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あの雨に届かなかった僕たちは。  作者: 雀野ヒナ
【幸大 side ④】
56/57

大丈夫

「この間、わたしに助けられたって、言ってたでしょ」


 五十嵐さんは、前を向いたまま言う。部活帰り、偶然タイミングが合った俺たちは、並んで歩いていた。


「うん、言った」

「寺坂くんにも、何か悩んでたことがあったわけ?」


 唐突の質問に、俺は返事をしかねた。


「ごめん。悩みがない人なんていないよね」


 五十嵐さんは、サラサラとした横髪を耳にかけた。それから、俺を見上げる。


「ただ、知りたいの。わたしから見る寺坂くんは、何かに悩んでいるようには見えなかったから。だから、もっと寺坂くんのこと、知りたい」


 基本的に、自分のことを話すのは好きじゃない。自分をさらけ出して、その先にあるのが拒絶だったときの絶望を、俺は知っているからだ。

 でも、今は違った。素直に嬉しかった。五十嵐さんが、俺のことを知ろうとしてくれることが。


「俺さ、他人とちょっと違うところがあって」


 少し緊張感を持ちながら、俺は口を動かす。


「女子とあんまり話さないこと?」

「違うよ」


 食い気味に否定すると、五十嵐さんは、ごめん、と言いながらぺろっと舌を出した。そんな顔を見ていると、緊張している自分がどこか馬鹿らしくなってきた。


——この人なら、大丈夫。


 俺は、ふう、と息をついて続けた。


「なんていうか……恋愛観っていうか、まあ、他人と違うところがあって」

「……ほう」


 間抜けな返事をしたあと、五十嵐さんは、はっと顔を上げた。


「ああ、そういうことか」

「今ので分かったの?」

「今までよく分かんなかったことが、やっと分かった」


 五十嵐さんは、すっきりしたような表情をした。


「寺坂くん、わたしと同じだったんだね」

「同じ?」

「そう。同じ人のこと、好きだったんだね」


 あまりに自然に受け入れるので、驚いた。と同時に、少し恥ずかしくもなった。自分をさらけ出す覚悟をしていても、好きな人を知られるのは、また違う。

 だが、これで詳しく説明する手間は省けた。


「……五十嵐さんって、もっと固定観念に囚われてる感じの人だと思ってたよ」

「失礼だなあ」


 五十嵐さんは前を向く。そのまま、とんとん、と俺の背中を叩いた。背中を押されたように、俺は口を開いた。


「俺は中学まで、自分の"好き"を否定されてきた」

「うん」


 五十嵐さんは、前を向いたまま、相づちを打つ。


「好きな人から、拒絶されたこともあった。苦しくて、悔しくて、なんてしょうもない世界なんだって、思ってた」

「うん」

「でも……高校では違った。塚田さんは、俺の"好き"を普通だって言ってくれた。おかしいことなんてなんにもないって、言ってくれた」

「うん」

「涼太も、ちゃんと話を聞いてくれた。俺の気持ちを、真っすぐ受け止めてくれた」

「うん」


 五十嵐さんは、前を向いたまま、それでもしっかりと、頷いてくれる。俺の言葉は、止まらなくなっていた。


「五十嵐さんも、こうやって当たり前のように受け入れてくれる。俺、ここにいれてよかったよ。塚田さんと再会して、涼太を好きになって、五十嵐さんと仲良くなれて、本当によかった」

「うん。そっか」


 五十嵐さんの返事は淡泊で、けれどとても優しかった。気づけば、視界が滲んでいる。

 俺は、思わず立ち止まった。涙が零れないように、上を向く。


——空が、青い。


 なんとか堪えて前を向くと、少し前で五十嵐さんも立ち止まっていた。振り返った彼女は、三歩戻って俺の前に立つ。


「寺坂くん。少しかがんでくれない?」

「なんで?」

「なんでも」


 俺は不審に思いながらも、かがんでみせた。五十嵐さんは、俺の頭に手を乗せた。頭の上で、小さな手が動く。少しして、自分が撫でられていると気づいた。


「何?」

「なんでもないよ」


 そう言いながらも、彼女は俺の頭を撫で続ける。


「よく、頑張ったね」


 その一言で、堪えたはずの涙が溢れてしまった。頬を伝って、地面に落ちる。俺は拭うこともせず、地面の染みに目を落とす。


「……初めてだったんだ。俺は、俺のままでいいと思えた。俺も、人を好きになっていいんだって思えた」

「うん、そうだよ。寺坂くんは、寺坂くんのままでいいんだよ」


 降ってくる声は、これまで聞いた五十嵐さんの声の中で、一番柔らかく聞こえた。

 動いていた手が止まる。そのまま、五十嵐さんは続けた。


「どうしてもね、そういう少数派を受け入れられない人もいると思う。頭では分かってても受け入れられない人って、やっぱりいるんだ。しょうがないよ。恋は異性とするものだって、異性としかできないものだって、自然にそう洗脳されてきてしまっているから。だからこれからも、寺坂くんはそんな人たちに出会って、嫌な思いをするかもしれない」


 五十嵐さんは、手を下ろした。俺は顔を上げる。

 彼女を見上げるのはどこか新鮮で、なんだか不思議な感じがした。


「でも、大丈夫だよ。そうじゃない人もいるから。みーちゃんがいる。飛田くんがいる。わたしがいる。わたしたちだけじゃなくて、分かってくれる人は必ずいるから」


 五十嵐さんはいたずらっぽく笑った。


「そういう人たちと楽しく過ごせば、それで何の問題もないでしょ?」


 俺は掌で涙を拭いながら、立ち上がる。呼吸を落ち着かせて、なんでもない風を装う。


「五十嵐さんらしいね」


 俺が言うと、五十嵐さんは、えへ、と笑って歩き出した。俺もその隣に並ぶ。


「それにしても、飛田くんは本当にモテるね」


 五十嵐さんは、明るい口調で言った。


「そうだね。モテすぎだ」


 俺も明るい口調で返す。前を向いているので、五十嵐さんの顔は見えない。きっと彼女もそうだ。


「あーあ。先に好きになったの、俺だったんだけどな」

「ちょっと待ってよ。わたしの方が、もっと昔から飛田くんに憧れてたんだから」

「そうなの?」

「そうだよ。わたしと飛田くんはね、小さい頃に出会ってたんだよ」


 横断歩道の手前で、俺たちは立ち止まる。


「でも、飛田くんの心を一番長く支えてきたのは、みーちゃんなんだよね」

「そうだね」

「みーちゃんには、敵わないな」


 ちらりと、五十嵐さんを見る。明るい声に反して、俯いていた。

 俺は、サラサラの髪の上に手をのせ、ゆっくりと動かす。


「撫でるな」


 少し震えた声で、強がるように、彼女は言う。


「さっきのお返しだよ」


 信号が変わるまで、俺はその頭を撫で続けた。

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