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あの雨に届かなかった僕たちは。  作者: 雀野ヒナ
【涼太 side ④】
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心変わり

 僕は弁当の唐揚げを口に運びながら、先週のことを思い出していた。

 あのとき、幸大はどんな気持ちで、僕に気持ちを打ち明けてくれたのだろう。それに、どれだけの覚悟があったのだろう。

 それに比べて、僕は……。


「……くん。飛田くん」


 少し高めの声に、意識が現実へ引き戻された。

 隣で前を向いたまま、渡辺さんが僕に呼びかけていた。


「何? 渡辺さん」


 渡辺さんは、そっと箸を置いて、こちらを見た。


「飛田くん。別れよっか、あたしたち」


 あまりに突然で、一瞬だけ言葉を失った。けれど、驚いた以上の感情は湧いてこなかった。


「……まだ二か月も経ってないけど、いいの?」


 僕がそう返すと、渡辺さんは苦笑した。


「やっぱ、“どうして”って聞かないんだね」


 その言葉に、僕は返す言葉を持たなかった。


「分かってるよ。無理やりこの関係に持ち込んだのは、あたしの方だもん」


 彼女は箸をケースにしまい、食べかけの弁当にふたを閉める。


「でもさ、飛田くんもずるいよ。諦める気なんて、最初からなかったでしょ?」

「そんなこと……」


 否定しようとしたけれど、言葉がうまく続かなかった。


「飛田くん、あたしの名前……言える?」

「ひな、でしょ?」

「漢字、書ける?」

「えっと……」


 僕は指で机をなぞろうとした。でも、その指は動かなかった。

 知らなかった。僕は、彼女の名前の漢字すら分からない。


「ね? 飛田くんは、付き合ってる彼女の名前すら知んないの。それがなんでか、分かる?」


 僕は、黙るしかなかった。


「あたしのこと、ちゃんと見てなかったからだよ。もっと言えば、塚田さんのことしか見てなかったんでしょ?」

「それは……そんなつもりじゃ」

「分かってるよ。無意識なんだよね。でも、無意識だからこそ、もう答えは出てるんだよ」


 そう言って、渡辺さんは少し寂しげに笑った。


「だからね。別れよ」




——別れるって、案外あっさりしてるものなんだなあ。


 僕は一人、ベランダに出て座り込んでいた。しとしとと降る小雨が、少し入り込んでくる。

 濡れるのは嫌だけれど、少なくとも昼休み中は、渡辺さんと同じ空間にいるのが気まずい。


「飛田くんじゃん。何してるの?」


 顔を上げると、五十嵐さんが立っていた。彼女は隣に並んで座り込む。


「五十嵐さん、雨でもベランダにいるの?」

「みーちゃんに会いに行くときはいつもベランダから行くの。それより、例の彼女は?」

「……《《元》》彼女だよ」

「もう別れたんだ?」

「さっき振られたとこ」

「まあ、そうだろうね」


 五十嵐さんは全然驚いていないみたいだった。


「何をそんなに落ち込んでるの? どうせ、三か月したら振るつもりだったくせに」

「振るつもりってわけではなかったよ。彼女を好きになれたら、もちろん付き合い続けるつもりだった」

「好きになろうとしてなかったくせに、よく言うよ」

「違うよ。僕は……!」


 本当に、新しい恋に踏み出そうと思った。これ以上、美咲を困らせたくない。自分が苦しみたくない。だから、違う子と、違う恋をって。

 でもその時点で、やっぱり僕は、自分と美咲のことしか考えてないんだ。


「僕はさ。どうしたって美咲のことが好きみたいなんだ」

「何を今さら」


 五十嵐さんは、当たり前のように答える。


「飛田くんだって、心のどこかで分かってたはずだよ。これだけずっと片想いしてきて、今さら、他の恋になんて簡単に行けるわけがないんだよ。それなのに無理するから、こうやって自分のことも、元彼女のことも傷つけてさ」

「馬鹿だなあ、僕」

「馬鹿だね。それに、最低」


 五十嵐さんの言葉は、容赦なく心をえぐっていく。そう。僕は馬鹿で最低だ。分かっている。正しいことだ。けど……

 それにしたって、どうして、そんなにイライラしているのだろう。


 しばらく、五十嵐さんは何も言わなかった。それなのに、僕の横から離れようとしなかった。

 仕方がないから、そろそろ教室に戻ろうと思った。そのとき。


「これは余談なんだけど。聞き流してくれて構わないんだけど」


 五十嵐さんが、口を開く。


「何?」

「みーちゃん、心変わりしたみたいだよ」

「心変わり?」

「なんでも、両親と話してみて考えが変わったって」

「考えって……」

「黙って聞いてて」


 五十嵐さんは、俺の言葉を遮って続けた。


「お父さんとお母さん、実は今も仲が良かったんだって。ずっと、互いを支え合ってきてたんだって。だから、恋愛で壊れない絆もあるんだなって、思い直したって」

「それ、ほんと?」


 五十嵐さんは、わざとらしく大きくため息をついた。


「こんな嘘ついて、わたしになんの得があるの」

「それは……そうだね」

「それじゃあ、わたし、もう行くね」


 五十嵐さんは立ち上がった。


「待って」

「何?」


 彼女は、肩くらいまでの髪を揺らしながら振り向いた。


「どうして、いつもそうやって背中を押してくれるの?」


 彼女は、何か言おうとしてためらったが、口を開いた。


「……わたしね、飛田くんのこと、好きだったの」

「……え?」

「ち、小さい頃の話、だよ」


 ”小さい頃”。その発言に、胸が高鳴った。


「……ってことは、やっぱり……!?」

「そうだよ。わたし、さっちゃんだよ」


 こちらの表情をうかがうように、控えめに顔を上げたその姿が、あの頃のさっちゃんとはっきりと重なった。


「ずっとそばにいたんだね、さっちゃん」


 僕は嬉しくて、自然と笑顔がこぼれた。

 そうじゃないかと、ずっと思っていた。否定されたけど、それでも、五十嵐さんがさっちゃんなんじゃないかって。


「……その、どう思った? わたしが、さっちゃんって分かって」


 五十嵐さんは、どこか不安そうに尋ねてくる。


「嬉しいよ。五十嵐さんが、さっちゃんでよかった!」

「……そう」


 五十嵐さんは、安心したように息をついた。それから、いつもの五十嵐さんの顔に戻る。


「だからさ。わたしはさっちゃんとして、飛田くんを応援したいんだよ」

「ありがとう、さっちゃん」


 五十嵐さんは照れているのか、顔を赤らめて顔を逸らした。

 けれどそれから、また真っすぐこっちを見てはにかんだ。


「頑張れ、りょうくん」


 そう言って、五十嵐さんは速足で自分の教室に戻っていった。


——もう、頑張るしか、道はないんだ。


 僕はあきらめの悪い人間で、どうしたって、美咲のことが好きなんだから。

 幸大も五十嵐さんも、こんなに背中を押してくれるのだから。


――僕、頑張るよ。さっちゃん。

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