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あの雨に届かなかった僕たちは。  作者: 雀野ヒナ
【紗月 side ④】
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これからも

 昼休みのベランダは、風通りがいい。

 昼食を終えた教室のざわめきが、遠くから微かに聞こえる。ここは、わたしたちだけの静かな場所だ。


 みーちゃんのポニーテールが、かすかに揺れる。それを見てるだけでも、幸せだなあとすら思える。


「ねえ、紗月ちゃん」


 みーちゃんが、ぽつりと言った。


「なあに?」

「わたしね、ずっと一人だったの」


 唐突だった。なんの話をしているのか、分からなかった。


「……急に、どうしたの?」


 戸惑いながら問い返すと、彼女はグラウンドの方を見たまま、話しを続けた。


「私が最初にいじめられたのは、幼稚園のとき。同じクラスの女の子たちから、仲間外れにされたりしてた。その時はなんでか分からなかったんだけど……たぶん、嫉妬みたいな感じだったと思う。それから、誰かを、特に女の子を信じるのが怖くなったんだ」


 その声は、いつもより少しだけ小さかった。


「そう、なの……?」


 言葉がうまく出てこない。みーちゃんの過去なんて、ほとんど知らなかった。みーちゃんは、あまり話したがらなかったから。


「小学校でも嫌がらせを受けてた。でも、涼太がいつもそばにいてくれたから、そのときは平気だったの」


 それを聞いた瞬間、思い出が繋がる。

 以前、みーちゃんが「助けてくれた人がいた」と言っていた。あの時の“その人”は、飛田くんだったのだ。


「でも、中学では涼太とは別の学校に行っちゃって。もう、誰も守ってくれなかった。だからね、距離を取るようにしたの。誰にも嫌われないように。誰にも裏切られないように。そしたら、みんなわたしを好いてくれたよ」


 静かに語るその横顔には、少し影が落ちていた。


「だけどさ。そういうのって、グループを組むときに困っちゃうんだよ。仲が悪い人はいない。でも……仲がいい人もいなかった」


 みーちゃんの手が、膝の上でぎゅっと握られるのが見えた。


「わたしは、いつも一人だった。自分を守るために、ずっと一人でいたんだよ」


 誰とでも仲良くて、でも誰とも深く関わらない。そんなみーちゃんを、わたしはずっと“特別な存在”だと思っていた。

 わたしと違って、強くて、綺麗で、何も怖がっていないように見えていた。


 でも──違ったんだ。


「それがね、紗月ちゃんと出会って変わったの」


 みーちゃんは、ふっと柔らかく笑った。


「紗月ちゃんは、わたしを“みーちゃん”って呼んでくれた。いつも隣にいてくれた。どんな時も、わたしを守ってくれた。わたしね、一人じゃないって思えたの」


 強がることをやめた女の子が見せる、素の笑顔。その笑顔は、今まで見た中で一番幼くて、眩しかった。


「紗月ちゃんが、わたしを見つけてくれたんだよ」


 言葉が胸に刺さった。何かを考えるより先に、涙が溢れていた。

 止まらなかった。何度も瞬きをしても、次から次へと頬を伝っていく。


 あの時、みーちゃんに助けてもらってから、少しずつ自信が持てるようになってきた。だけど、心のどこかでずっと不安だった。

 わたしは本当に、誰かの力になれてるのだろうか。わたしなんかが、みーちゃんの隣にいていいのだろうか。

 みーちゃん、飛田くん、寺坂くん。眩しいほど素敵な三人と、これからも一緒に過ごしていっていいのだろうか。


 だけど今、その不安はもうどこにもなかった。


「わたし、ちゃんと……みーちゃんを助けられてたんだね」

「そうだよ。わたしはずっと、紗月ちゃんに助けてもらってきたの」


 みーちゃんの言葉が、胸に静かにしみ込んでいく。彼女はその綺麗な手で、わたしの涙をぬぐってくれた。

 その時間がなんだか心地よくて、わたしは安心して泣くことができた。


 寺坂くんの言ってたことは、本当だったのかもしれない。そう、思えた。



 思う存分泣いたわたしは、一つ息をついて口を開く。


「……みーちゃんさ。朝の寺坂くんとの話、聞いてたでしょ」

「あ、バレた?」

「急に変な話、始めたから」


 苦笑まじりに言うと、みーちゃんはぺろっと舌を出した。


「ほんとはね、わたしが助けに行こうって思ってたの。でも、いざ出ようとしたら、幸大くんが現れて……かっこよく紗月ちゃん助けちゃうし」

「だね。あれは、かっこよかった」


 今朝の出来事を思い出して、二人でふふっと笑い合う。


「でもさ。わたし、反省したの。紗月ちゃんに、ちゃんと伝えてきてなかったなって」


 みーちゃんの目がまっすぐにこっちを見つめる。


「だから、言うね。いつもそばにいてくれてありがとう、紗月ちゃん。これからも、よろしくね!」

「……うん……!」


 涙が乾かないまま、わたしは思わずみーちゃんに抱きついた。

 心の奥が、あたたかいものでいっぱいになっていった。


「あ、涼太」


 みーちゃんの声に顔を上げ振り向くと、飛田くんが立っていた。


「あれ、ごめん。タイミング悪かった?」

「ううん、大丈夫」


 わたしは目をこすりながら、一歩下がる。


「どうかした?」


 みーちゃんが尋ねると、飛田くんはわたしを見て言った。


「ちょっとね、五十嵐さんに用があって」

「わたし?」


 まさか自分を訪ねてきたとは思わなかったので、わたしは心底驚いていた。


「春休みにね、本当に簡単なのだけど店で料理を振る舞わせてもらえることになったんだ。もちろん、ちゃんとしたお客さんにはダメなんだけど、友達ならって」

「すごいじゃん」

「それで、五十嵐さんの予定はどうかなと思って」

「午前は部活があるけれど、午後は基本的に暇だと思うよ。あとはみーちゃんと寺坂くんの予定次第……」

「そうじゃなくて」


 わたしの言葉を遮って、飛田くんは言う。


「まずは五十嵐さんに、来てほしいんだよね」


 わたしは目を丸くした。それから、みーちゃんを見た。

 だって、おかしい。目の前に彼女がいるのに、彼女でなくただの友達のわたしを誘うなんて。


「えっと……一人ずつしかおもてなしできないから順番に、ってこと?」

「そうじゃなくて、まずは五十嵐さんに食べて欲しいんだ」

「……どうして」

「だって、約束したでしょう」


——約束?


 わたしが答えないのを見て、飛田くんは少し頰を膨らませた。


「まさか忘れちゃった? 言ったはずだよ。お料理屋さんになったら、さっちゃんに最初に食べさせてあげるって」


 その瞬間、胸が熱くなった。さっき止まったはずの涙が、また溢れそうになる。


「なんだ。覚えてたんだ」


 思わず顔がほころぶ。飛田くんは照れたように頭を掻いた。


「まあ、まだ”お料理屋さん”になったわけじゃないんだけどね」


 飛田くんは笑う。釣られて、わたしもふふふ、と笑ってしまう。


「いいなあ、紗月ちゃん。次はわたしだからね、涼太」

「わかってるよ。美咲と幸大も、必ず招待するから」


 そう言ってから、飛田くんは再びわたしに向き直った。


「楽しみにしててね、さっちゃん」


 ギリギリで堪えていた涙が、一筋頰を伝う。


——わたし、何を思い悩んでたんだろう。


 みーちゃんも、飛田くんも、寺坂くんも、こんなにわたしを大切に思ってくれている。釣り合ってるとかどうとか、そんなのはどうでもよかったんだ。


 風が頰をなでる。髪がサラサラとなびく。


 わたしはこれからも、みんなと一緒にいたい。

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