大丈夫
「この間、わたしに助けられたって、言ってたでしょ」
五十嵐さんは、前を向いたまま言う。部活帰り、偶然タイミングが合った俺たちは、並んで歩いていた。
「うん、言った」
「寺坂くんにも、何か悩んでたことがあったわけ?」
唐突の質問に、俺は返事をしかねた。
「ごめん。悩みがない人なんていないよね」
五十嵐さんは、サラサラとした横髪を耳にかけた。それから、俺を見上げる。
「ただ、知りたいの。わたしから見る寺坂くんは、何かに悩んでいるようには見えなかったから。だから、もっと寺坂くんのこと、知りたい」
基本的に、自分のことを話すのは好きじゃない。自分をさらけ出して、その先にあるのが拒絶だったときの絶望を、俺は知っているからだ。
でも、今は違った。素直に嬉しかった。五十嵐さんが、俺のことを知ろうとしてくれることが。
「俺さ、他人とちょっと違うところがあって」
少し緊張感を持ちながら、俺は口を動かす。
「女子とあんまり話さないこと?」
「違うよ」
食い気味に否定すると、五十嵐さんは、ごめん、と言いながらぺろっと舌を出した。そんな顔を見ていると、緊張している自分がどこか馬鹿らしくなってきた。
——この人なら、大丈夫。
俺は、ふう、と息をついて続けた。
「なんていうか……恋愛観っていうか、まあ、他人と違うところがあって」
「……ほう」
間抜けな返事をしたあと、五十嵐さんは、はっと顔を上げた。
「ああ、そういうことか」
「今ので分かったの?」
「今までよく分かんなかったことが、やっと分かった」
五十嵐さんは、すっきりしたような表情をした。
「寺坂くん、わたしと同じだったんだね」
「同じ?」
「そう。同じ人のこと、好きだったんだね」
あまりに自然に受け入れるので、驚いた。と同時に、少し恥ずかしくもなった。自分をさらけ出す覚悟をしていても、好きな人を知られるのは、また違う。
だが、これで詳しく説明する手間は省けた。
「……五十嵐さんって、もっと固定観念に囚われてる感じの人だと思ってたよ」
「失礼だなあ」
五十嵐さんは前を向く。そのまま、とんとん、と俺の背中を叩いた。背中を押されたように、俺は口を開いた。
「俺は中学まで、自分の"好き"を否定されてきた」
「うん」
五十嵐さんは、前を向いたまま、相づちを打つ。
「好きな人から、拒絶されたこともあった。苦しくて、悔しくて、なんてしょうもない世界なんだって、思ってた」
「うん」
「でも……高校では違った。塚田さんは、俺の"好き"を普通だって言ってくれた。おかしいことなんてなんにもないって、言ってくれた」
「うん」
「涼太も、ちゃんと話を聞いてくれた。俺の気持ちを、真っすぐ受け止めてくれた」
「うん」
五十嵐さんは、前を向いたまま、それでもしっかりと、頷いてくれる。俺の言葉は、止まらなくなっていた。
「五十嵐さんも、こうやって当たり前のように受け入れてくれる。俺、ここにいれてよかったよ。塚田さんと再会して、涼太を好きになって、五十嵐さんと仲良くなれて、本当によかった」
「うん。そっか」
五十嵐さんの返事は淡泊で、けれどとても優しかった。気づけば、視界が滲んでいる。
俺は、思わず立ち止まった。涙が零れないように、上を向く。
——空が、青い。
なんとか堪えて前を向くと、少し前で五十嵐さんも立ち止まっていた。振り返った彼女は、三歩戻って俺の前に立つ。
「寺坂くん。少しかがんでくれない?」
「なんで?」
「なんでも」
俺は不審に思いながらも、かがんでみせた。五十嵐さんは、俺の頭に手を乗せた。頭の上で、小さな手が動く。少しして、自分が撫でられていると気づいた。
「何?」
「なんでもないよ」
そう言いながらも、彼女は俺の頭を撫で続ける。
「よく、頑張ったね」
その一言で、堪えたはずの涙が溢れてしまった。頬を伝って、地面に落ちる。俺は拭うこともせず、地面の染みに目を落とす。
「……初めてだったんだ。俺は、俺のままでいいと思えた。俺も、人を好きになっていいんだって思えた」
「うん、そうだよ。寺坂くんは、寺坂くんのままでいいんだよ」
降ってくる声は、これまで聞いた五十嵐さんの声の中で、一番柔らかく聞こえた。
動いていた手が止まる。そのまま、五十嵐さんは続けた。
「どうしてもね、そういう少数派を受け入れられない人もいると思う。頭では分かってても受け入れられない人って、やっぱりいるんだ。しょうがないよ。恋は異性とするものだって、異性としかできないものだって、自然にそう洗脳されてきてしまっているから。だからこれからも、寺坂くんはそんな人たちに出会って、嫌な思いをするかもしれない」
五十嵐さんは、手を下ろした。俺は顔を上げる。
彼女を見上げるのはどこか新鮮で、なんだか不思議な感じがした。
「でも、大丈夫だよ。そうじゃない人もいるから。みーちゃんがいる。飛田くんがいる。わたしがいる。わたしたちだけじゃなくて、分かってくれる人は必ずいるから」
五十嵐さんはいたずらっぽく笑った。
「そういう人たちと楽しく過ごせば、それで何の問題もないでしょ?」
俺は掌で涙を拭いながら、立ち上がる。呼吸を落ち着かせて、なんでもない風を装う。
「五十嵐さんらしいね」
俺が言うと、五十嵐さんは、えへ、と笑って歩き出した。俺もその隣に並ぶ。
「それにしても、飛田くんは本当にモテるね」
五十嵐さんは、明るい口調で言った。
「そうだね。モテすぎだ」
俺も明るい口調で返す。前を向いているので、五十嵐さんの顔は見えない。きっと彼女もそうだ。
「あーあ。先に好きになったの、俺だったんだけどな」
「ちょっと待ってよ。わたしの方が、もっと昔から飛田くんに憧れてたんだから」
「そうなの?」
「そうだよ。わたしと飛田くんはね、小さい頃に出会ってたんだよ」
横断歩道の手前で、俺たちは立ち止まる。
「でも、飛田くんの心を一番長く支えてきたのは、みーちゃんなんだよね」
「そうだね」
「みーちゃんには、敵わないな」
ちらりと、五十嵐さんを見る。明るい声に反して、俯いていた。
俺は、サラサラの髪の上に手をのせ、ゆっくりと動かす。
「撫でるな」
少し震えた声で、強がるように、彼女は言う。
「さっきのお返しだよ」
信号が変わるまで、俺はその頭を撫で続けた。




