂いがする。




