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あの雨に届かなかった僕たちは。  作者: 雀野ヒナ
【涼太 side ④】
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好きな人

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。僕は教科書を閉じながら、窓の向こうに目をやる。

 雨だ。灰色の雲が空を覆い、ガラス越しに水の粒がツーと流れていく。

 年が明けてから、一ヶ月が経った。今日も、帰りは一人。彼女ができたから、美咲と一緒に帰るのはやめた。美咲は「それがいいよ」と笑って言ってくれた。


 渡辺さん。僕の「彼女」は吹奏楽部。天気に関係なく部活があるから、放課後に一緒に帰れることは少ない。

 その代わり、昼休みだけは一緒に過ごす。僕の隣の席の男子が、昼になるとどこかに消えるのをいいことに、渡辺さんは当然のようにその席に座る。


「でね、そのキャラがやばくってー」


 よく喋る人だ。食べるのは遅いけれど、きっとそれも彼女のチャームポイントなんだろう。

 彼女の口が動いている間、僕は頷きながら周囲をうかがう。


 渡辺さんとお昼を食べるようになってから、幸大に会うこともめっきり減った。

 正直、寂しい。美咲とも、幸大とも、距離ができたことが。でも仕方がない。恋人ができるって、きっとそういうことなのだ。


 湿った空気が教室に染み込むように広がっている。


——なんか、気分が重いなあ……。


「どーしたの、飛田くん?」


 渡辺さんが箸を置いて、僕の顔を覗き込んでくる。


「……ううん、なんでもない」


 目を逸らして、彼女の弁当をちらりと見る。まだ半分残っていた。


——早く食べ終わらないかな。


 そんなことを思ってしまった自分を、僕は嫌悪する。その時だった。


「涼太」


 名前を呼ばれて顔を上げると、目の前に幸大が立っていた。驚きで目を瞬かせる。


「……幸大。どうしたの?」


 幸大は渡辺さんに軽く会釈をしてから、僕に言った。


「ちょっと、話したいことがあって。いいか?」


 僕は渡辺さんの顔を見る。

 彼女は、ほんの一瞬だけ寂しそうな目をして、すぐに笑った。


「いいよ、行ってきて。あたし、気にしないから」


 優しい嘘。だけど、僕はそれに甘えることにした。


「ありがとう。すぐ戻るよ」


 幸大と並んで廊下を歩く。彼は黙ったまま、どんどん先を歩いていく。


「どこまで行くの?」

「……来れば分かる」


 その言葉に従ってついていくと、辿り着いたのは人気のない生物室前の廊下だった。

 そこで彼はようやく立ち止まり、僕の方を向いた。


「涼太に、言いたいことがある」

「……うん」


 胸の奥がざわついた。

 この空気、雰囲気……まるで何か、大切なことを打ち明けようとしているような。まさか——


「好きだ」


 幸大が、そう言った。


「……ああ、やっぱりか」


 思わず漏れた言葉に、幸大が目を見開く。


「……気づいてた?」

「なんとなくね。……でも、そっか。やっぱり美咲のこと、好きだったんだね」

「え?」

「ずっと変だと思ってたんだ。美咲と付き合ってたこと、僕には言わなかっただろ? 勉強会のときも、お祭りに誘ったときも……幸大、すごく嬉しそうだった。僕が美咲と話すたびに、複雑な顔してたし」


 言葉が止まらない。止めたくても、勝手に口から溢れていく。

 何を焦ってるんだろう。何から逃げたがってるんだろう、僕は。


「美咲のことは、好きだった。でも、幸大になら譲ってもいいかなって……」

「そんなこと言うなよ」


 幸大の低くて鋭い声が、僕の言葉を断ち切った。


「"譲ってもいい"なんて、思ってもないくせに。"好きだった"なんて、嘘のくせに。おまえは、諦めが悪いんだ。ずっと好きな人のことだけ見てる。……それが、おまえだ」


 幸大は怒っているようで、でもどこか苦しそうだった。その瞳は、まっすぐに僕を捉えている。

 出会った日を思い出す。教科書を借りた、あの日。あの日と同じように、この瞳に吸い込まれてしまいそうに思う。

 続けて、幸大の口が動く。


「それが、俺の好きな涼太なんだよ」


——……え?


 僕は驚きのあまり、声を出すことができなかった。


「塚田さんのことは、好きだよ。今でも、ちゃんと好きだ。だから勉強会に行ったし、祭りも行った。クリスマスパーティーにも行った。全部、本当に楽しかった。でも、それは"恋"じゃない。おまえが俺に抱いてるその気持ちと同じ。友達としての"好き"だ」

「……そう、だったのか」


 やっと口にできた言葉も、大した声量にはならなかった。

 幸大は、息をするのも忘れたように、言葉を連ねる。胸の中にあるすべてを、吐き出そうとするように。


「でもな、俺のこの"好き"は違う。俺は、涼太が好きだ。男として。恋愛感情として。……おまえが誰かを想って、苦しんでる姿を見て、それも全部ひっくるめて、好きになったんだよ」

「幸大が……僕を……?」


 頭が追いつかない。

 幸大はそこまで言うと、きゅっと口を閉ざして俯いた。


——幸大が、僕を……好き。


 改めて、心の中で言ってみる。

 女子に告白されたときとは違う、動揺。そんな中、心が少しずつ温かくなっていくのを感じた。


 男子から告白されるのは初めてだ。驚いた。でも、同時にちゃんと嬉しかった。

 好きになってもらえたこと。想いを伝えてもらえたこと。その全部が。


「……ありがとう」


 伏せていた幸大が、顔を上げる。

 僕はもう一度、口を開いた。今度は、はっきりとした口調で。


「ありがとう。嬉しいよ、幸大」


 幸大は、安心したように微笑んだ。その瞳が、少し揺れているように見える。


「……そっか、よかった」

「でも、ごめん。……他に、好きな人がいるんだ」


 幸大は一度だけ目を閉じて、それからくしゃりと笑った。


「うん。知ってる」


 その笑いは、ほんの少し寂しそうで、でもどこか吹っ切れたような、素敵な表情だった。


「だからさ、これからも友達でいてくれる?」


 僕は、少しだけ笑って言う。


「ああ、もちろん」


 羨ましい、と思った。

 自分の気持ちに真っ直ぐになれること。その想いをちゃんと伝えられること。その想いが叶わなくても、相手の気持ちを受け止められる強さがあること。

 その全部が、幸大の眩しさで、僕にはなかったものだった。


「俺を振ったんだから……ちゃんと、好きな人と幸せになれよ」


 そう言って、僕の肩を軽く叩いて、幸大は背を向けた。


——……好きな人。


 そう言ったとき、言われたとき、ふと頭に浮かんだ笑顔があった。僕の隣で傘を差し、楽しそうに笑う、その顔。

 僕の好きな人は、きっと、やっぱり……。

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