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あの雨に届かなかった僕たちは。  作者: 雀野ヒナ
【涼太 side ④】
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天気雨

 靴箱の前に立つと、湿った木の匂いが鼻をかすめた。

 今日も朝からずっと雨。傘の花がまばらに並ぶ中、その少し先で、ポツンと立っている一人の姿があった。


 美咲だった。

 手に開いた傘を持っているのに、それを差さず、ぼんやりと空を見上げている。


「美咲!」


 思わず、声が出た。

 彼女が振り返る。その表情は、少し驚いたようで、けれどすぐに困ったような笑顔に変わった。


「涼太」


 僕は傘を開き、彼女に駆け寄る。


「なんで傘、差さないんだよ」


 自分の傘に彼女が入るよう、ぐっと距離を詰める。濡れた髪と頬に、思わずドキッとした。

 胸の奥がじんと熱くなる。


——やっぱり、好きだ。


「……そうだね。ちょっと、考え事してたんだ」

「考え事?」

「うん……もう、大丈夫だよ。自分で差す。ありがと」


 そう言われ、我に返った僕はさっと美咲から離れた。体が熱い。

 美咲は、自分の傘を差して、ふとこっちに向き直った。


「……彼女は?」

「うん。ちょっと、色々あってね」


 間を詰めすぎないように立った。

 いつも、どれくらいの距離にいたんだっけ。どうやって話していたんだっけ。


「その話もしたいから……一緒に帰ろう」


 僕がそう言うと、美咲は少し戸惑いながらもうなずいた。


 校門を出てからは、しばらく無言だった。雨の音だけが、傘の上で静かに続いている。

 言葉が浮かびかけては、飲み込まれていく。そんな中、先に口を開いたのは美咲だった。


「さっき、言ったでしょ。考え事してたって」

「うん」

「考えてたの。涼太のこと」

「僕のこと?」

「そう。涼太、わたしね……」


 美咲の言葉を遮って、僕は口を開く。


「別れたよ」

「え……?」

「渡辺さんと今日、別れた。振られたよ」


 美咲が立ち止まり、僕の顔を見上げた。問いかけるような瞳が、雨に濡れて、少し潤んで見えた。


「……どうして?」

「僕が……美咲のことばかりを考えているから。美咲のことばかりを見ているから」


 それは、言い訳でも美化でもなかった。ただの事実だった。


「やっぱり、美咲のことが好きなんだ。どうにもならないくらいに、好きだ」


 僕は息を吐いて、もう一歩、彼女に近づいた。


「今すぐじゃなくていい。最終的に、やっぱり友達がいいって思うならそれでもいい。でも少し、ほんの少しでいいから、僕を……恋愛対象として、考えてみてくれないかな」


 言葉にするまで、胸の中で何度もこだました想い。五年間、抱き続けてきた想い。

 ようやく外に出したその言葉は、思っていたよりまっすぐで、震えていなかった。


 美咲は、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。けれど──


「……もう、考えてるよ」


 ゆっくりと、少し照れたように、けれどしっかりとした声で言った。


「意識、しちゃってるよ」


 彼女は視線を落とし、小さく笑った。


「……え?」

「涼太に彼女ができたって聞いたとき……正直、ちょっと嫉妬したの」


 言葉の途中で、小さく肩が揺れる。

 それが寒さのせいなのか、緊張からくる震えなのか、僕には分からなかった。


「それで、一回意識し出したら……なんか止まらなくなっちゃって。気づいたら、ずっと涼太のこと考えるようになってて」


 傘の下、僕たちは顔を見合わせる。

 雨の音の中で、彼女の声だけが、ちゃんと聞こえていた。


「わたし……涼太のことが好き。ちゃんと、“恋”として、好きだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。嬉しくて、舞い上がりそうになって、でも冷静さを装った。


「美咲さ。このあと、空いてる?」

「空いてるよ」

「じゃあさ。よかったら、このまま一緒に僕の家まで来てくれないかな」

「いいけど、どうして?」

「秘密!」


 そう言って、僕は歩き出す。美咲は、すぐに僕に追いついて、そっと僕の手を握った。



「ちょっと待ってて」


 家に着いた僕は美咲を玄関前の屋根の下に残し、家の中へ駆け込んでいく。

 部屋に入って、荷物を置いて、引き出しを開ける。それから、ずっとしまい込んでいた”それ”を手に取った。

 僕は玄関のドアを開けると、少しだけ髪を濡らした美咲が空を見上げていた。


「お待たせ!」

「そんな急がなくていいのに」


 美咲は可笑しそうに笑った。


「これを渡したかったんだ。返す、が正しいかな」


 僕は握りしめていた左手を開く。その上には、ガラスでできた指輪が二つ。止まったままの金魚が、二匹。

 彼女は、それを見た瞬間、息を飲んだ。


「これ……!」

「うん。覚えてるかな。小学生のとき、僕が渡したの」

「覚えてるよ。覚えてるに決まってる。……でもどうして? わたし、なくしちゃって……」

「本当は、見つけてたんだ。美咲が泣いたあの日、拾ったまま、ずっと大切に持ってた。美咲にもう一度、ちゃんと渡せる日が来るならって、思ってた」

「よかった……なくしてなくて、ほんとによかった……!」


 彼女の目が、涙で滲んでいく。僕はその手をそっと取った。


「美咲にもう一度、これを渡したい。今度は、友達としてのお守りじゃない。恋人としての、”好き”の証だよ」


 僕は彼女の左手を取り、薬指に指輪をそっとはめた。


「今度こそ、僕が美咲を守る。何があっても、絶対に」


 美咲は潤んだ瞳のまま、嬉しそうに笑った。


「ありがとう。ずっと、わたしを好きでいてくれて、ありがとう」


 そうだ。僕はあの時も、こうやって美咲に笑ってほしかった。

 やっと夢が叶ったんだと思うと、込み上げてくるものがあった。


「よろしくね、涼太」


 ちょうどそのとき、空が少しだけ明るくなった。雲の切れ間から差し込んだ光が、濡れた地面を照らす。

 雨はまだ降っているけれど、太陽が顔を出している。

 天気雨だった。


 美咲は、薬指の指輪をひらりと持ち上げて、空にかざす。ガラスの金魚が、キラキラと光る。


「……綺麗だね」


 陽の光と雨粒が指輪の中で溶け合って、金魚が可憐に泳ぎ出す。

 まるで、止まっていた時間が、今、動き始めたみたいに。


――ずっとこの景色を、一緒に見たかったんだ。


「うん。……ほんとに、綺麗だ」

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