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あの雨に届かなかった僕たちは。  作者: 雀野ヒナ
【涼太 side ③】
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好きの行き場

 靴箱までたどり着くと、隅っこに美咲が一人で立っていた。美咲がいたことに、ほっと胸を撫で下ろす。

 急いで靴を履き、傘を手に取って駆け寄る。


「美咲、待っててくれたんだね」

「いつも、待たせてばっかりだからね」


 美咲は微笑む。いつもとは違う、少し困ったような笑顔だった。


「行こっか」


 美咲は傘を開きながら、昇降口の先へ淡々と歩みを進める。

 僕は一度大きく深呼吸をして、雨の世界へと踏み出した。


「紗月ちゃんってさ、ああ見えて結構鋭いんだよね。わたしの考えてること、全部バレちゃってるんじゃないかって思うこともあるくらいで。涼太はそういうことない? ないか。わたしほど、紗月ちゃんと一緒にいるわけじゃないもんね」


 今日の美咲は饒舌だ。一人で話し始めて、一人で完結して、また一人で次の話を始める。


「美咲?」

「あと、幸大くん。何考えてるんだろうね。涼太にはいろいろ話すのかな。わたしにはさっぱりで、いつもわたしばっかり話しちゃってさ」


 声をかけても、美咲は話すことをやめない。そのくせ、決して目を合わせない。


「もっと知りたいなって思って話しかけるんだけど、やっぱりつかめなくて。そういうところも面白いんだけど、でも友達としてやっぱり知りたくて」


 美咲は、僕との会話を避けている。僕と向き合うことを避けている。


「美咲」

「あ、森じいがさ。今日も話が長くって。ホームルームが二十分もかかっちゃって」

「美咲!」


 僕の強い口調に、美咲の身体がビクッと反応する。彼女は話すのをやめた。


「僕の気持ちって、やっぱり迷惑?」


 美咲は何も言わない。目も合わせない。


「分かってるんでしょ。僕の、美咲への気持ち」


 美咲は黙ったまま歩き続ける。信号の青い点滅が、いつもより少し眩しく見える。

 光が赤く変わったのと同時に、僕らは横断歩道の手前で立ち止まった。


「迷惑とかじゃないよ。ただ……」

「ただ、何?」

「涼太はなんにも悪くないよ。これは、わたしの問題」

「その言い方はずるいよ。それじゃあ、僕はどうしたらいいか分からないじゃないか。美咲は、僕にどうしてほしいの? 教えてよ。ちゃんと、言葉にしてよ」


 信号が青になる。美咲が歩き始め、僕はそれに続く。

 彼女は黙って歩き続ける。黙り通すつもりなのだろうか。もう僕と、本心で話すつもりがないのだろうか。


 水たまりを踏みそうになっても、カッパを着てはしゃぐ子どもとすれ違っても、彼女は何も話さなかった。僕も何も話さなかった。

 美咲と二人でいてこんなに何も話さないことなんて、これまでで一度もなかった。


 美咲の横顔をうかがう。

 長いまつ毛、すっと通った鼻筋、ほどよく丸みを帯びた頬、ほんの少し厚い唇。どれもが綺麗で、可愛い。こんなときでも、そう思ってしまう。

 自分が彼女を”好き”なのだと、改めて実感する。


 何も話さないまま、駅に着いてしまった。雨をしのげる階段の手前で立ち止まり、傘をたたむ。


「……そうだね。わたしもだいぶ、言葉足らずだ。ごめん」


 美咲は急に口を開いた。やっと目が合った。


「わたしね、怖いの」

「怖い?」

「大切なものを失うのが、怖いの」

「大切なもの……」


 何のことを言っているのか、よく分からなかった。


「うち、母子家庭でしょ。両親が離婚したのは、わたしが6歳のとき。別に両親の仲は悪くなかった、と思う。普段は仲良し家族だったんだよ」

「うん」

「でもね。いつの間にか、毎日のように口論するようになって、その度にすごく嫌な雰囲気になって。激しくはないけど、なんだか重かった。普通の喧嘩じゃないのが、わたしにも分かるくらい」


 美咲は下を向く。初めて聞く話だ。


「あの日のことは、正直あんまり覚えてない。でもお母さんが、お父さんに言ったの。

『いっそ好きにならなければよかった。ずっと、友達のままでいれたらよかった』って」

「それは、あまりにも……」

「ね、ひどいよね。結婚して、子供まで作ったのに」


 そう。あまりにもひどい話だ。だって二人が恋をしなければ、美咲は産まれなかったのだから。


「でもね……お母さんの気持ちも、分かる気がするの。わたしね、ちょっと分かっちゃうんだよ。親子だねえ」


 美咲は寂しそうに笑った。僕は何も言えずにいた。


「恋は、愛は、冷めたら終わりなの。わたしは、涼太と終わりになんかなりたくない。涼太を失いたくない」

「でも」


 やっと口を開けた。ここで引き下がってはいけない。僕はもっと、美咲と話したい。関わりたい。そばにいたい。


「でも美咲は、現に僕を避けている。こんなんじゃ、恋愛とか関係なく、ただ疎遠になっちゃうだけだよ」

「だけどそれは終わりじゃない。疎遠になっても、完全に失ってしまうわけじゃない」


 何も言い返せなかった。

 頭ではそういう気持ちも理解できないわけじゃない。だけど心が、僕の心が、分からないと言っている。


「それでも、やっぱり疎遠になるのは寂しい。苦しい。だから、これからも友達でいてよ。友達として、大切な存在として……ずっとそばにいてよ、涼太」


 美咲は真っすぐに見つめて来る。胸が苦しくなる。


――とっくに、友達だなんて言えないよ。


 その顔に、声に、仕草に、髪に、その儚げな表情にさえ、僕は日々、恋をしているんだから。


 ただのわがままだ。美咲らしくない、僕の気持ちを無視した、ひどいわがままだ。

 きっと美咲もそれを分かっていて、分かったうえで言ってるんだ。そうせざるを得ないくらい、彼女は何かに追い詰められているんだ。

 僕が彼女を守らなきゃいけない。そうあのとき約束したから。守りたいと思っているから。


「……分かったよ」


 僕は、気持ちを押し殺して友達のフリをする。友達として、美咲の側にいる選択をする。


「ありがとう。……ごめんね」


 そう言って、彼女は歩き出す。僕もその隣に並び、階段を上る。


――これでいい。これでいいんだ。


 そう、自分に何度も言い聞かせた。これが、僕たちにとって、一番いい選択なんだと。

 

 だけど、僕の"好き"はなかったことにはならない。この先も、きっと消えることはない。

 それなら、僕はいったい、どうしたらいいんだろうか。この、行き場のない想いを。

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